第6話:夜嵐の決別
夜中、聖王国レイヴァルトの王都を激しい嵐が襲っていた。
激しい雨音が窓を叩くなか、優斗は自室で一人、セレナから渡された『アルスレイア大陸平定史』を読み込んでいた。
文字は現地の聖王語だが、召喚時の自動翻訳の加護のおかげで、辛うじて意味は理解できる。
(歴史を学べば学ぶほど、この国の置かれた状況が深刻だと分かる。
四天王の復活、前線の砦の崩壊……。
高橋たちの言うような『お気楽なレベリング』なんて許される余裕は、本当にないんだ)
その時、部屋の扉がノックもなしに静かに開いた。
現れたのは、ずぶ濡れの雨合羽を羽織った石田翼だった。
その表情は緊迫している。
「神崎、大変だ。高橋たちが……いない」
「なんだって?」
「見張りの騎士が二人、気絶させられてた。黒田の『隠密』で背後を取られたらしい。
相沢の部屋も空だ。あいつら、本当に城を脱走しやがった……!」
優斗は本を閉じ、即座に立ち上がった。体中の筋肉が悲鳴を上げたが、それを精神力で押さえ込む。
「ガイル団長やセレナさんには?」
「まだ報告してない。だが、見張りが倒されたんだ、すぐに発覚する」
「……僕たちで追う。城の兵が動けば、彼らは本当に『王国の敵(反逆者)』として処理されてしまう。その前に捕まえて、連れ戻すんだ」
優斗は鉄化木の木剣を帯に差し、嵐の夜へと飛び出した。
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王都の外縁、精霊連邦へと続く西門の近く。
雨に煙るぬかるんだ街道を高橋たちはフードを深く被って走っていた。
「ハハッ、チョロいもんだぜ! 城の警備なんて、俺たちのスキルの前にはザル同然だな!」
高橋が脱出の手応えに興奮した声を上げる。
「当然さ。俺の『隠密』は、現地の一般兵程度じゃ視認すらできない」
黒田が不敵に笑う。
「待つんだ、三人とも!」
背後からの叫び声に、三人が振り返る。
そこには、嵐の中を全速力で追いかけてきた優斗と石田の姿があった。
二人の息は激しく乱れ、衣服は泥にまみれている。
「神崎……! しつこい奴だな、わざわざ俺たちの足を引っ張りに来たのか?」
高橋が忌々しげに木剣を構えた。
「高橋、頼むから戻ってくれ!」
優斗は雨のなか、大声で訴えかけた。
「城の兵を傷つけて脱走するなんて、完全な犯罪だ。
これ以上進めば本当に取り返しのつかないことになる!」
「犯罪? 笑わせるな!」
相沢が泥を跳ね上げながら叫ぶ。
「私たちは自由に生きる権利があるのよ! あんたみたいに王女の犬になって、都合よく使われるのは御免だわ! 私たちは隣国で、本当の評価を受けるの!」
「目を覚ませ!」
優斗の一喝が、雷鳴とともに響いた。
「ここはゲームじゃないんだ! 殴られれば血が出るし、法律を破れば捕まる! 君たちがやっていることは、ただの現実逃避だ!」
「現実逃避だと……?」
高橋の目が、歪んだ怒りで血走った。
「お前に何が分かる! 元の世界でもサークルのリーダーで、女子にもモテて……!
俺はいつもお前の影に隠れてたんだ!
せっかく、この世界で俺が主人公になれるチャンスが来たんだ!
お前みたいな『偽物』に、邪魔されてたまるかよ!」
高橋が地を蹴った。固有スキル『剛力』が発動し、雨を切り裂くような一撃が優斗へと振り下ろされる。
(速い……。だけど、重さがない!)
毎日、セレナの絶技を受け流し続けてきた優斗の肉体は、高橋の「怒りに任せた大振り」の軌道を冷徹に見切っていた。
優斗は半歩退いて衝撃を殺し、鉄化木の木剣の側面で高橋の剣を受け流す。
ガキン、と硬い音が響き、高橋の体勢が大きく崩れた。
「なっ……!?」
優斗は追撃をしなかった。
ただ、木剣を水平に構え悲しげな目で高橋を見つめた。
「高橋。君のスキルは強い。
だけど、それを扱う君自身が、まだこの世界のリアルを分かっていないんだ」
「うるさい、うるさい、うるさい!」
高橋が再び狂ったように斬りかかろうとした瞬間、街道の先から、無数の松明の光が近づいてくるのが見えた。
同時に、地響きのような馬蹄の音が響く。
「――そこまでだ、迷子たち」
現れたのは、漆黒の騎馬に跨ったセレナ・ヴァルハイト、そして数十人の近衛騎士たちだった。
彼女たちの抜いた長剣が嵐の明かりを反射して冷たく光る。
「近衛騎士団の見張りを負傷させての脱走。
これは明確な軍規違反、および王国法に対する挑戦とみなす」
セレナの声には、昼間の訓練時の甘さは一切なかった。
そこにあるのは、一国の法を執行する「騎士」としての冷徹な意志だった。
「黒田、相沢、急ぐぞ……!」
高橋は形勢の不利を悟り、歯をくいしばりながら背後の暗い森へと足を踏み入れた。
「神崎……この借りは必ず返すからな。次に会う時は、お前が俺の前に跪く番だ!」
三人の姿は、激しい雨の帳の向こうへと消えていった。
「追いますか、セレナ副団長」
部下の騎士が尋ねるが、セレナは手を挙げてそれを制した。
「深追いは無用だ。これより先は国境の緩衝地帯。
……彼らは自ら、我が国の保護を破棄した。
これより高橋翔、黒田蓮、相沢美月の三名を、王国内における『手配犯(賞金首)』に指定する」
セレナの宣言を聞き、優斗は天を仰いだ。
救えなかった。同じ世界から来た同級生を、自分の力不足ゆえに犯罪者の道へと落としてしまった。
激しい雨が、優斗の悔恨の涙を洗い流していく。
セレナは馬から降りると、泥まみれで立ち尽くす優斗の肩に、そっと自分のマントをかけた。
「気にするな、勇者。あれは自ら破滅を選んだ者たちだ。お前が責任を感じる必要はない」
「……いいえ、セレナさん」
優斗はマントを握りしめ、前を見据えた。
「彼らを止められなかったのは、僕がまだ弱いからです。
もっと強くなります。彼らが次に誰かを傷つける前に、僕が、僕の手で彼らを止めます」
その瞳に宿る烈火のような決意に、セレナは一瞬、息を呑んだ。
第一段階の崩壊。
それは、本物の勇者が「世界を守る」という真の覚悟を完了するための、あまりにも苦い通過点だった。




