第118話 王位はいらないけど、使える権限は使います
しばらくして、俺の身体を固定していた治療装置の黒い外装が、ゆっくりと左右へ開いた。
「……もう治療は終わったのか?」
《緊急治療処置は完了しました》
恐る恐る上体を起こし、左脇腹へ手を当てる。
身体を軽くひねり、深く息を吸ってみた。
「お……ちゃんと動けるな」
さっきまで左脇腹の奥へ突き刺さっていたような痛みは、かなり薄れていた。身体を動かしたり呼吸したりしても、以前のような鋭い痛みはほとんど感じない。
「すごいな。こんな短時間で、ここまで動けるようになるのか」
《左脇腹の筋繊維損傷および肋間筋の過負荷を修復しました》
「これで完全に治ったと思っていいのか?」
《否定します》
「違うのかよ!」
《戦闘行動は可能ですが、完全に回復したわけではありません。短時間に同じ部位へ過度な負荷を加えた場合、再損傷する危険があります》
「分かった。しばらく左脇腹へ無茶な負荷をかけなければいいんだな」
《本当に理解しましたか?》
「なんでそこで疑うんだよ!」
《過去の行動履歴に基づく判断です》
『紙束にすら信用されておらぬな、我が主』
「じゃあ、お前は俺を信用してるんだろうな?」
『当然だ。我は我が主を心の底から信じているぞ!』
「おお、珍しく良いことを言うじゃないか」
『必ず無茶をすると信じている!』
「悪い意味で信用してるだけじゃないか!」
隣の治療装置も開き、カコがゆっくりと上体を起こした。そのまま治療台の縁から足を下ろそうとする。
「カコ、いきなり立ち上がるなよ。まだ魂力は戻り切ってないんだからな」
「まだ立ってないよ」
「今から立とうとしてただろ」
「……ばれた?」
「見てれば分かる!」
そのとき、カコが小さく声を漏らした。
「あ……」
「どうした? どこか痛いのか?」
カコは治療装置の黒い外装に映った自分の顔を見つめ、目元へ指を伸ばした。
王統能力の発動によって金色に輝いていた瞳から、少しずつ光が薄れていく。やがて、いつもの淡い青銀色へ戻った。
「瞳の色、元に戻った」
「ああ。いつものカコの目に戻ってる」
続いて、黄金色に染まっていた長い髪からも、毛先を伝うように金色の輝きが消えていった。
髪全体が元の淡いプラチナ色へ戻ると、カコはその一房を手に取って確かめた。
「髪も全部、いつもの色に戻ったみたい」
「本当だな。見た目はもう、普段のカコに戻ってる」
「変じゃない?」
「何も変じゃないよ。いつものカコだ」
「……金色だったときは?」
「あれも似合ってたよ。かなり綺麗だった」
その瞬間、カコの顔が一気に赤くなった。
「……なんでまた今、そういうこと言うの?」
「聞いてきたのはカコだろ?」
「私は、金色が変じゃなかったか聞いただけ」
「だから、似合ってたって答えただけじゃないか」
「そうだけど、言い方が違う」
「じゃあ、なんて答えれば正解だったんだよ!」
『我が主よ』
「今度はなんだ、ミメシス」
『我が主は戦闘中でも治療中でも、まったく変わらぬな』
「だから、なんの話だよ?」
《本人に自覚がないため、説明しても理解できない可能性があります》
「お前までなんの話をしてるんだよ!」
泣いたあとのカコの目元には、まだわずかに赤みが残っていた。
それでも、その顔に小さな笑みが浮かんでいるのを見て、俺はようやく胸を撫で下ろした。
◇
治療を終えた俺たちが再び総合制御室へ戻ると、中央制御柱の周囲は、最初に訪れたときとは大きく変わっていた。
床を走っていた赤い旧王命令線はほとんど消え、代わりに施設深部から目覚めた金色の原初制御線が、部屋全体へ広がっている。
上空にあった王冠型ホログラムも、以前のように王冠の扉の上には浮かんでいなかった。
今は中央制御柱の前に立つカコの頭上へ移動し、まるで彼女を新たな主として示すように輝いている。
「この王冠、まだ私についてくるの?」
《現在、総合制御室はカコを最優先の王位継承者として認識しています》
「でも、私は王じゃないよ?」
《肯定します》
「だったら、この王冠はいらないんだけど」
《わたくしに言われても対応に困ります》
「消せない?」
《試行します》
次の瞬間、カコの頭上に浮かんでいた王冠型ホログラムが、あっさりと消えた。
「……消せるんだ」
《肯定します》
「旧王、また怒らないかな?」
『すでに十分すぎるほど怒っておる。今さら怒る理由が一つ増えても変わらぬだろう』
「それもそうだね」
コーデックスのページに、新しい表示が浮かび上がった。
【旧王命令層 _ _ 大幅制限】
【正規継承者カコ _ _ 最優先】
【総合制御室 _ _ 一部権限移行】
カコがコーデックスのページを覗き込む。
「一部権限って、全部じゃないの?」
《はい。カコは正規の王位継承者として認証されましたが、正式な王位継承は行っていません。そのため、移行したのは一部の管理権限のみです》
「王にはなりたくない」
《承知しています》
「でも、一部の機能は今までどおり使える?」
《移行済みの管理権限に属する機能であれば、引き続き使用できます》
「それなら便利だね」
《王統権限に対する理解として、その表現は推奨しません》
『小娘はとうとう、王権そのものを便利な道具として扱い始めたぞ』
「使えるものなら、道具みたいなものでしょ?」
《極めて大胆な解釈です》
「使えるなら使う。それで誰かを助けられるなら、その方がいい」
「本当に、そういうところはカコらしいな」
中央制御柱の表面に、新たな立体経路図が浮かび上がった。
示された経路は、総合制御室から下層中部へ降り、そこからさらに最下層の外周区画を経由して、第三封鎖牢へと続いている。
「この道を進めば、先生のところまで行ける?」
《はい。現在確認できる最短経路です》
「それなら、すぐに行こう」
「待て。今度こそ、途中で勝手に走り出すなよ」
「走らないよ」
「本当に約束できる?」
「少し早歩きするだけ」
「それ、ほとんど走るのと同じだろ!」




