第4話 森で一人暮らしの少女に助けられたら、家の外は結界で出られませんでした
少し身体の痛みが落ち着いたところで、俺は改めて、寝かされている部屋の中をゆっくりと見回した。
そこは木で造られた小さな家で、俺が横になっているのは、乾燥させた草を詰めた簡素なベッドだった。
窓の近くには薬草を干すための紐が何本も張られ、棚には置物や瓶、布、見慣れない道具が並んでいる。
質素ではあるが、どれも綺麗に手入れされており、この場所で誰かが長く暮らしてきたことがよく分かった。
部屋の奥にある暖炉では小さな火が燃えており、その上の壁には、一つだけ他とは明らかに違う物が掛けられていた。
それは一本の剣で、鞘まで含めてすべてが黒い。
派手な宝石や装飾はないのに、なぜか目を離しにくく、部屋の中でその剣だけが異様な存在感を放っていた。
「……あの黒い剣、ずいぶん変わった雰囲気だな」
「触らないで」
カコが、すぐに答えた。
「触らないよ。今の身体じゃ、あそこまで歩くこともできないし」
「ならいい」
「あれは誰の剣なんだ?」
「分からない」
「持ち主も分からない剣を、どうして家の壁に掛けてるんだ?」
「ずっとあるから」
「ずっとって、いつからだ?」
「私が小さい頃から」
カコはそれ以上話す気がないらしく、黒い剣から視線を外すと、水の入った木の器を俺へ差し出した。
「飲む?」
「ああ。喉がすごく乾いてたから助かる」
身体を起こそうとすると、カコがすぐに背中へ腕を回して支えてくれた。
「ゆっくり起きて」
「悪い。自分で起きようとすると、脇腹がかなり痛むんだ」
「こぼさないでね」
「大丈夫だって。俺は子供じゃないんだから……」
そう言って飲もうとした直後、器が僅かに傾き、水が胸元へこぼれた。
「……」
「何か言ってくれ、その顔で黙られる方が恥ずかしい」
「子供じゃないんだよね?」
「今は怪我人だから仕方ないだろ」
「便利な言葉だね」
「さっき頭をぶつけた仕返しか?」
「何のこと?」
表情は変わらなかったが、口元がほんの少しだけ上がっているように見えた。
水を飲み終えると、カコが器を元の場所へ戻した。
「それで、ここがカコの家なのは分かった。でも、場所としてはどの辺なんだ?」
「森の中」
「それも窓を見れば分かるんだけど、もう少し広い範囲で聞いてるんだよ」
「じゃあ、何が知りたいの?」
「そうだな。まず俺は、どこで倒れてたんだ?」
「森の中」
「あそこはやっぱり森の中だったんだな」
「空から落ちてきた」
「俺が落ちるところを見てたのか?」
「見てない。でも、大きな音がした」
カコは、窓の外へ視線を向けた。
「すごく大きな音だった」
「どれくらい?」
「家が少し揺れた」
「俺が落ちただけで家まで揺れたのか……よく生きてたな、本当に」
「見に行ったら、木の枝が何本も折れてたよ」
「それ、全部俺が折ったのか?」
「たぶん」
「森にも迷惑をかけたな」
「木だから大丈夫」
「木だったら折れてもいいのか?」
「また生えるから」
「あは、痛っ……」
思わず笑った拍子に脇腹が痛んだ。
「だから、俺を笑わせないでくれ」
「面白いことを言ってない」
俺は、この子が天然なのだと思った。
ふと、転移の途中で手放した剣のことを思い出した。
「そうだ。俺が落ちてた近くに、剣はなかったか?」
「剣?」
「安物の片手剣だ。途中で手から離れたんだけど」
「折れた剣なら落ちてたよ」
「やっぱり折れてたのか……」
初めて自分で働いて稼いだ金で買った武器で、安物ではあったが、それでも思い入れがある。
「捨てた方がいい?」
「いや。できれば残しておきたい」
「物置に置いてあるよ」
「本当か? ありがとう。壊れてても、あとで見せてもらえると嬉しい」
「もう使えないと思うよ?」
「それでもいいんだ。俺にとっては最初の剣だから」
カコは少し不思議そうにしていたが、それ以上は何も聞かなかった。
俺は改めて、部屋の中を見回した。
「ところで、ほかの人は今どこにいるんだ?」
「いないよ」
「外へ出かけてるって意味か?」
「違う」
「……この家には、カコ一人しか住んでないのか?」
「うん」
「家族は?」
「いない」
「じゃあ、近くに村とか町はないのか?」
「見たことない」
「……見たことがない?」
「うん」
あまりにも普通に答えられ、俺は一瞬言葉を失った。
この年齢の少女が、森の中にある一軒家で一人きりで暮らしている。
「カコは、ずっと一人でここに住んでるのか?」
「今は一人」
「『今は』ってことは、前には誰かいたんだな?」
「先生がいた」
「先生?」
「私を育ててくれた人」
「その先生は、今どこにいるんだ?」
カコは、少しだけ視線を下げた。
「外へ行った」
「外って、この森の外か?」
「うん」
「いつ戻る予定なんだ?」
「分からない」
短い答えだったが、その声はさっきまでよりも少しだけ小さかった。
「どれくらい前に出ていったんだ?」
「ずっと前」
「それなら、カコが探しに行こうとは思わなかったのか?」
「行けない」
「どうして?」
カコは、窓の外へ視線を向けた。
「ここは、結界の中だから」
「……結界?」
結界という言葉自体を知らないわけではなく、魔術師が作る防壁や、魔物を防ぐためのものだと理解していた。
だが、カコが言う結界は、俺が想像していたような小さな防壁とは違うらしい。




