第62話 あのオーガを調べたら、俺たちが開けた結界の亀裂から入り込んでいました
オーガはすぐには襲いかかってこなかった。
巨大な黒い残骸を引きずったまま立ち止まり、赤い目で俺たちの動きを警戒するように見つめている。
《対象を解析します》
コーデックスから青白い光が伸び、巨大なオーガの頭部から足元までを何度もなぞった。
《大型亜人型魔物》
《既知個体情報との比較を実行》
《通常個体からの著しい肉体変異を確認》
「やっぱり、前に戦った時とは違うのか?」
《肯定します》
《高濃度魂力への長期暴露痕を確認》
《古代文明由来の複数種の情報が、肉体へ異常定着しています》
《暫定名称 _ _ 魂力変異型オーガ亜種》
『長い!』
「今は名前なんてどうでもいい! 何でこんな姿になったのかが知りたい!」
《追加解析を実行します》
コーデックスのページを、細かな文字が高速で流れていく。
《対象の魂力表層から外部転送痕を検出》
「転送痕?」
《ケイの初回転送時に記録された痕跡と、高度の一致を確認》
「俺と同じ転移に巻き込まれた痕跡ってことか?」
《肯定します》
《ただし、到着座標は異なります》
「だったら、やっぱりあの時に俺と一緒に飛ばされたんだな」
あの日、俺がオーガに追い詰められ、突然起動した転移へ巻き込まれた時に、こいつもすぐ近くにいたらしい。
俺だけが転移したと思っていたが、オーガも別の場所へ飛ばされていた。
「俺は結界の中へ落ちたけど、こいつはどこへ行ったんだ?」
《転送残留情報から推測します》
《対象は保護領域外部に存在する迷宮区画へ排出された可能性が高いと判断します》
「つまり、俺は結界の中。オーガは結界の外にある迷宮へ飛ばされたのか」
《肯定します》
だが、それなら一つ大きな疑問が残る。
「だったら、どうして今こいつが結界の中にいるんだ?」
《対象の身体表面を追加解析します》
コーデックスの青白い光が、オーガ亜種の太い腕へ集まった。
よく見ると、赤黒い皮膚の一部には、何かで強く焼かれたような細長い痕が残っている。
《結界損傷部への接触痕を検出》
《アエテル・ミメシスによって形成された結界亀裂から、保護領域内部へ侵入した可能性が高いと判断します》
「俺たちが開けた、あの大きな亀裂から……」
俺たちが結界に作ってしまったのは、高さ四メートル近く、幅も二メートルを超える大きな裂け目だった。
人間だけでなく、大型の魔物でも通れるほどの穴だ。
《周辺に残る狼型魔物の侵入痕跡も、同一の結界亀裂へ連続しています》
狼型魔物も、目の前のオーガも、俺とミメシスが作った道から入り込んでいた。
『我が主』
ミメシスが、珍しく少し落ち着いた声で呼びかけてきた。
『責任を感じているのか?』
「少しな。俺たちがあの結界を斬らなければ、こいつらは中に入れなかったかもしれない」
『ならば、やるべきことは一つしかない』
「ああ。分かってる」
自分たちが開けた道から侵入したのなら、自分たちの手で止める。
オーガ亜種の右手には、巨大な黒い塊が握られていた。
古代施設の壊れた柱か、あるいは転送設備の一部だろう。
人間の身体よりも太く、数メートルはある残骸を、巨大な棍棒のように軽々と持っている。
『あれは武器か?』
「こんな時まで模倣できるか考えてるのか!」
『重要な確認だ! あれほど巨大ならば、強力な武器になるかもしれん!』
《構造物の破損残骸です》
《武器として製造されたものではありません》
『では模倣できん!』
「本気で残念そうに言うな!」
オーガ亜種が巨大な黒い残骸をゆっくりと持ち上げ、足元を強く踏みしめた。
ドン!
湿った土が大きくへこみ、地面の震えが俺たちの足元まで伝わってくる。
その様子を見た最後の狼型魔物は、完全に戦意を失ったように背中を向け、森の奥へ走り出した。
だが、オーガ亜種の赤い目が一瞬だけその狼を捉える。
太い腕が動き、巨大な黒い残骸が凄まじい勢いで横薙ぎに振り抜かれた。
ドォン!
「ギャッ……!」
周りの木々と一緒に、狼型魔物の身体は何の抵抗もできずに吹き飛ばされて、太い木へ激突した。
幹が大きく揺れ、灰色の身体が地面へ落ちる。
《狼型魔物の生命反応消失》
「やっぱり、こいつらは仲間でも何でもなかったんだな」
《肯定します》
《対象は周囲の生命体を、敵味方の区別なく攻撃する状態であると判断します》
オーガ亜種の赤い目が、再び俺へ向けられた。
「グオオオオオオッ!」
巨大な黒い残骸を肩へ担ぎ、今度こそ俺を優先する標的と定めたように身体を向ける。
『我が主』
「何だ?」
『あれを見ても、本当に無銘刃だけで戦えると思うか?』
俺は無銘刃の黒い刀身と、オーガ亜種の肩や胸を覆う黒い装甲を見比べた。
「……正直、まったく勝てる気がしない」
『ならば宝剣セレスティアを使え!』
記録保管庫で模倣した、上位管理者の護衛に使われる高位武装。
本物の白銀とは異なり、ミメシスが模倣した姿は漆黒だが、実体刃の外側へ青白い魂力刃を形成できる。
その魂力刃には、硬い装甲や魂力防壁さえ切り裂く力がある。
問題は、以前使った時には魂力刃を数秒しか維持できなかったことだ。
「使っても、前みたいに数秒で魂力刃が消えるだろ。あの巨体を数秒で倒しきれるとは思えない」
『数秒あれば十分だ!』
《訂正します》
コーデックスから青白い光が広がり、周囲の森と地面、そしてミメシスを順番に解析した。
《現在地は保護領域内部です》
「それがどうした?」
《周辺空間に高濃度の魂力が滞留しています》
《アエテル・ミメシスへの外部魂力流入を確認》
《宝剣セレスティアの魂力刃形成機構は、前回より長時間維持可能です》
『聞いたか、我が主!』
「どれくらい延びるんだ?」
《周辺魂力濃度が一定ではないため、正確な時間は算出不能です》
《ただし、前回使用時と比較し、十倍以上の維持時間を確保できる可能性があります》
「十倍以上?」
前回、魂力刃はほんの数秒で消えた。
その十倍なら、少なくとも数十秒は維持できる。
戦闘の中では決して長くないが、それでも一撃だけでなく、何度か攻撃できるだけの時間はある。
『これなら最初から最後まで魂力刃を使い続けられるぞ!』
《否定します》
『なぜだ、紙束!』
《魂力刃の維持時間が延長されても、使用者の筋肉、関節、負傷部位へ加わる身体的負荷は軽減されません》
「結局、俺の腕と肩への負担はそのままなのか」
《肯定します》
「だったら長く使いわず、必要な時に集中して使う」
『なぜだ! せっかく長く維持できるのだぞ!』
「途中で俺が剣を振れなくなったら、お前も戦えなくなるだろ」
『……それは非常に困る』
「納得するのが早いな!」
オーガ亜種が、巨大な黒い残骸を頭上へ持ち上げた。
俺は背後に広がる懐かしい森を見る。
少し先には、カコが暮らしてきた家があり、畑や先生と過ごした場所もある。
このまま逃げれば、オーガはそこまで進んでいくかもしれない。
「ケイ」
カコが俺の袖をつかんだ。
「逃げる?」
「逃げても、こいつはたぶん追ってくる」
あの迷宮でも、俺がどこまで逃げても、オーガは転移が発生した場所まで追い続けてきた。
「それに、ここはカコの家がある場所だ。放っていけば、全部壊されるかもしれない」
「戦う?」
「ああ。ここで倒す」
「一人で?」
「違う」
俺はカコを見る。
「今度は一人じゃない。一緒に倒そう」
「うん」
『我もいるぞ!』
《私も対象解析によって支援します》
『よし、全書! 早く弱点を見つけろ!』
《紙束から全書へ呼称が変更されたことを確認します》
『今は細かい分析をするな!』
俺はミメシスを握り直した。
「ミメシス、宝剣セレスティアだ」
『待っていたぞ、我が主!』
黒い靄が無銘刃全体から一気にあふれ出し、細い刀身の形が崩れて、より長く鋭い剣身へと変わっていく。
鍔は左右へ伸び、翼を広げたような形を作る。
刀身の中央には青白い光の線が走り、柄の中央には宝石を模した光の核が形成された。
宝剣セレスティア。
本物の白銀とは異なり、ミメシスが模倣したその姿は漆黒だった。
『完成だ!』
「前に使った時より、最初から光が強くないか?」
刀身の中央を走る青白い線が、脈を打つように明滅している。
さらに、森の中を漂っていた淡い光が、少しずつ刀身へ吸い込まれていった。
《周辺魂力を自動吸収しています》
《保護領域内の魂力循環機能が、宝剣セレスティアの機構を補助しています》
「結界そのものが、ミメシスへ力を貸してくれてるのか?」
《正確には、保護領域内部に滞留している余剰魂力を利用しています》
『同じことだ!』
「たぶん違うけど、今はそれでいい!」
「ケイ」
カコが宝剣を見つめながら、心配そうに俺の肩へ目を向ける。
「身体、痛くない?」
「今はまだ大丈夫だ。でも少しでも痛みが強くなったら言う」
「絶対?」
「約束する」
『我が主は、カコにだけ妙に素直だな!』
「今は黙ってろ!」
オーガ亜種が、巨大な黒い残骸を完全に頭上へ掲げた。
「グオオオオオッ!」
次の瞬間、オーガ亜種が地面を強く踏み込んだ。
ドン!
足元の土が爆発するようにへこみ、三メートルを超える巨体が一気にこちらへ迫ってきた。
「来る!」
「カコ、横へ!」
黒い残骸が、俺たち二人をまとめて押し潰すように振り下ろされる。
「ミメシス!」
『魂力刃を形成する!』
刀身の中央を走る青白い線が一気に強く輝き、森の中を漂っていた淡い光が、吸い込まれるように宝剣へ集まる。
そして、黒い実体刃の外側へ青白い光の刃が伸びた。
《魂力刃形成機構 _ _ 起動》
《周辺魂力との接続を確認》
《外部供給による維持時間延長》
以前とは違い、形成された青白い刃はほとんど揺らぐことなく、安定した形を維持している。
「これなら使える!」
俺は巨大な残骸を正面から受けず、カコの身体を抱えるようにして横へ飛んだ。
直後、黒い塊がすぐ隣の地面へ叩きつけられる。
ドゴォン!
土と石が爆発したように高く舞い上がり、オーガ亜種との戦闘の幕開けだった。




