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『時環境界と四系統の継承者』  作者: あらけい
第一部 結界の森と、帰る場所

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120/129

第120話 帰る場所が二つに増えた直後、六つ目の怪物に出迎えられました

 カコは再び小さく「そっか」と呟いた。


 降下を続ける昇降機の中に、重い沈黙が流れる。


 俺は何か言おうとしたが、今はどんな言葉も違う気がして、声を出せなかった。


 そのとき、背中のミメシスが不意に声を上げた。


『我が主よ、何をそんなに難しく悩んでいるのだ』


「簡単に言うなよ。どっちも大事だから悩んでるんだろ」


『ならば簡単ではないか』


「何が簡単なんだよ?」


『帰る場所が一つ増え、二つになっただけだ』


 俺が思わず肩越しにミメシスの柄を見ると、カコも同じように視線を向けた。


『帰る場所を一つしか持ってはならぬと、一体誰が決めたのだ』


「……お前、たまに本当にすごいことを言うよな」


『たまにとは何だ! 我は常に正しいことしか言っておらぬ!』


《珍しく、極めて有益な発言です》


『紙束! 貴様まで「珍しく」と言うな!』


 カコがミメシスの柄を見ながら、少し迷うように尋ねた。


「帰る場所って、二つあってもいいの?」


『なぜそれを我に聞く』


「今そう言ったの、ミメシスだから」


『……ならば、二つあってもよいのではないか?』


「急に適当になったな」


『少なくとも、答えを出せぬまま悩み続ける我が主よりはましだ!』


「そこまで言わなくてもいいだろ!」


 カコがほんの少し笑い、それを見た俺もつられるように笑った。


 元の世界へ本当に帰れるのかも、帰れるとしたらどうするのかも、まだ分からない。


 それでも今は、無理に一つの答えを決める必要はないのかもしれない。


「とりあえず今は、先生を助けることが一番先だな」


「うん。まず先生を迎えに行く」


「そのあとで、帰ることについてはちゃんと考える」


「本当に考えてくれる?」


「ああ。今度は誤魔化さない」


「あとでって言って逃げない?」


「逃げないって」


「また聞くからね」


「分かった。ちゃんと答えられるように考えておく」


「絶対だよ?」


「はい、分かりました」


『我が主よ、小娘に完全に尻に敷かれておるではないか』


「うるさい。今それを言うな!」


     ◇


《第三封鎖牢まで、残り二層です》


 コーデックスの声が響く。


 昇降機はさらに深い場所へ降り続け、透明な壁の外に広がる景色も少しずつ変わっていった。


 これまで無数に見えていた魂力管や巨大な機械が、次第に減っていく。代わりに、何重にも重なる分厚い黒い隔壁が目立ち始めた。


 途中には、完全に押し潰された通路もあった。


 その周囲では、青白い古代文字だけが暗闇の中で静かに点滅している。


「だんだん、本当に牢獄みたいな場所になってきたな」


《この先は、第三封鎖牢へ続く封鎖区画です》


「先生は、こんな暗い場所の奥にずっと閉じ込められてたんだね……」


 カコの声が少しずつ、小さくなっていった。


「もうすぐだ。できるだけ急いで迎えに行こう」


「うん。今度こそ先生のところまで行く」


 そのとき、降下を続けていた昇降機が、突然ガクンと大きく揺れた。


 低い衝撃音とともに、その場で停止する。


「着いたの?」


《否定します。目的階層には到達していません》


「じゃあ、なんで途中で止まったんだ?」


 コーデックスのページに、青白い文字が高速で流れ始める。


《現在、停止原因を確認しています》


 昇降機が停止した階層には、一本の通路が延びていた。


 だが、透明な壁の向こうに見える通路は、完全な暗闇に沈んでいる。警告灯のような光さえ見当たらなかった。


「もしかして、昇降機が壊れた?」


《機構上の故障は確認されていません》


「故障じゃないなら、どうして勝手に止まった?」


《外部から停止信号を受信しました》


 その答えを聞き、俺はミメシスの柄へ手を伸ばした。


「外部って、誰がこの昇降機を止めたんだ?」


《発信元は現在不明です》


 そのとき、昇降機の外からガンッという重い音が響いた。


 カコが驚いたように、こちらを振り向く。


「今の音、何だったの?」


「分からない。でも、ただの機械音には聞こえなかった」


『かなり重い何かが動いている音だな』


 再び重い音が響いた。


 今度は先ほどよりも、明らかに近い場所から聞こえた。


 俺はいつでも抜き放てるようにミメシスの柄を握り、カコも緊張した表情で暗闇の奥を見つめた。


「先生が通信で言ってたよね。牢の外には、まだ王命とは別のものがいるって」


「ああ。たぶん、今近づいてきてるのがそれだ」


 その瞬間、コーデックスが突然開いた。


《警告します》


「今度は何を見つけた!」


《第三封鎖牢外周区画において、独立防衛機構の稼働を確認しました》


「総合制御室の権限で止められないのか?」


《対象は、旧王命令層および総合制御室の通常制御系統へ接続されていません》


「つまり、止められないってことか?」


《現状では停止できません》


 その直後、誰も操作していないはずの昇降機の扉が、ゆっくりと開き始めた。


「おい、なんで勝手に扉が開いてるんだ!」


《わたくしによる操作ではありません》


「だったら、すぐに閉めろ!」


《閉鎖命令が拒否されています》


「誰に拒否されてるんだよ!」


 返事を待つ間もなく、昇降機の扉が完全に開いた。


 その先には、光一つない通路が続いている。


 赤い警告灯はおろか、壁や床の輪郭さえほとんど見えなかった。


「本当に何も見えないね……」


 カコが小さく呟いた瞬間、暗闇の奥に一つの赤い光が灯った。


「……今の、目か?」


 続いて二つ目、三つ目の光が灯る。


 さらに四つ目、五つ目、六つ目と、異なる高さに赤い光が次々と現れた。


 位置も高さも少しずつ違っている。


 それでも、その六つすべてが俺たちへ向けられていることだけは、はっきりと分かった。


「コーデックス、先生が言ってた独立防衛機構っていうのは……」


 暗闇の奥で、巨大な何かが動いた。


 重い金属を床へ擦りつける音を響かせながら、その巨体がゆっくりと立ち上がる。


《おそらく……》


 六つの赤い目が、一斉に強く輝いた。


《これです》

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