第111話 結界を完全修復しろと言われたので、旧王命令だけを引き剥がします
《居住領域結界を表示します》
中央制御柱の前に、居住領域結界の巨大な立体映像が開いた。
森を囲む金色の結界面に、高さ四メートルほどの裂け目が残っている。
俺がミメシスで斬り開いた場所を中心に亀裂が広がり、その周囲では金色の光が大きく途切れていた。
【裂傷拡大中】
【完全修復 _ _ 推奨】
【即時完全修復 _ _ 大規模出力を要求】
【他制御との一時的な同時実行 _ _ 困難】
その映像を見た瞬間、胸の奥が重くなった。
「……ここは、俺が斬った場所だ」
カコは何も言わず、俺を見ていた。
「あのとき、俺が結界を斬らなかったら、魔物も中へ入ってこなかったかもしれない」
「ケイ」
「そうすれば畑も家も壊されなかったし、村のみんなだって……」
「ケイ、こっち向いて」
カコが俺の前まで来ると、突然両手を伸ばした。
「何だよ……いひゃい!」
両頬を力いっぱい挟まれ、そのまま顔を強引にカコの方へ向けられる。
目の前にあるのは、王統権限によって金色へ変わった瞳だった。
けれど、その目に宿るものは、最初に結界の中で出会った淡い青銀色の瞳と何も変わらない。
「今、それを話す必要ある?」
「……はなひゃない」
「ちゃんと言って」
ようやく両手を離してもらい、俺は痛む頬を押さえた。
「今は話さない。反省会は全部終わってからにする」
「うん。それならいい」
「あとで怒る気はあるんだな?」
「それは怒る。でも、今は先に結界を直す」
「やっぱり怒られるのか……」
カコは俺を無視するように、結界の映像へ向き直った。
「全部を一気に直さなくてもいい。今は裂け目が広がらないように固定する」
【警告】
【完全修復 _ _ 推奨】
「完全に直すのはあとでもできる。今はゆっくり直せる状態にする」
【不完全である】
「今はそれでいい。残りも全部助けてから、時間をかけて直す」
【傷は災いを呼ぶ】
「それは分かってる」
【ならば完全に塞げ】
「それをしたら、ほかを助けるための力が一時的に足りなくなる」
【他を捨てればよい】
カコの金色の瞳が、旧王の投影へ向けられた。
「何度言われても嫌。誰も捨てない」
【他のために居住領域結界を危険へ晒すか】
「放っておくわけじゃない。今は固定して、これから直し続ける」
【不完全だ】
「だから、完全になるまで直し続ける」
【王は完全を求める】
「だから私は王にならない」
床を走る金色の王統制御線が、一斉に強く輝いた。
【権限優先率 _ _ 再計算】
【現存最上位王統者権限 _ _ 五十四】
【旧王命令層権限 _ _ 四十六】
《カコの要求を基幹制御層が優先しました》
【否定する!】
旧王の怒声が、総合制御室へ響き渡った。
【不完全な修復は王の選択ではない!】
「でも、この施設そのものはカコの選択を優先したみたいだぞ」
【黙れ、異界生命体】
カコがすぐに俺を見る。
「ケイ、あとでその異界生命体っていう話も聞くから」
「今は結界が先だろ。その話もあとで頼む」
「まだ何も聞いてないのに、逃げようとしてる」
「絶対に聞くだろ? だから先に言ってるんだよ」
「聞く。絶対に聞く」
「分かったから、本当にあとでな」
カコは納得していない顔をしたものの、今は居住領域結界を優先して、中央制御柱へ向き直った。
《旧王命令構造を解析します》
コーデックスから伸びた青白い解析光が、床面の制御構造を走った。
ところが、いくら探しても赤い旧王命令線が見つからない。
「コーデックス、命令線はどこにある?」
《警告します》
「今度は何が起きた?」
《旧王命令層が、居住領域結界制御そのものと融合しています》
その直後、総合制御室の床が大きく動き始めた。
「うおっ!? 今度は床ごとかよ!」
中央制御柱を囲むように、巨大な赤い円環が床から立ち上がった。
一つだけではない。
三つの円環が総合制御室を囲むように現れ、それぞれ異なる方向へ高速で回転を始める。
「コーデックス、あれは何だ!」
《結界完全修復強制命令です》
《旧王命令層が、居住領域結界の基幹構造へ直接融合しています》
「あの輪を斬れば止められるのか?」
《現状で切断した場合、融合している居住領域結界本体まで損傷する危険があります》
「それじゃ斬れないじゃないか!」
「なら、私が先に旧王の命令だけ剥がす」
「そんなこと、本当にできるのか?」
「分からない。でも、できるかどうかはやってから考える」
「またその答えかよ!」
三つの巨大な円環が速度を増し、総合制御室の床まで複雑に動き始めた。
足場の段差がずれ、床の一部が下へ沈んでいく。
ケイを狙っていた八本の金属腕は、赤い光と金色の光を交互にまとい、今も空中で激しく震えていた。
しかし、開いた床の下から新たな制御腕が次々と飛び出してくる。
「ミメシス、いったん無銘刃だ!」
『承知した!』
王権護剣の刀身を覆っていた青白い古代文字が消え、切っ先から伸びていた光刃が縮んだ。
ミメシスが、通常の無銘刃へ戻る。
床下から伸びた制御腕が一斉にカコへ迫った。
その直前、カコの周囲に金色の障壁が広がる。
バァン!
制御腕が障壁へ激突し、表面に激しい波紋が広がった。
【居住領域結界を不完全なまま残すというのか】
「今は完全じゃなくてもいい!」
【傷を残すな】
「残すんじゃない。あとでちゃんと直すために、今は広がらないように止めるの!」
カコが中央制御柱へ両手を押し当てた。
床から何百本もの金色の王統制御線が立ち上がり、回転する三つの円環へ一斉に絡みつく。
【離せ!】
「絶対に離さない!」
旧王命令層が円環を居住領域結界本体へ引き戻そうとする。
それに対し、カコの王統制御線は、融合している命令構造だけを引き剥がしていた。
《分離率 _ _ 十二パーセント》
「まだ十二パーセントしか剥がれてないのか!」
床が大きく動き、俺は体勢を崩しかけながら走った。
「ケイ、止まらないで!」
「分かってる。剥がれた瞬間に斬ればいいんだな!」
足場が沈み、横から制御腕が迫ってくる。
俺は動く床を蹴って飛び上がり、迫る一本を無銘刃で弾き返した。
だが、着地した床もすぐに沈み始める。
「この部屋、まともに立ち止まれる場所がないぞ!」
『ならば走り続ければよい!』
「口で言うだけなら簡単なんだよ!」
《分離率 _ _ 三十一パーセント》
三つの円環が、目の前を高速で横切る。
俺は円環の隙間を抜けながら、ミメシスを無銘刃のまま構え、王権護剣へ切り替える機会を待った。
今ここで斬れば、居住領域結界そのものまで傷つける可能性がある。
「カコ、まだ切れないのか!」
「もう少し。まだ命令が居住領域結界につながってる!」
カコを守っていた金色の障壁に、制御腕が再び激突した。
バァン!
表面に走っていた亀裂が一気に広がり、障壁が金色の破片となって砕け散る。
さらに別の制御腕が、無防備になったカコへ迫った。
俺は助けに向かおうと、走る方向を変えた。
「こっちに来ないで。ケイは斬れる位置で待ってて!」
「でも、そのままじゃカコが危ないだろ!」
「私が全部剥がしたら、すぐに斬って。それが一番早いから!」
「……分かった。絶対に無理するなよ!」
《分離率 _ _ 五十七パーセント》
三つの巨大な円環が、少しずつ居住領域結界本体から浮き始める。
【やめろ!】
「嫌!」
《分離率 _ _ 六十八パーセント》
足場が割れ、俺は咄嗟に向こう側へ飛び移った。
割れた床の下では赤い円環が回転し、その隙間を縫うように制御腕が走っている。
《分離率 _ _ 八十二パーセント》
「もう少しだから、そのまま待ってて!」
旧王の投影が、大きく膨れ上がった。
【結界は完全でなければならぬ!】
「今は完全じゃなくても守れる!」
【王の命に従え!】
「私は王にはならない!」
《分離率 _ _ 九十七パーセント》
「カコ、あと少しだ!」
「分かってる。全部、居住領域結界から離れて!」
カコの金色の髪が大きく揺れ、総合制御室全体が黄金色の光に包まれた。
《分離率 _ _ 百パーセント》
【旧王命令層 _ _ 居住領域結界の基幹構造より分離】
三つの巨大な赤い円環が、結界本体から完全に離れて宙へ浮いた。
「ケイ、今なら斬れる!」




