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『時環境界と四系統の継承者』  作者: あらけい
第一部 結界の森と、帰る場所

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131/133

第131話 先生が目を覚ましたので、空から落ちてきた俺との出会いから説明しました

 しばらくして、先生は治療槽から出され、背もたれのついた治療用の椅子へ移された。


 椅子の左右から伸びた支えが、先生の痩せ細った身体を優しく固定する。


 もちろん、まだ自力では立てない。


 長期間まともに動かせなかった身体は、意識が戻ったからといって、すぐ元通りになるわけではなかった。


 手足はまだ驚くほど細く、背もたれがなければ、座った姿勢を保つことさえ難しそうに見える。


 それでも、第三封鎖牢で見つけたときよりは、顔色も呼吸も明らかに安定していた。


《長時間の会話は推奨しません》


《対象は依然として長期的な治療、および段階的な身体機能回復を必要とします》


「分かっている。少し話をするだけだ」


《理解していない人間ほど、そのように回答する傾向があります》


「……口が悪いな、コーデックス。私は目を覚ましたばかりなのだぞ」


《肯定します》


「目覚めたばかりの人間へ、もう少し手加減をしてくれてもよいだろう」


 先生が小さく笑う。


 まだ弱々しい笑みだったが、それは第三封鎖牢で浮かべたものと同じだった。


 その笑顔を見て、カコもようやく少しだけ笑った。


 やっとだ。


 ここ数日、ほとんど消えていたいつものカコの表情が、ようやく戻ってきた。


「さて」


 先生が、治療用の椅子の周りに集まった俺たちを見る。


「聞きたいことは山ほどある。私がいなくなってから、お前たちに何があったのか、最初から教えてもらおう」


「最初から?」


「ああ。途中を省かれても困る。私が知らない時間を、できるだけ全部聞きたい」


 カコが俺へ目を向け、俺もその視線をまっすぐに返した。


「……どこから話す?」


「だから最初からだ。私がいなくなってから起きたことを、順番に話せばいい」


「すごく長くなるよ?」


「構わん。時間だけは長いことあり余っていたからな」


 先生は何でもないことのように言った。


 その言葉に、カコの表情が僅かに曇る。先生はそれに気づいたのか、すぐに話を進めようとした。


《長時間の会話は推奨しません》


「お前は少し黙っていてくれないか?」


《拒否します。対象の健康管理は継続します》


『はっ! 目を覚ました直後から紙束に怒られておるではないか!』


《現在この場で、最も不要なのはミメシスの発言です》


『何だと!?』


「二人とも、先生の前で喧嘩しないで」


『……承知した』


《了解しました》


 先生が目を丸くし、ミメシス、コーデックス、カコの順に視線を移す。


 そして最後に、俺を見た。


「……いつもこうなのか?」


「最初より悪化してます。最近は、放っておくとずっと喧嘩してます」


『我が主! 誰かのせいであるかのように言うな!』


《事実です》


「ほら、こういう感じです」


 カコは小さく笑い、先生へ向き直った。


「じゃあ、本当に最初から話すね」


「ああ。聞かせてくれ」


「最初はね。結界内にケイが空から落ちてきたの」


「……何?」


 先生がゆっくりと俺へ視線を向けた。


 一言目からその反応である。この先を全部話し終える頃には、先生はもっと疲れているかもしれない。


「いや、俺にもどうしてそうなったのかは、今でもよく分からないんですけど」


「空から落ちてきた?」


「はい」


「古代文明が作った結界の中へ?」


「はい。気づいたら落ちてました」


「あり得ん。あの結界は外部から侵入できる構造ではない」


「俺もそう思うんですけど、実際に落ちたので……」


『そして我が主は、そこで我と運命的な出会いを果たしたのだ!』


《訂正します》


《ケイを最初に発見し、治療したのはカコです》


『そこが今重要なのか!?』


《事実関係は重要です》


『話の腰を折るな!』


「えっとね。ケイが落ちてきて、すごい怪我をしてたから私が治したの」


「ああ。そこまでは分かった」


「それで、家にあったミメシスをケイが持った」


『ここだ! 我と我が主の運命が……』


《正確には、暖炉上に保管されていた武装を確認し、カコの許可を得て手に取りました》


『最後まで言わせろ!』


「それからね。私たちは結界の外へ出ようとした」


 その言葉を聞いた瞬間、先生の顔に僅かに残っていた笑みが消えた。


「……結界の外へ?」


「うん」


「どうやって出た」


 カコが俺へ目を向ける。


 俺はその視線から、少しだけ目を逸らした。


「……斬りました」


「何をだ?」


「結界をです」


「……」


 沈黙が落ちた。


 治療区画には、先生の状態を監視する装置の作動音だけが響いている。


「今、結界を斬ったと言ったのか?」


「はい」


「お前が?」


「はい」


 先生はしばらく何も言わず、それからゆっくりとカコへ視線を向けた。


「カコ」


「なに?」


「この男は、本当に人間なのか?」


「たぶん」


「たぶん!?」


「おい、カコ! そこは迷わず人間って言ってくれ!」


『ははははは! さすが我の使い手だ。普通の人間にできぬことを平然とやってのける!』


《補足します》


《結界切断はミメシスの構造干渉能力と、ケイ固有の異常な侵入条件が重なった結果です》


『余計な説明をするな! 我と我が主が凄かった。それだけでよい!』


《情報を意図的に単純化し、自身に有利な形で表現する行為を、一般的に誇張と言います》


『喧嘩を売っておるのか、紙束!』


《事実を述べています》


「話、続けてもいい?」


 カコがそう告げると、二人とも黙った。


 それから俺たちは、先生の知らない時間について少しずつ話していった。


 結界の外へ出たあと、初めて本格的に魔物と戦ったこと。


 二人で見知らぬ森を進み、古代文明の遺跡を発見したこと。


「それでね。複数の狼型魔物に襲われそうになったから、記録保管庫ってところに入ったの」


「待て」


 先生が途中で止めた。


「記録保管庫に入れたのか?」


「カコの王統血統で入れました」


「つまりお前たちは、訳も分からずに古代遺跡へ裏口から侵入したのか?」


「結果だけ言えば、そうなります」


 先生はゆっくりと両手を上げ、その顔を覆った。


 目を覚ました直後にこんな話を聞かせて、本当に良かったのだろうか。


「先生?」


「いや……もういい。続けてくれ。おそらく、この先も同じような話が続くのだろう」


「何で分かったんですか?」


「何となくだ」


 俺たちはさらに、遺跡の中でコーデックスを見つけたことを話した。


『拾ったのだ!』


《訂正します。発見後、適切に確保されました》


『台の上に置かれていたものを持ってきたのだから、拾ったでよかろう!』


《わたくしは落とし物ではありません。保管されていました》


『だから、そこから拾ったのだ!』


《確保です》


「もうどっちでもいいだろ」


『よくない!』


《重要です》


「そこだけ息ぴったりだな!」


「本当に仲が良いのだな、お前たちは」


『なんでこいつと!?』


《心外です》


 否定の言葉までぴったりと重なった。


 先生が笑うたび、カコの表情も少しずつ明るくなっていった。


 俺たちはさらに、六本の腕を持つ巨大な防衛機構と戦ったことや、森を抜けた先で古代文明を神のように祀る村へ辿り着いたことを話した。


 一度結界へ戻ったあと、俺が斬った裂け目から魔物が入り込み、結界そのものにも異常が起き始めていたこと。


 それを直すために古代施設へ入り、中層まで進んだこと。


 そしてそこで、先生によく似た管理人格と出会ったことも。


「……私に似た管理人格だと?」


「うん。すごく先生に似てた」


「どの辺りがだ?」


「すごく厳しかった」


「……そうか」


「何回も怒られた」


「そうか」


「いっぱい勉強させられた」


「……そうか」


 先生の声が、ほんの少しだけ震えた。


 先生は僅かに視線を伏せ、痩せた指を自分の膝の上で重ねた。


 カコはそれに気づかなかったのか、それとも気づいたうえで何も言わなかったのか。


 ただ、先生の椅子のすぐそばに立ったまま、そこから離れようとはしなかった。

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