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『時環境界と四系統の継承者』  作者: あらけい
第一部 結界の森と、帰る場所

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第57話 五年前の記録を再生したら、先生はカコのもとへ帰ろうとしていました

「見せて」


《再生します》


 中央案内端末の周囲へ青白い光が集まり、何もなかった吹き抜けの中央に、一人の老人の姿がゆっくりと浮かび上がった。


 老人は白い髪に長いひげをたくわえ、泥と埃で汚れた灰色の外套をまとっている。右手には、防衛個体で見たものと同じ黒い輪が装着されていた。


「先生……」


 カコが、息を呑むような小さな声でつぶやいた。


 五年前の記録に映る先生は、今の俺たちと同じように、中央案内端末の前へ立っていた。


 外套は長い旅を続けてきたように汚れ、先生は苦しそうに肩で息をしている。それでも休もうとはせず、黒い台へ右手を置き、必死に何かを操作していた。


「結界制御情報を表示しろ」


【管理補助権限 _ _ 確認】


【結界制御情報 _ _ 一部開示】


 先生の正面へ巨大な立体図が展開され、淡い光で形作られた球体の内側に、森や家、細い川の流れまでが映し出された。


 俺にも見覚えがある。


 それは、カコが長い間暮らしていた巨大な結界と、その内側にある森を表していた。


「保護領域外縁の地上搬送口を表示しろ」


【管理補助権限 _ _ 確認】


【保護領域外縁・地上搬送口 _ _ 検索】


 立体図の外縁に沿って複数の光が浮かび、その中でも森に近い一つだけが、ほかより強く点滅し始めた。


「結界……」


 カコが立体図を見つめながら、ゆっくりと手を伸ばす。


「ここ……」


 細い指が、森の近くで点滅している光を指した。


「ケイが倒れてた場所の近く」


「ああ。俺が最初に目を覚まして、カコと出会った場所の近くだ」


 俺にも、すぐに分かった。


 オーガから逃げた末に転移へ巻き込まれ、気を失った俺が最初に倒れていた森の一角に近い。


【保護領域外縁・地上搬送口】


【施設中層との接続機能 _ _ 有効】


「中層とつながってるのか?」


《肯定します》


 コーデックスが、立体図の横へ浮かびながら答えた。


《ケイが最初に出現した地点は、当該搬送口の近傍であったと判断します》


「俺が落ちた場所の近くに、中層へつながる搬送口があったのか」


 記録の中の先生も同じ場所を見つめ、やがて迷うことなく、黒い台へ手を置いた。


「この場所へ転移する」


【転送先 _ _ 指定】


【保護領域外縁・地上搬送口】


【座標情報 _ _ 確認】


 先生の足元へ、青白い光が少しずつ集まり始めた。


「これで、カコのところへ戻れる」


 その言葉が聞こえた瞬間、カコの肩が小さく震えた。


「先生は……私のところへ戻ろうとしてた」


「ああ。最初から、戻るつもりだったんだ」


 先生は、外縁の搬送口から結界へ戻る方法も知っていたのだろう。


 先生は左手で右手の黒い輪へ触れ、そのまま中央案内端末へ命令を続けた。


「転移を実行しろ」


【転送用魂力 _ _ 収束】


【転送経路 _ _ 構築】


【保護領域外縁・地上搬送口への接続 _ _ 確認】


【転送を実行しますか】


「実行しろ」


 先生の身体を包むように、青白い光が足元からゆっくりと立ち上がっていく。


 転送が始まる直前、誰もいない巨大な塔の中で、先生は静かにつぶやいた。


「待っていてくれ、カコ」


 カコの手が、俺の腕を強くつかんだ。


【転送 _ _ 開始】


 先生の姿が青白い光に包まれ、少しずつ輪郭を失っていく。


 このままなら、五年前の先生は結界の外縁へ戻り、そこからカコのもとへ向かっていたはずだった。


 しかし突然、記録映像全体が大きく乱れた。


 立体図に表示されていた青白い転送経路へ、下方からまったく別の金色の光が伸びてくる。


【警告】


【転送経路への外部介入 _ _ 確認】


「何だ?」


 転送途中の先生が異常に気づき、周囲を見回した。


【介入権限 _ _ 照合】


【権限階級 _ _ 王権】


【現在の転送命令より上位の権限です】


「王権……?」


 ラウルが低い声でつぶやき、俺も思わずカコへ目を向けた。


 カコ自身も何が起きているのか分からないらしく、金色へ変わり始めた転送経路を見つめていた。


 下方から伸びた金色の光が、結界の外縁へ向かっていた青白い転送経路へ絡みついた。


 青白い経路は力ずくでねじ曲げられ、先生の進行方向が地下へ強引に変更されていく。


「経路を戻せ!」


【実行不能】


【王権命令により転送先 _ _ 変更】


「誰の命令だ!」


【識別情報 _ _ 非開示】


【転送先 _ _ 再設定】


【下層王権区画】


「中止しろ!」


【中断要求 _ _ 拒否】


「私は結界へ戻らなければならない!」


【転送経路 _ _ 固定】


【下層への強制転送 _ _ 開始】


 先生が右手の黒い輪を中央案内端末へ押しつけ、必死に操作しようとする。


「管理補助権限で経路を切断しろ!」


【権限不足】


「緊急停止!」


【王権命令 _ _ 優先】


 先生の周囲を満たしていた青白い光が、一気に金色へ塗り替えられていく。


 結界の外縁へ向かっていた青白い経路は、もうほとんど残っていなかった。


「カコが待っているんだ!」


 先生の叫びが、乱れた記録映像の中へ響いた。


「私は、あの子のところへ戻らなければならない!」


 カコの指が、俺の腕へさらに強く食い込む。


【強制転送 _ _ 継続】


「やめろ!」


【転送先 _ _ 下層王権区画】


【転送 _ _ 実行】


 金色の光が先生の身体を完全に飲み込み、映像は一度、暗闇へ閉ざされた。


 俺もカコもラウルたちも声を出せず、ただ次に何が映るのかを見つめ続けていた。


【転送 _ _ 完了】


 記録はそこで終わらず、映像が別の場所へ切り替わった。


 今度は、赤い警告灯だけが明滅する暗い空間が映し出された。その中央では、強制的に転送された先生が、黒い床へ片膝をついていた。


【王権命令による転送個体の到着 _ _ 確認】


【個体情報 _ _ 照合】


【王統情報 _ _ 該当なし】


【王権随伴者登録 _ _ なし】


【転送を実行した王権識別情報 _ _ 非開示】


【不正転送個体として処理】


【最優先拘束対象に設定】


「待て!」


 先生が立ち上がろうとした瞬間、暗闇の中から何本もの青白い光が伸びた。


 光は両腕や両脚、胴体へ一斉に絡みつき、先生の身体を床から持ち上げ、そのまま空中で完全に固定した。


「結界を修復しなければならない!」


【発言 _ _ 記録】


【記憶情報確認のため、拘束区画へ移送します】


「地上搬送口へ戻せ!」


 しかし、先生を拘束する光は弱まるどころか、さらに強さを増していった。


「カコのところへ戻らなければならない!」


 先生の身体が、暗い通路の奥へ少しずつ引きずられていく。


「待っていろ、カコ!」


 最後の声だけを残して先生の姿が暗闇の奥へ消え、そこで五年前の映像は完全に途切れた。


「先生……」


 カコが中央案内端末へ両手をついた。


「捕まったんだ……」


 誰も、すぐには返事ができなかった。


 五年前、先生はカコを置いて逃げたのではなかった。


 結界を修復するための物を探し、それを持って、カコのもとへ戻ろうとしていた。


 だが転送の途中、正体不明の王権命令によって経路を強制的に変更され、下層へ送られたまま警備機構に拘束された。


 帰らなかったのではない。


 帰れなかったのだ。


「そのあと、先生はどうなったの?」


 カコがコーデックスへ尋ねる。


《下層記録への接続を試みます》


 コーデックスのページへ、大量の文字が流れ始めた。


《接続できません》


「分からない?」


《北部転移中継塔から、下層拘束区画へ直接アクセスすることはできません》


「でも、先生の黒い輪は?」


《管理補助端末の最終信号を検索します》


 中央案内端末の透明な板には、残りの稼働時間が表示されていた。


《稼働可能時間 _ _ 残り七分》


『急げ、紙束!』


《現在処理中です》


『もっと早くしろ!』


《処理速度は発言によって向上しません》


『気に入らん!』


 今だけは誰もミメシスの言葉へ反応せず、カコは呼吸さえ忘れたように、コーデックスのページだけを見つめていた。


《微弱信号を検出しました》


「本当?」


 カコが勢いよく顔を上げた。


《送信元 _ _ 下層拘束区画》


《管理補助端末の識別情報 _ _ 一致》


「先生の黒い輪?」


《肯定します》


「先生は、生きてる?」


《管理補助端末からの信号のみでは、所有者本人の生存を……》


 コーデックスの言葉が途中で止まった。


「何?」


《追加情報を確認しました》


《拘束装置の生命維持機能 _ _ 稼働中》


《収容個体の生命反応 _ _ 微弱》


 カコが目を見開く。


「生きてる?」


《同一人物であると完全に断定することはできません》


《ただし、先生の管理補助端末が存在する拘束装置内部に、現在も生命反応を確認しています》


「先生だ」


 カコは迷わなかった。


「絶対に先生だ」


 その声は震えていたが、目だけは強く前を向いていた。


「先生が生きてるなら、助けに行く」


「ああ」


 俺はカコの隣へ立った。


「今度こそ、一緒に迎えに行こう」


「うん」


 カコが強く頷く。


「先生が、私のところへ戻ろうとしてくれたから」


 カコは、中央案内端末に残る暗い映像を見つめた。


「今度は、私が先生を迎えに行く」

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