第128話 第三封鎖牢から先生を連れ出したら、五年ぶりに「ただいま」を聞けました
《搬送設備を確認しました》
コーデックスの声と同時に、牢の入口脇にある壁の一部が音もなく開いた。
「今度は何が出てくるんだ?」
壁の奥から現れたのは、黒い板状の装置だった。
最初はただの板に見えたが、床から僅かに浮かび上がったその形は、寝台に近い。
表面を何本もの青白い線が走り、先生の身体を受け止めるように、左右から低い支えがせり上がった。
【拘束対象搬送台】
「その名前、嫌」
《設備名称の変更はできません》
「先生はもう拘束対象じゃない」
《現在、拘束状態は解除されています》
「だったら名前も変えて」
《正確には、元拘束対象です》
「もっと嫌」
「今は名前くらい我慢しろ。先生を安全に運べるなら、何でもいいだろ」
「……それもそうだね」
「納得するの早!」
俺たちは先生の身体を両側から支え、慎重に搬送台へ寝かせた。
背中が板へ触れる直前、先生の身体が青白い光に包まれる。硬そうに見えた表面が身体の形に合わせて僅かに沈み、痩せ細った身体を静かに受け止めた。
カコは先生の頭がぶつからないように片手を添え、横になったあとも心配そうに顔を覗き込んでいた。
「自分で歩ける」
「さっき、全然歩けてなかった」
「一歩は進んだ」
「そのあと倒れた」
先生は何か言い返そうとしたが、途中で諦めたように息を吐いた。
「……昔はもう少し素直だった気がするのだが」
「誰が?」
「お前だ」
「先生も昔は、もっと私の言うことを聞いたよ」
「誰の言うことだ」
「私の」
「それはない」
「ある」
「ない」
「絶対ある」
「カコ」
「何?」
「私は今から治療するのだろう」
「うん。だから大人しくしてて」
「分かった」
「……素直」
「お前よりはな」
「……」
「カコ?」
「言い返す言葉を考えてる」
「今はやめてやれ。先生は本当に弱ってるんだから」
搬送台が音もなく浮かび上がった。
床との間に青白い光が薄く広がり、先生の身体をほとんど揺らすことなく、通路の奥へ向かって動き始める。
「行こう。今度こそ先生を治療する」
「ああ。ここから連れて帰ろう」
カコは搬送台のすぐ横を歩きながら、先生の手をずっと握っていた。
少しでも離せば、先生が再び手の届かない場所へ連れていかれると恐れているようだった。
◇
第三封鎖牢を出ると、搬送台は倒れた六眼監守機の横を通り過ぎた。
砕けた装甲の破片が黒い床へ散らばり、その中心では、破壊された魂力核が完全に光を失っている。
先生が僅かに顔を動かし、胸部を大きく破壊された巨体を見つめる。
先ほど俺たちの説明を聞いたからか、今度は何も尋ねなかった。
ただ、俺とカコ、それからミメシスとコーデックスへ順番に目を向け、安心したように小さく息を吐いた。
カコが一人で戦ったのではないことを、その目で確かめているように見えた。
やがて俺たちは昇降機へ入り、先生を乗せた搬送台もそのまま運び込んだ。
全員が乗り終えると、扉がゆっくりと閉じた。
《上昇を開始します》
低い作動音とともに、昇降機がゆっくりと上へ動き始めた。
僅かな振動が足元から伝わり、壁に刻まれた青白い線が下へ流れていく。
第三封鎖牢が少しずつ遠ざかっていくのを感じ、ようやく先生をあの場所から連れ出せたのだと実感した。
カコは先生の手を握ったまま、離そうとしない。
「先生、もう寝てもいいよ」
「さっきは寝るなと言っていたではないか」
「今は治療区画へ向かってるから、少しならいい」
「随分と勝手だな」
「うん。今は私が決める」
「……そうか」
「でも、ちゃんとあとで起きてね」
「寝るのか、起きているのか、どっちだ」
「治療してから、ちゃんと起きて」
先生がゆっくりと目を開いた。
青銀色の瞳にはまだ力が戻っていない。それでも、先生は自分の手を包んでいるカコの指を確かめるように見つめた。
「カコ」
「何?」
「私は……本当に帰れるのか」
弱い声だったが、その問いだけは、はっきりと聞こえた。
五年間も牢へ閉じ込められていた先生にとっては、今もまだ、ここから出られることが信じられないのかもしれない。
カコは答える代わりに、先生の手をさらに強く握った。
「帰れるよ。私が絶対に連れて帰る」
「そうか」
「私だけじゃない。ケイもいる」
「ええ。ちゃんと一緒に連れて帰ります」
『我もいるぞ!』
《わたくしも同行します》
「みんなで帰るから、もう一人で頑張らなくていいよ」
その言葉を聞いた先生の指が、ほんの僅かに動いた。
カコの手を握り返そうとしたのだろう。ほとんど力は感じられなかったが、カコにはきちんと伝わったらしい。
それを聞いて、先生はゆっくりと目を閉じた。
「それなら……少し眠る」
「うん。今は寝ていいよ」
「カコ……」
「何?」
「今度こそ……」
先生の声が、ほとんど聞こえないほど小さくなる。
「……ただいま」
カコの瞳から、大粒の涙が落ちた。
その涙は二人の重なった手へ落ち、先生の細い指を濡らした。
「うん」
握った手を離さないまま、カコが小さく笑う。
五年間ずっと言えなかった言葉を、今度こそ先生へ届けるように。
「今度こそ、本当におかえり」
◇
総合制御室へ戻ると、俺たちはそのまま緊急治療区画へ向かった。
搬送台は俺たちが歩く速さよりも僅かに速く、迷うことなく黒い通路を進んでいく。
カコは一度も先生の手を離さず、その速度に合わせて隣を歩き続けた。
先生を乗せた搬送台が、黒い治療装置の前で停止する。
《治療対象を確認します》
コーデックスから伸びた青白い解析光が、先生の全身を走った。
《生命維持機能 _ _ 低下》
《長期栄養不足》
《脱水》
《筋力低下》
《複数の旧損傷》
《魂力回路損耗》
《長期拘束による影響 _ _ 確認》
表示される項目が増えるたび、カコの表情が少しずつ強張っていく。
ここへ来るまで先生が生きていることだけを信じて進んできた。ようやく会えたというのに、その身体へ刻まれた五年間の傷が、青白い文字となって次々と示されていく。
「コーデックス、ちゃんと治る?」
《治療処置は可能です》
「治療できるかじゃなくて、治るの?」
《現時点で、完全回復を断言することはできません》
「コーデックス」
カコの声が僅かに震えた。
《ですが……》
新しい青白い文字が浮かんだ。
《生命反応 _ _ 維持可能》
《生命危険域 _ _ 離脱優先》
《長期治療 _ _ 不可避》
「先生、助かる?」
《最善を尽くします》
「違う」
カコが治療装置の前へ立ち、まっすぐコーデックスを見る。
涙の痕はまだ頬に残っていたが、その淡い青銀色の瞳は、もう揺れていなかった。
「最善じゃなくて、先生を助けて」
コーデックスが一瞬だけ沈黙した。
《……承知しました》
黒い治療装置の外装が、左右へゆっくりと開いた。
内部に並ぶ細い機械腕が伸び、先生の身体を搬送台から静かに持ち上げる。
カコは最後まで握っていた手を、先生の指先が離れる直前になって、ようやく放した。
その手を放すことを、カコがどれほど恐れていたのかは、隣にいた俺にも分かった。
それでも今は、先生を助けるために治療装置へ預けるしかない。カコは伸ばしかけた手を胸元で握り、動かずに見守った。
先生の身体が、治療装置の中へ慎重に移されていく。
先生を収容した黒い外装が閉じると、何百本もの細い青白い光が内部を走り、その身体全体を包み込んだ。
外から先生の姿は見えなくなったが、装置の表面には命を示す青白い光が絶えず脈打っている。
カコはその光を見つめながら、もう一度だけ小さく呟いた。
「絶対に助けて」
【長期治療 _ _ 開始】




