第129話 「先生を治療したあとは、傷だらけの俺が治療される番でした」
カコは、先生を収容した治療装置の前から動かなかった。
黒い外装の表面では、命の状態を示す青白い光が、一定の間隔でゆっくりと明滅している。
【長期治療 _ _ 継続中】
先生の姿はもう外から見えない。
それでもカコは、閉じた装置の向こうに先生の顔が見えているかのように、瞬きもせず青白い光を見つめ続けていた。
「カコ」
「私はここにいる」
「先生が起きるまで、ずっといるつもりか?」
「うん。起きるまでここにいる」
「長い治療になるかもしれないぞ」
コーデックスは、長期治療が必要だと言っていた。
先生が再び目を覚ますまで、どれほどの時間がかかるのかは分からない。数時間で済むのか、それとも何日も必要になるのか、今の俺たちには判断できなかった。
「それでもいる」
カコは迷わず答えた。
その両手は、先生の手を握っていたときと同じ形のまま、胸元で固く結ばれている。
治療装置へ預けるため、自分から離した手だった。それでも指先には、先生の温もりがまだ残っているのかもしれない。
装置の内部から低い作動音が聞こえるたび、カコの視線が青白い光の動きを追った。
表示が一つ切り替わるだけで僅かに肩を強張らせ、それが異常を示すものではないと分かると、小さく息を吐いている。
五年間、帰ってこない先生を一人で待ち続けたのだ。
ようやく見つけた今、たとえ装置一枚を隔てた場所であっても、先生のそばから離れたくないのだろう。
「……分かった」
俺は治療装置の前まで歩き、カコの隣へ腰を下ろした。
冷たい黒い床へ座った瞬間、左脇腹に鈍い痛みが走ったが、顔には出さないようにする。
カコは少し驚いたようにこちらを見た。
「ケイ?」
「俺もここにいる。先生を連れて帰るって言っただろ」
先生を見つけることができたからといって、約束を果たしたことにはならない。
治療を終えた先生をこの施設から連れ出し、カコと一緒に村へ帰る。そこまでやって、ようやく本当に先生を助けたと言える。
だから俺も、先生が目を覚ます瞬間までここにいたかった。
カコのそばにいるためでもあるが、俺自身も、先生の目がもう一度開くところを確かめたかった。
カコはしばらく俺の顔を見つめたあと、視線を少し下へ動かした。
「ケイの怪我は?」
「それはあとで治せばいい」
「駄目」
「え?」
「今すぐ治療して」
「今から?」
「今」
短い言葉だったが、断ることを許さない強さがあった。
「でも、先生がまだ……」
「ケイも助ける人の中に入れるって約束したよね」
その言葉で、俺は何も言えなくなった。
以前、傷ついた俺が自分のことを後回しにしようとしたとき、カコは俺も助ける相手に含めるように言った。
その場を収めるために返した約束ではない。
先生を連れて帰るのと同じように、俺自身も無事に帰る。それがカコと交わした約束だった。
先生を助けるためなら、自分の傷など後回しでいいと思っていた。
だが、それでは五年前、一人で先生の帰りを待っていたカコに、今度は俺の帰りまで待たせることになる。
そんなことを、カコが許すはずもなかった。
カコが身体ごと俺へ向き直り、まっすぐに目を見る。
「忘れた?」
「……覚えてる」
「だったら治療して」
「はい。分かりました」
『完全に逆らえなくなったな、我が主』
「うるさい」
《極めて適切な判断です》
「お前まで言うなよ」
俺は観念して両手を床につき、ゆっくりと立ち上がった。
その瞬間、頬を温かいものが伝った。
「ん?」
汗にしては流れる場所がおかしい。
手で触れて確かめると、指先に赤い血がついていた。
どうやら六眼監守機との戦いで、いつの間にか頬を切っていたらしい。
痛みはほとんど感じていなかったが、傷口から流れた血が頬の上で乾きかけている。
改めて自分の身体へ目を向ける。
腕にも服の裂け目があり、その下には細長い傷が残っていた。肩に巻いていた布も一部が赤く染まり、左脇腹には乾いた血が広がっている。
先生を見つけることだけを考えていたせいで、傷がどれほど増えているのか、きちんと確認していなかった。
《解析を実行します》
コーデックスから伸びた青白い光が、俺の身体を上から下まで一度通過した。
《頬部裂傷》
《左上腕部裂傷》
《肩部損傷》
《左脇腹 _ _ 再出血を確認》
《全身複数箇所に打撲》
「並べられると、余計にひどく聞こえるな……」
《実際に複数の負傷を確認しています》
「少しくらい言い方を柔らかくしてくれてもいいだろ」
「……改めて見ると、結構やられてたんだな」
「ケイ、今まで気づいてなかったの?」
「戦ってる時は気にしてる余裕がなかったからな」
六つの目で動きを予測する監守機を相手に、自分の傷を一つずつ確かめる余裕などなかった。
戦いが終わったあとも、そのまま第三封鎖牢へ向かい、先生を見つけて治療区画まで運んできた。
痛みを意識しないようにしていたというより、気づく暇がなかったという方が正しい。
カコが、ものすごく嫌そうな顔をした。
眉を僅かに寄せ、俺の傷と顔を交互に見ている。
「何だよ、その顔」
「やっぱりケイは無茶する人だと思った」
「そこまで嫌そうに言わなくてもいいだろ!」
『正しい評価だ』
《極めて正確です》
「お前らまで一緒になって言うな!」
カコがほんの少しだけ笑った。
その笑顔には、先生と再会した直後の涙も、治療結果を待つ不安も残っている。
それでも、先ほどまで治療装置だけを見つめていた表情が、僅かに柔らかくなっていた。
俺も、治療装置の中で眠る先生へ目を向けた。
青白い光は変わらない間隔で脈打ち、治療が今も続いていることを示している。
ずっと探し続け、カコも長い間待ち続けてきた人を、ようやく見つけることができた。
だが、まだ終わりではない。
先生をここから連れ出し、みんなで村へ帰る。
カコが守り続けてきた家へ先生を連れていき、五年間言えなかった「おかえり」を、今度はあの家でもう一度言う。
そのためにも、まずは俺たち自身が無事に帰れる状態へ戻らなければならない。
俺が傷を放置したまま倒れれば、カコに余計な心配をかけるだけだ。先生が目を覚ましたときに俺まで別の装置で長期治療を受けていたら、何を言われるか分からない。
「空いてる治療装置は使えるんだよな?」
《使用可能です》
《ケイの負傷状態を解析後、必要な治療を開始します》
「分かった」
俺は、先生の治療装置と少し離れた場所にある、もう一基の黒い装置へ向かった。
その外装にも細い青白い線が走り、俺が近づくと左右へゆっくりと開いていく。
「……やるっきゃ、ないだろ⤴︎」
「何を?」
「治療だよ。ちゃんと治してから帰る」
「それは普通に治療して」
「……はい」
『治療を受けるだけで、なぜ決戦へ向かうような顔をしているのだ』
「こういう装置に入るのは、何度やっても慣れないんだよ!」
《生命の危険がある処置ではありません》
「分かってるけど、見た目が怖いんだよ!」
背後から、カコの小さな笑い声が聞こえた。
俺はもう一度だけ振り返り、先生の治療装置のそばにカコがいることを確かめる。
「治療が終わったら、すぐ戻るからな」
「うん。待ってる」
今度の「待ってる」は、いつ終わるとも分からない五年間の待ち時間ではない。
俺が治療を終えれば、すぐにまたここへ戻ってこられる。
そして先生も、治療が終わればきっと目を覚ます。
先生を連れて帰り、今度こそ誰も置いていかないためにも、まずは俺たち自身が無事に帰れる身体へ戻しておかなければならない。
俺は覚悟を決め、開いた治療装置の中へ足を踏み入れた。




