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『時環境界と四系統の継承者』  作者: あらけい
第一部 結界の森と、帰る場所

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126/127

第126話 五年ぶりに会えた先生を、今度こそ連れて帰ります

「……大きくなったな、カコ」


 弱々しくも確かな先生の声が、静まり返った第三封鎖牢に響いた。


 カコはその場から動けず、先生も壁にもたれたまま、立ち上がろうとはしなかった。


 二人は離れていた五年を埋めるように、ただ互いの顔を見つめていた。


「……先生、本当に先生なの?」


「ああ。たぶん……そうだ」


「何でそこで、たぶんなの?」


「長い間、鏡を見ていないからな。今の自分がどんな顔をしているのか分からん」


「そういう意味で聞いたんじゃない!」


 カコの声が、静かな牢の中へ大きく響いた。


 先生はその怒り方を聞き、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「その怒り方は、昔から何も変わっていないな」


 その一言を聞いた瞬間、カコの身体がようやく動いた。


 先生へ向かう足取りは一歩ごとに速くなり、最後には完全に駆け出していた。


「カコ、待て! 先生はかなり弱ってるんだぞ!」


「先生!」


「ぐっ……!」


「ほら、言ったそばから!」


 止めるには遅かった。


 カコがそのまま先生へ抱きつき、痩せ細った身体が倒れかける。


 俺は慌てて二人の間へ腕を伸ばし、先生の背中を支えた。


「カコ、弱ってるのは見れば分かるだろ! 全力で飛びつくな!」


「全力じゃない! ちゃんと力は抑えた!」


「今ので抑えてるのかよ!?」


「半分くらい!」


「十分強いだろ!」


『相変わらずだな、小娘は』


《力加減に改善が見られません》


「二人とも、今は黙ってて!」


『む……』


《了解しました》


 カコは先生へ抱きついたまま、なかなか離れようとしなかった。


 先生も最初は驚いたように両手を浮かせていたが、やがて震える片手を、ゆっくりとカコの淡いプラチナ色の髪に置いた。


「……本当に、大きくなったな」


 細くなった指が、長い髪を確かめるようにゆっくりと撫でていく。


 その温もりを感じたのか、カコの肩が小さく震えた。


「遅いよ。先生、帰ってくるのが遅すぎる」


「……ああ」


「すぐに戻るって言った。少し待っていれば帰ってくるみたいに言った」


「ああ……そう言ったな」


「だから、ずっと待ってたんだよ」


 先生の手が止まった。


「毎朝起きたら、今日は帰ってくるかもしれないって思ってた」


「……」


「夜になったら、明日こそ帰ってくるかもしれないって思った」


「……」


「ずっと、ずっと待ってた」


 カコの指が、先生のぼろぼろになった服を強く握った。


 先生は何も言わず、しばらく目を閉じた。


「……すまなかった」


「それだけじゃ足りない、何年待ったと思ってるの?」


「正確には分からない」


「私は数えてたよ。でも途中でやめた。数えてると、どんどん苦しくなったから」


 先生はしばらく何も言わず、ただカコの髪を何度もゆっくりと撫で続けた。


「本当に……すまなかった」


「一回じゃ足りない」


「まだ足りないのか」


「いっぱい言って」


「……すまなかった」


「もっと」


「すまなかった」


「もっと言って」


「カコ」


「何?」


「その前に少しだけ……休ませてくれ」


「え?」


 次の瞬間、先生の身体から力が抜け、カコへもたれかかった。


「先生!」


「コーデックス、すぐに先生の状態を調べてくれ!」


《解析を開始します》


 黒い本が大きく開き、青白い解析光が先生の全身を包んだ。


《生命反応 _ _ 微弱》


《長期栄養不足》


《水分不足》


《筋力 _ _ 著しく低下》


《複数の旧損傷》


《魂力回路 _ _ 長期拘束による損耗》


《緊急治療を推奨します》


「治療できるんだよな!?」


《治療設備まで搬送する必要があります》


「だったら今すぐ運ぶぞ!」


《了解しました》


「先生、聞こえる? ちゃんと目を開けて」


 カコが先生の顔を覗き込んだ。


「ああ……聞こえている」


「寝ないで。治療するまで寝たら駄目」


「無茶を言うな。今は……とても眠い」


「それでも駄目!」


「少しだけだ。ほんの少し眠るだけだ」


「その言い方……」


 カコの淡い青銀色の瞳に、また涙が浮かんだ。


「私と同じこと言ってる」


「誰に似たのだろうな」


「先生に決まってるでしょ!」


 先生は、また少しだけ笑った。


「大丈夫だ」


「大丈夫じゃない。大丈夫って言う人ほど大丈夫じゃないって、ケイを見て知ってる」


「何で急に俺の名前が出るんだよ!?」


 突然名前を出され、思わず声が大きくなった。


 先生の視線が、ゆっくりと俺へ向けられた。


「……お前が、ケイか」


「え? 俺のことを知ってるんですか?」


「先ほどの通信だ。カコが何度も呼んでいた」


「そんなに呼ばれてました?」


『何度も呼ばれていたぞ』


《非常に多い回数でした》


「戦ってたんだから仕方ないだろ!」


「ケイ、先生を運んで」


「分かった。俺が運ぶ」


「絶対に落とさないでね」


 ようやく取り戻した先生を、もう二度と失いたくないのだ。


 俺は先生の腕を自分の肩へ回そうとした。


 その動きに合わせて左脇腹の傷が鈍く痛んだが、今は気にしていられない。


 だが、その前に先生が小さく手を上げた。


「待て。私は歩ける」


「本当に歩けるんですか?」


「当然だ」


 先生は壁へ手をつき、ゆっくりと両脚へ力を入れた。


 一歩踏み出そうとした直後、その膝が折れる。


「先生!」


「危ない!」


 俺とカコが同時に先生を支えた。


「全然歩けてないよ」


「床が悪い」


 その言葉を聞いた瞬間、俺とカコは同時に動きを止めた。


「……カコ」


「何?」


「先生、前のカコとまったく同じこと言ってるぞ」


「私はそんなこと言ってない」


「言ってた。床が悪いって絶対に言ってた」


《記録上、カコも同一内容の発言をしています》


「コーデックス!」


『見事な師弟だな』


「違う!」


 先生が弱々しく顔を上げた。


「……私が育てたからな」


「そこは納得するんですか?」


「ケイ」


「何です?」


「私に敬語は必要ない」


「え?」


「カコがお前に敬語を使っていないのだろう」


「それが基準なんですか?」


「なら、お前も同じでいい」


「いや、でも急にそう言われても……」


「先生がいいって言ってるんだから、普通に話せばいいよ」


「カコは黙ってろ。急に切り替えるのは結構難しいんだよ!」


 先生が、また小さく笑った。


 だが、その直後、激しく咳き込んだ。


「……ごほっ、ごほっ」


「先生!」


《会話を中断してください。対象の消耗が進んでいます》


「分かった。もう話させない方がいいな」


 俺はカコへ顔を向けた。


「カコ、お前も先生に話しかけるなよ」


「分かった! もう黙る!」


「……大きくなっても、そこは変わらんな」


「ちゃんと変わったところもあるよ。ちゃんと大きくなったし、強くもなった」


「ああ……そうだな」


 先生の声は、今にも途切れそうなほど弱かった。


 それでも、その言葉だけは、はっきりとカコへ届いていた。


「……うん」


 カコは涙を拭わず、先生の手を強く握った。


 五年間、ずっと待ち続けていたその手を、今度こそ決して離さなかった。

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