第69話 荒らされた家で先生の手帳を見つけたので、必ず一緒に帰ると決めました
暖炉の周りも机の上も棚の中も、以前のように整ってはいなかった。
布や小物が床へ落ち、寝台の上にも、窓から入り込んだ小型魔物がつけたらしい泥の跡が残っている。
それでも、家そのものが完全に壊されていないことだけは救いだった。
カコは慣れた様子で棚の奥へ手を伸ばし、古びた布に包まれた小さな箱を取り出した。
「それ、無事だったのか?」
「うん」
カコが箱を両手で抱え、ゆっくりと蓋を開ける。
中には乾燥させた薬草や針と糸、小さな刃物、そして手のひらほどの大きさしかない古びた一冊の手帳が入っていた。
「それは……先生の手帳か?」
「うん」
カコは壊れ物を扱うように、両手で手帳を持ち上げた。
開かれたページには、薬草の見分け方や料理の作り方、畑で植物を育てる方法、危険な魔物に出会ったときの対処などが記されていた。
カコが一人でも生きていけるように残されたらしい細かな知識が、びっしりと書き込まれている。
「ずっと大事にしてたんだな」
「先生が書いたから」
「持っていこう」
「うん」
カコは手帳を胸へ抱きしめた。
「先生に見せる」
「ちゃんと覚えてて、ずっと使ってたって?」
「うん。薬草も畑も料理も、忘れてないって言う」
「きっと喜ぶよ」
そう言うと、カコはほんの一瞬だけ泣きそうな顔になった。
「ケイ」
「どうした?」
「先生、怒るかな」
「何を怒るんだ?」
「家も畑も荒らされた。私、守れなかった」
「それは違うだろ」
俺はすぐに首を横へ振った。
「カコが悪いわけじゃない。俺たちがいない間に、結界の中で何が起きたのかも、まだ分かってないんだ」
「でも……」
「それを言うなら、結界を傷つけた俺とミメシスにだって責任がある」
『我が主よ』
ミメシスの声が、珍しく静かになった。
『結界を実際に切り裂いたのは我だ』
「ああ。分かってる」
『だが、あの時に斬らなければ、我が主もカコも外へ出ることはできなかった』
「そうだよ。だから、誰か一人のせいにする話じゃない」
俺は荒らされた室内を見回した。
「悪いのは、家や畑を荒らした魔物だ。少なくとも、狼型魔物とあのオーガはもう倒した」
「まだ、ほかの魔物がいるかもしれない」
「そうだな。でも、家は残った」
俺は、カコが抱いている手帳を見る。
「先生の手帳も残ってる。畑だって全部駄目になったわけじゃない。生きてる野菜もあった」
「直せる?」
「ああ。時間はかかるかもしれないけど、直せる」
カコが、ゆっくりと家の中を見回した。
「守れなかったものをずっと悔やむより、残ったものをこれから守ればいい」
「残ったものを守る」
「そうだ」
カコは先生の手帳を胸へ抱いたまま、小さく頷いた。
「先生を助けたら、家も畑も直す」
「俺も一緒に直すよ」
「村にも戻る」
「ルカたちとも約束したからな」
「すること、いっぱい増えた」
「そうだな。先生を助けて、結界を直して、畑と家を元どおりにして、村にも帰らないとな」
「急がないと」
「だからこそ、ちゃんと準備するんだろ」
「うん」
カコは、先生の手帳を大切そうに自分の荷物へ入れた。
◇
俺たちは、家の中に残された物から、まだ使えるものを一つずつ集め始めた。
保存してあった豆や乾燥させた根菜、汚染されていない薬草、清潔な布、火打ち石、細い縄、そして小鍋を床へ並べていく。
「鍋まで持っていくのか? 中層で料理する余裕があるか分からないぞ」
「必要」
「どうして?」
「お湯を沸かせる。薬草も煮られる」
「なるほど。俺に苦い薬を飲ませるためか」
「身体にいい」
「それは前にも聞いたけど、身体にいい物が全部苦い必要はないだろ」
『我が主は苦味に弱いとは、情けない』
「味覚もない剣に言われたくない!」
『我に味は分からなくても、想像くらいできる!』
《苦味は、本来、毒性物質を識別するための味覚反応とされています》
『紙束よ、今は薬の話をしている!』
《薬草と毒草は成分的に近い場合があり、薬草にも苦味成分を含む種類が多数存在します》
「詳しい説明を聞いたら、余計に飲みたくなくなったんだけど」
「必要なら飲む」
「カコがそう言うと、本当に逃げられないな……」
カコが棚の下へ手を入れ、古い革袋を一つ引き出した。
「今度は何だ?」
「先生の道具」
袋の中には、細い金属棒や透明な小片、見たことのない形をした小型工具など、今の俺には用途の分からない物がいくつも入っていた。
《簡易整備具です》
「古代施設の設備を直すための道具か?」
「先生が物を直す時に使ってた」
「これも持っていくのか?」
「うん」
《携行を推奨します》
「中層でも役に立つのか?」
《古代設備の外装開放》
《応急接続》
《端末内部の清掃》
《複数の用途に使用可能です》
『掃除道具ではないか!』
《端末清掃は設備維持において重要です》
「ミナにも、コーデックスへ触る前に手を洗わせてたからな」
《記録媒体の汚染防止は重要です》
『細かいな、紙束は』
必要な物を集めるたびに、床へ並べた荷物は少しずつ増えていった。
「これ、本当に二人だけで持てる量か? カコも無理するなよ」
「二つに分ける」
カコは迷うことなく、荷物を二組に分けていく。
一つには薬草や先生の手帳、清潔な布など、壊したくない軽い物をまとめた。
もう一つには水袋や食料、小鍋、整備具など、比較的重い物を入れた。
「重い方は俺が持つよ」
「駄目」
「また怪我人だからか?」
「うん」
「でも、カコが重い方を背負って戦闘になったら危ないだろ」
「だから、戦う時は置く」
「それなら俺だって……」
「ケイは戦う」
「……それはそうだけど」
「だから軽い方」
「完全に守られてる気がするな」
「私がケイを守る」
カコは、何でもないことのように言った。
「……そうか」
「嫌?」
「嫌じゃないよ」
「なら、そうする」
『我が主よ!』
「何だ?」
『カコがずいぶん頼もしくなったな!』
「ああ。俺もそう思うよ」
『その分、我が主が弱く見えるぞ!』
「余計な一言を絶対に足すよな、お前は!」
《現在のケイの負傷状態を考慮すれば、合理的な荷物分担です》
『見ろ、全書も言っている!』
「今の俺には、味方が一人もいない気がしてきた」




