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『時環境界と四系統の継承者』  作者: あらけい
第一部 結界の森と、帰る場所

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第26話 黒い本と黒い剣が喧嘩している間に、狼型魔物が増えていました

『なんだと! 今、我のことを非論理的だと言ったのか!』


《はい。非論理的だと申し上げました》


『聞こえている! 我が気に入らんのは、その上から目線の言い方だ!』


《私は事実を述べたまでです》


『紙束のくせに偉そうにするな!』


《武装のくせに必要以上の大声を出さないでください》


『我はただの武装ではない!』


《分類上、あなたは武装です》


『我はアエテル・ミメシス! 永劫の模倣と呼ばれたアーティファクトだぞ!』


《個体名称と自己評価を述べても、分類そのものは変化しません》


『貴様ぁ……!』


 黒い剣と、宙に浮かぶ一冊の黒い本。


 二つが出会ってから、まだ一分も経っていない。


 それなのに、何年も争い続けてきた宿敵のように、最初から全力で言い争っている。


 俺は黒い剣を見たあと、宙に浮かんでいる黒い本へ目を向けた。


 どちらも古代文明の遺物らしい。


 それだけなら、もっと神秘的で静かな出会いになると思っていた。


 少なくとも、出会ってすぐに「紙束」と「武装」で罵り合うとは思わなかった。


「止めなくていいの?」


 カコが俺の服の裾を握ったまま、小さな声で尋ねてきた。


「どうやって止めるんだ? 片方は剣で、もう片方は空を飛ぶ本だぞ」


「分からない」


「俺も分からない。下手に間へ入ったら、今度は両方から文句を言われそうだ」


『我が主よ!』


 ちょうどそのとき、ミメシスが俺へ向かって大声を上げた。


『この無礼な紙束を、今すぐ真っ二つに斬ってよいか!』


《却下します》


「いや、お前に聞いてないだろ」


《斬られる側として、拒否する権利があります》


『紙束に権利などあるものか!』


《それでは、剣にも権利は存在しません》


『我にはある!』


《根拠を提示してください》


『我があると言ったらあるのだ!』


「……やっぱり、止めなくてもいいか」


「うん」


 カコが小さく頷いた。


 俺たちが完全に放っておくことに決めても、ミメシスとコーデックスは互いに譲らず、しばらく言い争いを続けていた。


 やがて、先に言葉を止めたのはコーデックスの方だった。


《質問があります》


『逃げる気か、紙束!』


《現在、私が優先して会話を行うべき対象は、あなたではありません》


『なんだと!』


《カコ》


 宙に浮かんでいた本が、ゆっくりとカコへ向きを変えた。


 開かれたページから淡い青白い光が伸び、カコの身体を静かに照らす。


「私?」


《確認します》


《あなたは、この施設の管理責任者ではありませんね》


「違うと思う」


《曖昧な回答です》


「管理責任者が何なのか分からないから」


《回答を修正します》


《あなたは、自身が管理責任者であるという認識を持っていない》


「うん。それなら合ってる」


《では、あなたをここへ連れてきた人物は、現在どこにいますか》


 その質問を聞いた瞬間、カコの表情がわずかに変わった。


「先生のこと?」


《先生という呼称だけでは、個体を特定するには不十分です》


「名前は……」


 そこで、カコの言葉が止まった。


「カコ、先生の名前を知らないのか?」


「先生は、先生だったから」


「一度も名前を聞かなかったのか?」


「聞いたことはあるよ。でも、教えてくれなかった」


 先生はカコを育て、あの巨大な結界の中で長い間ともに暮らしていた。


 そして、結界の外へ出たまま戻らなくなった人物だ。


 けれど、カコは先生の本当の名前を知らなかった。


《では、外見情報を提示してください》


「白い髪だった」


 カコが記憶を辿るように答える。


「長いひげもあった」


「背は、ケイより少し高かったよ」


《ケイとは誰ですか》


「あ、俺だ。名前はケイ」


《承知しました》


「先生は、いつも灰色の外套を着てた。それと……」


 カコは少し考え込む。


「右手首に、黒い輪をつけてた」


 その言葉を聞くと、コーデックスのページが、誰も触れていないのに次々とめくられ始めた。


《記録を検索します》


《該当候補 _ _ 複数》


《記録領域の損傷により、詳細照合不能》


「分からないの?」


《現時点では、個体の特定は不可能です》


 その答えを聞くと、カコの肩が少しだけ下がった。


《ただし》


「何?」


《右手首の黒い輪が管理補助端末であった場合、その人物は本施設へ出入りする権限を所持していた可能性があります》


「先生は、ここに来たことがあるの?」


《この記録保管庫への入室は確認されていません》


「ここには来てない?」


《肯定します》


《提示された外見情報に該当する人物の入室履歴は存在しません》


「じゃあ、別の場所へ行ったの?」


《可能性があります》


《管理補助端末を使用し、記録保管庫を経由せず、別区画へ移動したと推測されます》


「今も、この施設のどこかにいる?」


《不明です》


「……生きてる?」


《不明です》


 その声は感情に乏しく、淡々としていた。


 カコの指が、俺の服を少し強く握った。


「もう少し、言い方ってものがあるだろ」


《事実と異なる回答を行うことはできません》


「それは分かるけど……」


《希望を与えるためだけの虚偽は、以後の判断を誤らせる可能性があります》


「……それも、分かる」


 冷たい言い方には聞こえたが、言っていること自体は間違っていなかった。


 カコも、それ以上は何も言わなかった。


「じゃあ、別のことを聞く。この場所について教えてくれ」


 俺は宙に浮かぶ黒い本を見る。


《質問を具体化してください》


「まず、ここは何なんだ?」


《記録保管庫です》


「それは入口にも書いてあった。俺が知りたいのは、この迷宮全体が何なのかってことだ」


《訂正します》


《ここは迷宮ではありません》


「違うのか?」


《本施設は、アエテルヌム文明によって建造された複合管理施設です》


「複合管理施設?」


《記録保管》


《結界制御》


《武装格納》


《生命情報管理》


《転送経路管理》


《その他、複数の機能を有していました》


「『有していました』って、過去形なんだな」


《現在は、その大半が停止しています》


「どうして止まった?」


《記録領域が損傷しているため、正確な原因については回答できません》


『役に立たんな、紙束!』


 ミメシスがすかさず割り込んできた。


《記憶の大部分を失っている武装からの評価は不要です》


『貴様も記録を失っているではないか!』


《私は損傷しています》


『我も損傷しているのかもしれん!』


《あなたは損傷というより、初期化に近い状態です》


『……なぜ分かる?』


 それまで騒がしかったミメシスの声が、急に鋭くなった。


 コーデックスのページには、青白い文字が高速で流れていく。


《アエテル・ミメシス》


《対王権用模倣武装》


《個体情報を部分的に照合》


『我を知っているのか?』


《記録上の存在として認識しています》


『ならば、我の過去も知っているのか!』


《関連記録は存在します》


『ならば今すぐ見せろ!』


《拒否します》


『なぜだ! 我自身の記録だぞ!』


《現在のあなたには閲覧権限がありません》


『我自身についての記録なのにか!』


《記録の所有権と、閲覧権限は別です》


『意味が分からん!』


「俺にも少し分からない」


《情報を保護するための処置です》


「何から守るんだ?」


《権限を持たない者からです》


「本人でも駄目なのか?」


《武装は本人ではありません》


『我は我だ!』


《あなたは武装です》


『またそれか、この紙束め!』


 再び二つの言い争いが始まりかけた、その瞬間。


 俺たちが入ってきた部屋の入口が、外側から激しく揺れた。


 ドン!


「グルアアアッ!」


 閉ざされた扉の向こうから、狼型の魔物の咆哮が響いた。


 続けて、鋭い爪が黒い扉を何度も引っかく。


 ガリガリガリッ!


「……そうだった。外にまだ何匹もいるんだったな」


『今のところ、扉は破られていない』


「『今のところ』って付けるな。余計に不安になるだろ」


 コーデックスが、ゆっくりと入口の方へ向きを変えた。


《外部隔壁への複数回の衝撃を確認》


《室外個体数 _ _ 七》


「七匹もいるのか!?」


《訂正します》


《現在、明確に確認できる個体が七体です》


「増える可能性がある言い方をするな!」


《既に二体が追加接近中です》


「本当に増えた!」


『九体程度ならば、我がすべて斬ってやる!』


「一匹を倒すだけであれだけ苦戦したのを、もう忘れたのか!」


『長槍を得た今の我は、先ほどまでとは違う!』


「使うのは俺なんだぞ! 今の身体で九匹なんて絶対無理だ!」


 右脇や胸、肩には、先ほどの戦闘で負った傷の痛みがまだ残っている。


 両腕にも、力が完全には戻っていなかった。


 今すぐ同じ魔物九匹と戦えと言われても、どう考えても勝ち目はなかった。

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