第2話:現実の重み
2話です。他のメンバーの人となりをもう少し深堀りします。
神崎優斗が第一王女リエルの前で誓いを立てたその日の夜、異界の賓客のために用意されたという白亜の離宮は奇妙な熱気と静寂に二分されていた。
大聖堂で勝手に席をたった高橋翔や黒田蓮をはじめとする数名は、すでに王城の案内を無視し夜の街へと繰り出していったという。
それを止めるだけの権限は、まだ城の侍従たちには与えられていなかった。
一方で、残された側には、重苦しい沈黙が立ち込めている。
「神崎くん、本当に……大丈夫なのかな」
膝を抱えて食堂に座り込んでいたのは、臆病な性格の山口健吾だった。
小刻みに震える彼の肩を見つめながら、『回復』の適性を得た桜井彩が努めて穏やかな声でスープの入った器を差し出す。
「今は休もう、山口くん。神崎くんが今、現地の案内役の人とこれからのことを話し合ってくれているから」
離宮の一室、重厚なマホガニーの机に向かい、優斗は支給された羊皮紙に慣れないながらひたすらペンを走らせていた。
彼の傍らには、昼間の厳しい表情を幾分か和らげた近衛騎士副団長、セレナ・ヴァルハイトが立っている。
「――なるほど。貴殿はまず、我が国の法制度と、この王都の地理、そして何より『通貨の価値』を知りたいと?」
セレナの言葉に、優斗は羽ペンを置き、真摯な目を向けた。
「はい。私たちは別の世界から来た異邦人です。言葉が通じるのは奇跡に近いですが、生活習慣や法体系が違えば、意図せず犯罪を犯してしまうかもしれない。
十四人の同級生を預かる身として、最低限のルールを把握することは義務だと考えています」
優斗の言葉を聞き、セレナは小さく息を吐いた。その鋭い双眸に、確かな驚きが混じる。
「正直に言おう、神崎優斗。私は昼間、貴殿らの態度を見て激しい嫌悪を覚えた。
国を救ってほしいと頭を下げた王女殿下に対し、ゲームの延長線であるかのような言葉を吐いた者たちを私は今も信用していない」
「……弁解の余地もありません」
「だが」と、セレナは優斗の書き付けを指で叩いた。
「無力を自覚し、その上で現地の法を学ぼうとする者は、我が騎士団にもそういない。
貴殿が『勇者』の職業を得た理由は、その能力ではなく、その精神にあるのかもしれんな」
「買い被りです。僕はただ、誰もやらないからやっているだけですから」
優斗は苦笑した。大学のゼミでもそうだった。
誰もやりたがらない議事録の作成や、教授との交渉。
それを「苦労性」の一言で片付けられながらも、投げ出せなかった。
その時、脳裏に淡い光の文字が明滅する。
『固有スキル:人望の段階が向上しました。セレナ・ヴァルハイトからの警戒度が「低」に移行します』
(これが、僕のスキル……)
高橋たちが言っていたような、一撃で山を吹き飛ばすような魔法でもなければ、無限に武器を取り出せる空間でもない。
ただ、己の誠実な行動の結果を、ほんの少しだけ後押ししてくれるだけの泥臭い能力。
しかし、今の優斗にとっては、この微かな手応えだけが唯一の救いだった。
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翌朝、王城の練兵場には、優斗を含めた「残留組」の姿があった。
重装騎士の適性を得た石田翼、聖職者の宮本真菜、そして怯える山口健吾ら数名だ。
彼らは一様に、現地から支給された訓練用の衣服に身を包んでいる。
「これより、貴殿らの基礎体力を測定する」
現れたのは、近衛騎士団長ガイル・バルハイト。
セレナの父親であり、数々の戦場をくぐり抜けてきた叩き上げの将軍だった。
その鋼のような肉体と、すべてを見通すような眼光に、学生たちは気圧される。
「我らは神から与えられた『加護』の力を妄信せぬ。
どれほど強力なスキルがあろうと、それを扱う肉体と精神が脆弱であれば、戦場ではただの肉塊に過ぎん。まずは外周を二十周。遅れた者は朝食抜きだ」
ガイルの容赦ない言葉に、山口が悲鳴のような息を漏らす。
しかし、石田翼はいち早く前へ出た。
「郷に入っては郷に従え、だ。神崎、俺はやるぞ。お前にばかり苦労はかけさせない」
「頼む、石田」
優斗もまた、一歩を踏み出す。
走り始めてすぐに、優斗は異変に気づいた。
身体が、恐ろしく重い。現実世界での運動不足がそのまま響いている。
だが、優斗の前に浮かぶ【神託の書】には、静かに一条のテキストが刻まれていた。
『固有スキル:成長加速が稼働中。肉体の疲労度に応じ、基礎筋力および耐久力の成長率が十倍に補正されます』
(十倍……。だけど、僕が走らなければ、ゼロに十をかけてもゼロのままだ)
息が上がり、足が鉛のようになる。それでも優斗は走った。
遅れそうになる山口の背中を押し、自らも汗に塗れながら、一歩一歩、大理石ではなく泥の地面を踏みしめていく。
その様子を、ガイル団長は腕を組んだまま、じっと見つめていた。
「ふん……。泥臭いな、勇者」
「不満ですか、父上」
背後に立ったセレナが尋ねる。
「いや」ガイルは低く笑った。
「悪くない。戦場で最後に生き残るのは、自らの足で歩く術を知る者だ。
あの高橋とかいう小倅とは、目の色が違う」
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その頃、王都の賑やかな中央通りを、高橋翔、黒田蓮、相沢美月の三人は我が世の春を謳歌するように歩いていた。
彼らの手には、城を出る際に「支度金」として手渡されたいくつかの銀貨が手渡された。
現地の貨幣価値を知らない彼らにとっては、正しい価値はわからないが豊かになった気持であった。
「聞いたかよ、黒田。ゼミ長、朝から騎士団の訓練で泥まみれになって走らされてるらしいぜ」
高橋が、仕入れたばかりの木剣を肩に担ぎながら鼻で笑った。
「馬鹿な奴だ」黒田は黒いフードを深く被り、周囲を警戒するようなポーズを取っている。
「せっかく異世界に来たんだ、効率よくレベリングすればいいものを。あの王女も、神崎を都合のいい盾にするつもりなんだよ」
「本当よね」相沢美月は、仕立ての良い店に飾られたドレスを眺めながら、不快げに唇を尖らせた。
「あのリエルって王女、いかにも『悲劇のヒロイン』ぶって。
裏では私たちを使い潰す算段に決まってるわ。私は騙されない。
いつかあの女の化けの皮を剥いで、この世界の真の聖女として認められてみせるわ」
彼らの会話には、現地の人間への敬意も、自分たちが置かれた状況への客観的な視点も存在しなかった。ただ、脳内に蓄積されたフィクションの作品たちのストーリーに、目の前の現実を無理やり当てはめているだけだった。
「よし、まずは冒険者ギルドだな」
高橋が、豪奢な看板が掲げられた建物を指差した。
「ああ。そこでCランクあたりの絡んできた冒険者をワンパンして、ギルドマスターに目を付けられる。これが黄金パターンだ」
黒田が不敵な笑みを浮かべ、ギルドの重い扉を押し開ける。
中には、昼間から酒を煽る荒くれ者たちや、血生臭い依頼書を睨むベテラン冒険者たちの姿があった。
高橋は一歩前に出ると、わざと大きな音を立てて、近くのテーブルを木剣の鞘で叩いた。
「おい、お前ら。この中で一番強い奴は誰だ? 俺の力、試させてくれよ」
ギルド内の空気が、一瞬で凍りついた。
高橋はそれを「俺の威圧に怯えた」と解釈し、満足げに顎を引いた。
しかし、彼らが踏み込んだのは、都合の良い娯楽の世界ではない。
独自の規律と、生々しい利害関係で成り立つ、異世界の「リアルな社会」そのものだった。




