第6話 黒い剣が気になって眠れない俺を、結界の少女が毎日看病してくれます
カチリ、と黒い剣が鞘の中で鳴った。
昨日の夜、確かにそんな音を聞いた気がする。
だが、それが本当に起きたことなのか、それとも怪我と疲労のせいで見た夢だったのかは分からない。
翌朝、目を覚ましてから暖炉の上の壁へ目を向けても、黒い剣は昨日と変わらない姿で静かに掛けられていた。
鞘も柄も、すべてが黒い。
派手な宝石や金属の装飾は一つもないのに、なぜか部屋の中では、あの剣だけが妙に目についた。
黒い鞘の表面には、銀色の細い線で、見たことのない文字が刻まれている。
昨日見たときから、特に変わったところはない。
「……やっぱり、昨日聞こえた音は気のせいだったのか?」
「何が?」
「うわっ!」
すぐ横から突然声をかけられ、俺の身体が反射的に跳ねた。
その瞬間、まだ治りきっていない右脇へ鋭い痛みが走った。
「ぐっ……! 痛っ……!」
「動かないでって言ったよね」
いつの間に近づいていたのか、寝台のすぐ横にはカコが立っていた。
両手には湯気の立つ木の器を持っており、朝食か薬湯でも運んできてくれたらしい。
「急に真横から話しかけるから驚いたんだよ。せめて来たって分かるように声をかけてくれ」
「急じゃないよ」
「今のはどう考えても急だっただろ」
「三回呼んだ」
「……本当に?」
「うん。ケイって三回呼んだよ」
どうやら、俺は暖炉の上の壁に掛けられた黒い剣ばかり見ていて、カコが近づいてきたことにまったく気づかなかったらしい。
カコは器を小さな机の上へ置くと、俺の胸元へ手を伸ばした。
「包帯、替えるよ」
「ああ。悪いけど、今日も頼む」
カコが俺の身体を少し持ち上げると、胸から右脇にかけて巻かれていた包帯を、ゆっくりと解いていった。
何日も同じ手当てを続けているからか、その手つきにはもう迷いがない。
古い布を外すと、傷の周囲を水で湿らせた清潔な布で丁寧に拭っていく。
「痛い?」
「少しだけ。でも以前よりは、かなり楽になってると思う」
「本当に?」
「本当だって。どうして毎回そんなに疑うんだよ」
「ケイは、歩けないのに歩けるって言ったから」
「寝台の横に立つくらいなら、できると思ったんだよ」
「できなかったよ」
「……結果だけ見れば、そうなんだけどな」
昨日、カコが部屋を出たあと、一人になった俺は少しくらいなら動けると思い、寝台から起き上がろうとした。
両脚を床へ下ろすところまでは成功し、そこまでは問題なかった。
だが、立ち上がった瞬間に身体中へ激痛が走り、脚から力が抜け、そのまま床へ倒れてしまった。
大きな物音を聞いたカコはすぐに駆けつけ、何も言わずに俺を寝台へ戻した。
そしてカコは、かなり長い間、無言のまま俺を見つめ続けた。
怒鳴られるよりも怖かった。
「今日は動かないでね」
「分かってる。今日はちゃんと大人しくしてる」
「本当に?」
「本当だ」
「昨日も同じこと言ってた」
「昨日より反省してるから、今日は大丈夫だ」
カコはしばらく疑わしそうに俺を見つめていたが、やがて少しだけ納得したのか、新しい薬草を傷口へ塗り始めた。
「冷たっ! もう少しだけゆっくり塗ってくれないか?」
「我慢して」
「いや、我慢はするけど、急に触られるとびっくりするんだよ」
「動くともっと痛いよ」
「もう十分痛いって」
「でも、動かなければすぐ終わるから」
「……本当に容赦ないな」
口ではそう言ったものの、カコの手つきはとても丁寧だった。
傷口を刺激しすぎないよう薬草を薄く塗り、ずれないように新しい布を当てると、その上から包帯をしっかりと巻いていく。
手当てには、ずいぶんと慣れているようだった。
「カコは、自分が怪我した時もいつもこうやって治してるのか?」
「小さい傷なら、自分で治すよ」
「じゃあ、大きな怪我をしたことは?」
「一回だけある」
「何をしたんだ?」
「木から落ちた」
「どれくらい高い木だったんだ?」
カコが片手を自分の頭より少し上まで持ち上げた。
「このくらい」
「それくらいなら、大怪我するような高さじゃないだろ」
「木の下に石があった」
「……それは危ないな。どうして木なんかに登ってたんだ?」
「鳥の巣があったから」
「卵を取ろうとしたのか?」
「違うよ。巣が枝から落ちそうだったから、戻そうとした」
「それで鳥の巣を助けようとして、自分が落ちたのか」
「うん」
「……何というか、本当にカコらしいな」
「何が?」
「いや。今のままでいてくれればいい」
「変なの」
誰かを助けようと思ったら、自分が危険かどうかを考えるより先に身体が動く。
俺を森で見つけたときも、カコはきっと同じだったのだろう。
外から来た正体不明の男が、全身を血まみれにして倒れていたのだから、普通なら近づくことさえためらうはずだ。
それでも、カコは俺をこの家まで運んでくれた。
運び方は引きずったらしいが、そのあと傷を洗って包帯を巻き、食事を作りながら、何日も看病を続けてくれている。
「改めて言うけど、本当にありがとうな」
俺がそう言うと、カコの手が止まった。
「何が?」
「俺を助けてくれたこともそうだけど、今も毎日こうやって治療してくれてることだよ」
「昨日も言われた」
「昨日のありがとうとは別だ。今日の分のありがとうだ」
「同じに聞こえるよ」
「だったら、何回言われてもいいだろ。助けてもらってる間は何回でも言うよ」
カコは少しだけ首を傾げると、包帯の端を結び終えた。
「終わったよ」
「ありがとう」
「また言った」
「何回でも言うって、今決めたからな」
「変なの」
そう答えるカコの声は、ほんの少しだけいつもより柔らかく聞こえた。




