第116話 先生を迎えに行きたいのに、身体が言うことを聞きません
「…………カコ?」
雑音の向こうから響いた弱々しい声を聞いた瞬間、カコの淡い青銀色の瞳が大きく見開かれた。
今にも途切れそうなほどかすかな声だったが、それが誰のものなのか、カコが聞き間違えるはずはなかった。
「先生……先生なの?」
すぐには返事がない。
カコは中央制御柱へさらに身を寄せ、縋りつくように両手へ力を込めた。
「先生! 私だよ、カコだよ! 聞こえてる?」
中央制御柱を流れる青白い光が揺れ、ざざっという激しい雑音が総合制御室へ響いた。
しばらくして、今度はさっきより少しだけはっきりした声が返ってくる。
「……カコ……なのか……?」
「うん、私だよ! 本当にカコだよ!」
カコの声が裏返った。
「先生、今どこが痛いの? 動ける? ちゃんと何か食べてる?」
「一度に……そんなに聞くな」
「だって、ずっと会えなかったんだから仕方ないでしょ!」
「相変わらず……人の話を聞かないな」
その声は、一言話すだけでもかなりの力を使っていると分かるほど弱々しかった。
それでも、間違いなく先生のものだった。
カコは淡い青銀色の瞳に涙を浮かべながら、それでも必死に笑おうとしていた。
「今から迎えに行くから、そこで待ってて。もう先生を縛ってた命令線も切ったから」
「……来るな」
その一言で、カコの笑顔が止まった。
「……え? 何で来ちゃ駄目なの?」
「ここへ……来るな」
「先生を助けるために、ここまで来たんだよ?」
「カコ」
「ずっと先生を探してたの! 先生がここにいるって分かったから、総合制御室まで来たんだよ!」
「知っている」
「だったら、今すぐ迎えに行く!」
「……だか…こそ……来るな…言ってい……」
先生の声に重なるように、通信の雑音が急激に強くなった。
《通信経路の維持が不安定になっています》
「コーデックス、この通信を絶対に切らないで!」
《通信維持を継続しています》
「継続じゃなくて、絶対に切らないでって言ってるの!」
《意味としては同じです》
「今は同じじゃない!」
「カコ」
先生の声が割り込み、感情的になっていたカコの言葉を止めた。
「……いいから……今は私の話…よく聞け……」
「……分かった。ちゃんと聞くから、先生も無理して話さないで」
「……お前たち…切ったのは……私を縛ってい…旧王命令だ……」
俺は中央制御柱に浮かぶ第三封鎖牢の表示へ目を向けた。
先生を拘束していた巨大な赤い鎖と、その中心にあった命令核は、確かに俺たちが切断している。
「……拘束具…停止した。封鎖扉…今なら開け…れる……」
「だったら、やっぱり迎えに行けるんだよね?」
「……だが問題…牢の中だ…ではない……」
先生の声が低くなる。
「……牢の外…あるもの…旧王命令と…別だ……」
カコが少し黙った。
「牢の外に、まだ何かあるの?」
「……第三封鎖牢に…旧王の命令と…関係なく動くもの…残っている……」
《詳細な情報を要求します》
「……古い……独立防衛機構だ……」
コーデックスのページを流れていた青白い文字が、一瞬止まった。
《第三封鎖牢の独立防衛機構について、本端末の記録には該当情報が存在しません》
「……ならば記録そのもの…消されたのだろう……」
「また記録が消されてるのか? この文明、都合の悪い情報を消しすぎじゃないか?」
『王とは隠し事が多いものだからな』
「それ、前にも同じこと言ってたよな」
『二度目であろうと、真実であることに変わりはない!』
俺とミメシスのやり取りを無視して、カコは中央制御柱へ身を乗り出した。
「先生、その防衛機構って強いの?」
「……だから来るな…言ってい……」
「それなら、やっぱり強いんだね。どんな形をしてるの?」
「……カコ」
「足は何本あるの? 大きさはどのくらい?」
「……そんなも…まで数えていな……」
「じゃあ、空は飛ぶ?」
「……だから人…話を聞け!……」
先生の声が、先ほどより少しだけ大きくなった。
しかし、その直後に激しい咳が続き、通信の向こうから何かが床へ落ちたような鈍い音が聞こえた。
「先生! 大丈夫!?」
《第三封鎖牢内の生命反応が低下しています》
「コーデックス、もう通信を切って! 先生を休ませて!」
《通信終了処理を開始します》
「カコ……?」
「迎えには絶対に行くけど、今はもう話さなくていいから休んで!」
「……お前が迎え…来ると言い張るから……」
「行くけど、今は休む方が先! そこは先生も言うことを聞いて!」
「……私は……来るな…言っている…だがな……」
「それだけは聞かない。絶対に迎えに行く」
「……相変わら…頑固な奴だ……」
先生の声が、ほんの少しだけ笑ったように聞こえた。
「先生?」
「……無茶…するな……」
再び雑音が大きくなる。
「先生、もう話さなくていいから!」
「……お前…昔から……」
先生の声が、少しずつ遠くなっていく。
「先生!」
「……一人で…来るな……」
その言葉を最後に、通信が完全に途切れた。
《第三封鎖牢との通信を終了しました》
「先生! 聞こえる? 先生!」
カコが何度呼びかけても返事はなかった。
雑音と先生の声が響いていた総合制御室に、急に静けさが戻った。
カコは中央制御柱へ両手をついたまま、しばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「今すぐ先生のところへ行く」
「待て。その身体でいきなり行くのは駄目だ」
「待たない。先生の声、すごく弱かった」
「それは俺にも分かってる。でも、まず俺の肩を見ろ」
「ケイの怪我は、先生を助けたあとに治す」
「じゃあ次は、自分の足を見てみろ」
「それも先生を助けたあとでいい」
「膝がずっと震えてるだろ。今の状態で戦えると思ってるのか?」
「震えてない。これは床が揺れてるだけ」
《現在、総合制御室の床に振動はありません》
「コーデックス、今は黙ってて」
《事実を回答しただけです》
カコはコーデックスを無視して一歩踏み出した。
しかし、その瞬間に膝から力が抜け、身体がそのまま前へ崩れた。
「わっ……!」
「危ない!」
俺は慌てて手を伸ばし、倒れる寸前のカコをどうにか受け止めた。
「ほら、やっぱりまともに歩けないじゃないか!」
「……今のは床が悪かっただけ」
《床面に異常はありません》
「コーデックス!」
『小娘よ、もう諦めろ。今回は紙束の方が完全に正しいぞ』
「ミメシスまでそっちにつくの?」
「先生にも最後に、一人で来るなって言われただろ。少しはその言葉を聞けよ」
「一人では行かないよ。ケイも一緒に行くから」
「たぶん先生が言いたかったのは、そういう意味じゃないと思うぞ」
「それでも一人じゃない」
「そもそも俺だって怪我人なんだぞ」
「だったら二人で一緒に行けばいい」
「それじゃ怪我人が一人から二人に増えただけだろ!」
カコは俺の腕から抜け出そうと、しばらく抵抗していた。
しかし、自分でも身体に力が入らないと分かったのか、やがて小さく息を吐いて動きを止めた。
「……本当に少しだけだからね」
「分かった。先生のところへ行けるように、先に身体を整えるだけだ」
「休むんじゃなくて、先生を助けに行くための準備だから」
「分かった、分かった。それでいいから一度治療しよう」
「今、二回分かったって言った」
「そこは今どうでもいいだろ!」




