第7話:泥と白銀
高橋たちが王都を脱走してから一週間が経過した。
彼らが「手配犯」に指定されたという知らせは、残留組の学生たちの間に静かな、しかし決定的な動揺をもたらしていた。
誰もが口を開けば、元の世界への未練や逃げ出した三人への複雑な感情が溢れそうになる。
だからこそ彼らは今まで以上に己の役割に没頭しようとしていた。
「――引くな、石田! 盾の芯で受けろ!」
激しい金属音が練兵場に木霊する。
ガイル団長が振るう大剣の猛撃を、石田翼は全身に大汗をかきながら、支給された大盾で受け止めていた。
凄まじい衝撃に足が地面を削り、泥が跳ね上がる。
だが、石田は歯を食いしばり、一歩も退かなかった。
「おおおおおッ!」
咆哮とともに盾を押し返す。ガイルはわずかに目を見張り、大剣を引き戻して低く笑った。
「良い。一週間前とは見違えるな、石田。貴殿の『重装騎士』の加護は、その愚直な精神とよく馴染んでいる」
「……あ、ありがとうございます!」
石田はその場に膝をつき、激しく息を荒らげた。
その横では、神崎優斗がすでにセレナと木剣を交え、幾度目かの乾いた音を響かせていた。
優斗の動きは、確実に変化していた。
かつての無駄な大振りは消え、セレナの鋭い刺突を、最小限の肉体移動で受け流している。
手のひらは豆が潰れては固まり、すでに白銀の騎士団の誰よりも硬い。
「ふむ……」
セレナは一歩退き、自身の長剣を収めた。
「技能の習得速度が尋常ではないな。これが『勇者』の恩恵か」
「いえ」優斗は衣服の袖で額の汗を拭った。
「この一週間、睡眠時間を削ってセレナさんの動きをノートに書き起こし、頭の中で数千回反復しました。僕のスキルは、サボればただの凡人ですから」
「……座学とイメージトレーニングか。貴殿はどこまで泥臭いのだ、勇者よ」
セレナは呆れたように息を吐いたが、その口元は微かに緩んでいた。どれほど優れた加護を持とうとも、慢心せず、己の無力を前提として努力を積み重ねる。現地の生粋の騎士である彼女にとって、優斗のその姿勢こそが、何よりも信頼に値するものだった。
その日の午後、優斗は王城の図書室へと足を運んでいた。
目的は、アルスレイア大陸の地政学と、隣国である『魔導帝国グランゼル』の情報を得るためだ。
静まり返った室内で古い羊皮紙の束をめくっていると、不意にノックの音が響いた。
「神崎様。こちらにいらっしゃいましたのね」
現れたのは、第一王女リエルだった。
彼女は侍従を下がらせると、優斗の向かいの席にそっと腰を下ろした。
その手には湯気の立つハーブティーが二つ載ったトレイがある。
「あ、リエル殿下。わざわざ申し訳ありません」
「いいえ。毎日、過酷な訓練を続けていらっしゃる貴方に、私のような者ができることはこれくらいしかありませんから」
リエルは寂しげに、しかし慈愛に満ちた微笑みを優斗に向けた。
「高橋様たちの件……本当に、申し訳ありませんでした。我が国の召喚の儀が、彼らの心を狂わせてしまった」
「それは違います、殿下」優斗は首を振った。
「彼らは、元の世界でも自分の現実に満足していなかった。
この世界を、自分を全能にしてくれる『物語』だと勘違いしてしまったんです。
悪いのは彼らの傲慢さであり、王国でも、殿下でもありません」
「神崎様……」
リエルは胸元に手を当て、そっと視線を落とした。
もし、召喚された者たちが全員高橋のようであれば、この国は内側から崩壊していただろう。
だが、目の前の青年は、すべての責任を背負いながら、自分の国のために、
そして傷ついたリエルの心のために戦おうとしてくれている。
「私は……最後まで貴方を信じます。我が聖王国の全霊を懸けて、貴方を支えましょう」
その言葉は、一国の王女としての誓いであり、同時に、一人の人間としての深い情が混じり合っているように思えた。




