第44話 村長に事情を話したら、五年前に先生がこの村へ来ていました
治療所を出ると、外ではまだ何人もの村人が、俺たちの様子を遠巻きに見守っていた。
俺たちが姿を見せた瞬間、それまで聞こえていた話し声が少しだけ小さくなる。
「見て」
「あの子、髪がきれい」
「遺跡の中で暮らしていたのか?」
「本がついてきてる」
「剣もだ」
カコが、再び俺の服を掴んだ。
「見られてる」
「気にしなくていい。俺も大勢に見られるのは苦手だから、前だけ見て歩こう」
「ケイも苦手?」
「ああ」
「なら、一緒」
「そうだな」
村長の家へ向かって歩いている途中、先ほどの少年――ルカが、家の陰からそっと顔を出した。
今度は、母親に見つからないよう隠れているつもりらしい。
「ねえ」
「また来たのか?」
「その女の子、名前は?」
ルカがまっすぐカコを見ると、カコは少しだけ俺の後ろへ隠れた。
「自分で聞いたんだから、急かさず待ってやってくれ」
「うん」
ルカは本当に何も言わず、カコの返事を待っていた。
カコもそんなルカの顔をじっと見つめ、しばらく二人とも黙ったままだった。
「……カコ」
やがて、カコが小さな声で答えた。
「カコっていうの?」
「うん」
「僕はルカ」
「知ってる」
「どうして?」
「さっき、呼ばれてたから」
「聞いてたんだ」
「うん」
ルカが近づいてきて、手に持っていた赤い小さな実を差し出した。
「これ、あげる」
「どうして?」
「村に来た人には、みんな渡すから」
「嘘をつくな、ルカ」
すぐ横を歩いていたラウルが、淡々と指摘した。
「そんな決まりはない」
「今日から決めた」
「勝手に決めるな」
それでもルカは赤い実を差し出したまま、カコをじっと見つめていた。
カコは困ったように、俺へ視線を向ける。
「もらっていいの?」
「くれるって言ってるんだから、もらっていいと思うぞ」
カコは恐る恐る手を伸ばし、ルカから赤い実を受け取った。
「ありがとう」
「甘いよ」
「毒は?」
「ないよ!」
「先生は、知らない実を食べるなって言ってた」
「村で育ててるやつだから大丈夫だよ!」
ルカが、自分の持っていた別の赤い実を口へ放り込んだ。
「ほら」
「本当に食べた」
「だから甘いって」
それを確認してから、カコも赤い実をひと口かじった。
すると、その目が少しだけ大きくなる。
「甘い」
「でしょ?」
「森の木苺より甘い」
「もっとあるよ」
「ルカ!」
遠くから、母親の呼ぶ声が聞こえた。
「また勝手に近づいて!」
「行かなきゃ」
ルカは走り去りながら何度も振り返り、カコへ向かって大きく手を振った。
カコはどうすればいいのか分からないように、その手をじっと見つめていた。
「ああいう時は、こうやって返すんだ」
俺が手を振って見せると、カコも真似するように小さく手を動かした。
それを見たルカは嬉しそうに笑い、そのまま母親のもとへ走っていった。
「話せたな」
「うん」
「怖かった?」
「少し」
「今は?」
カコは、手の中に残っている赤い実へ目を落とした。
「少しだけ、平気」
◇
村長の家は村の中で最も大きな建物だったが、それでも結界内にあるカコの家を二回りほど広くした程度だった。
中へ入ると、広い部屋の中央には大きな木の机が置かれ、その奥には白髪の老人が静かに座っていた。
細身の身体で、顔には深い皺が刻まれている。しかし、こちらを見つめる目には強い光が宿っていた。
老人の左右には二人の村人が控え、ラウルは入口近くに立った。
「座りなさい」
老人が静かに言った。
「私は、この村の長を務めるオルドだ」
「ケイです」
「カコ……です」
『アエテル・ミメシスだ!』
《コーデックス・アエテルヌムです》
オルドの目が、コーデックスへ向けられた。
「もう一度、その名を聞かせてもらえるか」
《コーデックス・アエテルヌム》
《アエテルヌム文明に関する記録を保存する全書です》
部屋にいた村人たちが、小さく息を呑んだ。
「全書……」
「伝承に残っているものか?」
「本当に存在していたのか」
オルドが右手を上げると、周囲はすぐに静かになった。
「まず確認したい」
「はい」
「お前たちは、第三遺跡の内部から出てきたのか?」
「そうです」
「あの入口は、我々の伝承では閉ざされた出口とされている」
「中から手動で開けました」
「では、どこから遺跡へ入った?」
俺がカコを見ると、カコもこちらを見返した。
どこまで話すべきか迷い、すぐには答えられなかった。
誰も出入りできない巨大な結界に覆われた森で、カコはずっと一人で暮らしていた。そのことを簡単に他人へ話していいのか、俺には判断できない。
《回答を推奨します》
コーデックスが言った。
「この人たちを信用しても大丈夫なのか?」
《現時点では判定不能です》
「信用できるか分からないのに、話した方がいいのか?」
《虚偽を述べた場合》
《以後の説明との間に矛盾が生じる可能性が高いためです》
『融通の利かん紙束だ!』
「でも、嘘をつかない方がいいのは確かだな」
俺は改めて、オルドへ目を向けた。
「俺たちは、巨大な結界の内側から来ました」
その瞬間、部屋の空気がわずかに変わった。
「結界?」
「森全体を囲んでいるような巨大な結界です」
「場所は?」
「正確には分かりません」
「分からない?」
「俺自身は、別の迷宮から飛ばされて、そこへ落ちました」
「飛ばされた?」
「転移装置みたいなものに巻き込まれて、気づいたらその結界の中にいたんです」
説明しながら、自分でもかなり怪しい話だと思った。
「その結界の中に、カコがいました」
オルドの視線が、カコへ向けられた。
「結界の中で暮らしていたのか?」
「うん」
「家族は?」
「いない」
「ほかの住人は?」
「いない」
周囲にいた村人たちが、小さくざわめいた。
「ずっと一人で?」
「前は先生がいて、二人で暮らしていた」
カコが答える。
「先生とは?」
「私を育ててくれた人」
「名は?」
「知らない」
「顔は覚えているか?」
「白い髪、長いひげ、灰色の外装、右手に黒い輪をつけてた」
その瞬間、オルドの表情がほんのわずかに変わった。
小さな変化だったが、何かを知っているように感じられる反応だった。
「その人を知っているんですか?」
俺が尋ねても、オルドはすぐには答えなかった。
「続けなさい」
カコは、自分の膝の上で両手を強く握り締めた。
「先生は、結界を直すものを探しに外へ出た」
「いつ頃だ?」
「分からない」
「季節は?」
「木の葉が赤くなる少し前」
「何年前か分かるか?」
「雪の季節が、五回来た」
その答えを聞いたオルドがラウルへ視線を向けると、ラウルも何かを思い出したように眉を寄せた。
「五年前だ」
オルドが、低い声で呟いた。
「その頃、この村へ一人の老人が来た」
カコは、すぐに顔を上げた。
「先生?」
「同じ人物かどうかは、まだ断定できない」
「どんな人?」
「白い髪、長いひげ、灰色の外套、そして……」
オルドが、自分の右手首を指さした。
「黒い金属の輪を身につけていた」
カコが、勢いよく立ち上がった。
「先生」
「待て、カコ。まだ同じ人だと決まったわけじゃない」
「でも、先生はここに来た」
「可能性は高い」
「どこに行ったの?」
カコはオルドの答えを待っていたが、その声はわずかに震えていた。
「それを話す前に、まだ確認しなければならないことがある」
「何?」
「その老人は、自分のことを先生とは名乗らなかった」
「何て言ったの?」
「名も告げなかった」
「ただ……」
オルドは当時を思い返すように、ゆっくりと言葉を続けた。
「結界を維持するための素材を探している、とだけ話した」
「やっぱり先生だ」
カコの握り締めた指が、わずかに震えていた。
「何を持っていったんですか?」
「導魂晶」
《魂力伝達効率の高い結晶体です》
コーデックスが説明する。
「それがあれば、結界を直せる?」
《損傷部位によっては、修復部品として使用できます》
「先生は、それを持って結界へ帰った?」
オルドは、少しだけ目を伏せた。
「村からは持ち出した」
「じゃあ、戻った?」
「分からない」
「どうして?」
「老人はこの村から北へ向かった、第三遺跡とは反対方向だ」
カコは、言葉を失った。
「反対……」




