第4話:不協和音の始まり
石造りの地下牢は、ひんやりとした湿気と、かすかな黴の臭いに満ちていた。
鉄格子に囲まれた狭い部屋の隅で、高橋翔は膝を抱え、ただじっと床の一点を見つめていた。
昼間の乱闘で殴られた頬が、どす黒く腫れ上がっている。
「……なんでだよ」
ぽつりと、掠れた声が漏れた。
「なんで、俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。俺の『剛力』も『高速剣』も、あの程度の荒くれ者に通用しないはずがないのに……」
「うるさいわね、静かにしてよ」
同じ牢の反対側で、相沢美月が不快げに顔を背けた。
城から着てきた上等な衣服は埃に汚れ、自慢の髪も見る影もなく乱れている。
「すべてはあの王女の差し金よ。私たちが強くなるのを恐れて、あえて罠に嵌めたの。
悪役令嬢がよく使う手口じゃない。神崎くんだって、きっと最初からあいつらとグルだったのよ」
「……フン、他人のせいにするなよ」
隣の牢から、黒田蓮の冷ややかな声が響いた。
彼はまだ、自身の固有スキル『隠密』を過信しているのか、
鉄格子の隙間から衛兵の鍵の配置を盗み見ようとしていた。
「俺たちのスキルは本物だ。ただ、この世界のレベルデザインが狂っているだけさ。
ここは一度、城に戻って体制を立て直す。……そのための、な」
彼らはまだ、自分たちの行動が招いた「法治国家としてのペナルティ」を理解していなかった。
ここは彼らを気持ちよくさせるためのゲームではなく、厳格な法と社会秩序が存在する現実の世界なのだという事実から、無意識に目を背け続けていた。
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「――彼らを、釈放していただきたいと?」
謁見の間の重厚な扉の前で、近衛騎士団長ガイル・バルハイトは、眼前の青年に厳しい視線を投げかけた。
神崎優斗は、一日中続いた過酷な訓練の疲れを微塵も見せず、ガイルの前で深く頭を下げていた。
「はい。ガイル団長。彼らは罪を犯し、ギルドや現地の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことは重々承知しております。
ですが、彼らはまだ、この世界のルールを何も知りません。
どうか、今回の件は『異界からの無知な訪問者による過失』として、私たちに免じて免責、あるいは身柄の引き渡しをお願いできないでしょうか」
「神崎、お前……」
優斗の背後で、石田翼が複雑な表情を浮かべた。
あんな勝手な行動をして自分たちを侮辱した連中だ。
牢に繋がれたままでも自業自得だという思いが、残留組の学生たちの本音だった。
しかし、優斗は首を振った。
「彼らがどれだけ暴走しようと、同じ日本から来た仲間だ。
ここで見捨てれば、本当に彼らは戻れなくなる」
「ふん」と、ガイルは鼻を鳴らした。
「身内の不始末を代表が背負うか。殊勝な心がけだが、ここは軍だ。甘やかしは規律を乱す」
「甘やかすつもりはありません」
優斗は顔を上げ、ガイルの目を真っ直ぐに見据えた。
「彼らの身柄を引き受けた後は、私が責任を持って、この世界の法とマナーを叩き込みます。
もし再び彼らが問題を起こした場合は、この私の命を以て、王国の法に従う覚悟です」
その言葉に、ガイルだけでなく、傍らに控えていたセレナも息を呑んだ。
固有スキル『人望』と『統率』が、優斗の誠実な決意に乗って、現地の軍人たちの心を強く揺さぶる。
「……よかろう」ガイルは腕を組み、低く応じた。
「ギルドマスター・グレッグには、私から話を通しておく。損害賠償は、今後の貴殿らの任務の報酬から天引きだ。……ただし、勇者。次はないと思え」
「感謝いたします、ガイル団長」
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深夜、王城の勝手口から連れ出された高橋たちは、そこで待っていた優斗たちの姿を見て、一瞬だけ気まずそうに視線を彷徨わせた。
しかし、高橋のプライドは、優斗に「救われた」という事実を素直に受け入れることを拒絶した。
「……余計なことすんなよ、ゼミ長」
高橋は腫れた頬を指で触りながら、毒づくように言った。
「俺たちは、あのギルドの不正を暴こうとしてただけだ。
あそこのマスター、裏で衛兵と繋がってやがる。
お前みたいに王国の犬になってりゃ、そりゃ安全だろうよ」
「高橋、いい加減にしろ!」
普段は温厚な石田翼が、一歩前に出て高橋の胸ぐらを掴んだ。
「神崎がどんな思いでお前らのために頭を下げたか分かってんのか!? お前らが牢の中で飯食ってる間、神崎は団長に命を懸けるって誓ったんだぞ!」
「チッ、離せよ筋肉ダルマ」
高橋は石田の手を振り払い、優斗を睨みつけた。
「いいか、神崎。
お前は現地の奴らに『勇者様』って持ち上げられて調子に乗ってるみたいだけどな、それが奴らの罠だっていつか気づく。
俺は俺のやり方で、この世界のパワーバランスをひっくり返してやるからな」
そう言い残すと、高橋は黒田と相沢を連れて、足早に離宮の自室へと戻っていった。
残された優斗は、夜空に浮かぶ二つの月を見上げながら、静かに拳を握りしめた。
彼らの心の歪みは、一度の失敗程度では正されない。
それほどまでに、ネット小説の「テンプレ」という麻薬は彼らの精神を深く侵食していた。
「神崎くん……大丈夫?」
桜井彩が心配そうに声をかける。
「ああ、大丈夫だよ」
優斗は努めて明るい笑顔を作った。
「明日からはセレナさんの本格的な剣術指導が始まる。
みんなを引っ張っていくためにも、まずは僕が誰よりも強くならなきゃいけないからね」
優斗の【神託の書】に、新たなログが刻まれる。
『固有スキル:成長加速の補正率が維持されています。明日より【初級剣術】の習得フェーズへ移行します』
破滅へと突き進む同級生たちを背負いながら、本物の勇者は、ただひたすらに、己の牙を研ぎ続ける道を選んだ。




