第125話 第三封鎖牢の奥で、先生はカコを待っていました
第三封鎖牢の扉は、想像していたよりもはるかに大きかった。
黒い壁の中央に、高さ六メートルほどもある巨大な扉がそびえ立っている。
見上げなければ上端まで視界に収まらず、左右の端も壁の暗がりへ溶け込んでいた。
王家を示す華美な装飾も、王冠の紋章もない。代わりに、封鎖を示す古代文字が扉の表面へ何重にも刻み込まれていた。
ここが誰かを守るための部屋ではなく、決して外へ出さないために造られた牢だということだけは、説明されなくても分かった。
カコは扉を見上げたまま、静かに足を止めた。
「ここ……なんだね」
《第三封鎖牢です》
「先生は?」
《内部に生命反応を確認しました》
カコの手が僅かに震えた。
ここへ辿り着くまで、カコは何度も先生の名を呼んでいた。
それでも、扉一枚を隔てた場所に本当にいると分かった今は、すぐに次の言葉が出てこないようだった。
「生きてる?」
《生存していると判断します》
「本当に、先生なんだよね?」
《第三封鎖牢内部に、少なくとも一名の生命反応を確認しています》
コーデックスにも、その生命反応が先生本人なのかまでは断定できないらしい。
それでも、五年前に先生が送られた場所は、この第三封鎖牢で間違いない。
「……そっか」
カコは小さく呟き、扉へ一歩近づいた。
「カコ、ゆっくりでいい。ここまで来たんだ。焦らなくても、もう先生のところへ行ける」
「分かってる」
「走るなよ。まだ消耗が残ってるんだからな」
「今は走ってないよ」
「念のため言っただけだ」
「ケイ、血」
「あ」
言われて左脇腹へ目を向けると、服の裂け目に巻いた布へ、また僅かに血が滲んでいた。
ここまで歩いてきたことで、治療したばかりの傷が少し開いたらしい。
「……先生を助けたあとで、ちゃんと治してもらう」
「約束して」
「約束する。だから今は、先生を迎えに行こう」
カコが俺を見る。
「破ったら?」
『約束を破ったら、我が主を斬る』
「またそれかよ! お前、誰の武器なんだ!」
《今回は有効な抑止方法と判断します》
「コーデックスまで賛成するな!」
カコがほんの少しだけ笑った。
張りつめていた表情が、その一瞬だけ柔らかくなる。
だが、再び巨大な扉へ顔を向けたときには、その笑みはもう消えていた。
カコは一度だけ深く息を吸い、それから扉にそっと手を触れた。
触れた指先から細い金色の光が広がり、幾重にも刻まれた古代文字の隙間を走っていく。
【第三封鎖牢】
【旧王拘束命令 _ _ 接続断絶】
【解錠許可 _ _ 確認】
【開門可能】
「開けて。中にいる人を助けたい」
【開門】
ゴォォォォ――。
長い間閉ざされていた巨大な扉が、重い音を響かせながら左右へゆっくりと開いていく。
黒い床から細かな埃が舞い上がり、足元へ低い振動が伝わってきた。
扉の隙間から流れ出した空気は冷たく、長い間、外の空気と触れていなかったような重さがあった。
何年、いや、どれほど長い年月、この扉が閉ざされていたのか、俺には想像もできない。
カコは開いていく扉の前から、一歩も動かなかった。
広がっていく隙間の奥を、瞬きもせずに見つめ続けている。
やがて扉が完全に開いた。
その向こうには、ほとんど光のない暗闇が広がっていた。
「先生?」
カコの呼びかけが暗闇の中へ吸い込まれるが、返事はない。
カコが一歩、扉の奥へ踏み込んだ。
「カコ、待て。一緒に入る」
「先生?」
俺の声は届いていないようだった。
カコはさらに一歩、暗い牢の中へ進んだ。
足取りは慎重なのに、少しでも早く奥へ行こうとしているのが分かる。
「先生を見つけたいのは分かるけど、一人で先へ行くなって!」
俺も左脇腹を押さえながら、その後を追う。
《内部照明を補助します》
コーデックスの開かれたページから青白い光が広がり、暗かった牢の内部を少しずつ照らしていく。
最初に浮かび上がったのは、継ぎ目のない黒い床だった。
続いて、光を吸い込むような冷たい壁と、天井から垂れ下がった細い鎖が見えてくる。
人が長く暮らすことなど、最初から考えられていない場所だった。
片隅には水を入れるための容器が置かれていたが、その内側は乾ききっている。
奥には簡素な寝台もあった。
薄い敷物は乱れておらず、長い間、誰かが横になった形跡も見当たらない。
だが、そこに人の姿はなかった。
「……いない?」
カコの声から、僅かに力が失われた。
《生命反応は存在します》
「どこ?」
問い返す声は、さっきよりも強かった。
コーデックスの青白い光が向きを変え、牢のさらに奥へ伸びていく。
黒い床をなぞり、寝台の脇を通り過ぎ、光がほとんど届かなかった一番奥を照らした。
そこに、黒い影が見えた。
最初は、ぼろ布か何かが積み重ねられているだけだと思った。
だが、違う。
誰かが、壁にもたれかかるように座っていた。
両脚を投げ出し、顔を伏せたまま、ほとんど身動きもしていない。
身体はひどく痩せ、髪は肩を越えて長く伸びている。
ぼろぼろの服から覗く両腕には、拘束具によるものらしい痕が幾重にも残っていた。
青白い光が近づいても、その人影はすぐには顔を上げなかった。
それでも、僅かに上下する胸が、その人が今も生きていることを示している。
五年という時間が、その身体から少しずつ力を奪ってきたのだろう。
それでも先生は、この光が届く瞬間まで、ここで生き続けていた。
その姿を見た瞬間、カコの足が止まった。
進みたくても進めないように、床へ縫い止められたまま動かなくなる。
「……先生」
今度の呼びかけは、消えてしまいそうなほど小さかった。
壁際の人影の指先が、僅かに動いた。
続いて伏せられていた顔が、本当にゆっくりと持ち上がっていく。
長い暗闇の中へ突然差し込んだ青白い光に目を細め、何度か眩しそうに瞬きを繰り返す。
やがて、その視線がカコへ向けられた。
淡いプラチナ色の長い髪と、青銀色の瞳。
胸元には、先生の手帳が大切そうに抱えられていた。
先生が残した言葉を読みながら、五年間守り続けてきた手帳だ。
目の前に立つカコは、もう先生が最後に見た頃の小さな子供ではない。
一人で家を守り、先生の帰りを待ち、やがて俺たちとともに自分の意思でここまで辿り着いた。
カコは、呼びかければ消えてしまう幻ではないかと恐れているように、ただ先生を見つめ続けていた。
先生を助けると言い続け、どれほど傷ついても前へ進んできたカコが、今はたった一歩を踏み出せずにいる。
それほどまでに、この瞬間を待ち続けていたのだ。
冷たい牢の中で、長い沈黙が流れる。
俺も何も言えなかった。
ここまで来たのだから声をかけてやるべきなのかもしれない。それでも、五年ぶりに向き合った二人の間へ、俺の言葉を挟んではいけない気がした。
やがて、先生の乾いた唇が僅かに動いた。
「……大きくなったな、カコ」




