亡き娘の面影
グレイヴは待ちくたびれていた。
侍女に貴賓室へ案内されてから、かれこれ十分は経っていた。
(私を待たせるとは……誰に頼る立場か、忘れたわけではあるまいな。私が養女の件を認めなければ、お前たちの望みは叶わぬというのに)
そんなことを考えながら腕を組み、無意識に足先で床を鳴らしていた。
やがて扉が開き、レイたちが姿を現した。
「グレイヴ卿、待たせてすまない」
部屋へ足を踏み入れるなり、レイは頭を下げて詫びた。
「……分かっておるなら良い」
グレイヴは低く言った。
レオニスとアルヴェインが続けて入ってくる。
その後ろから、リアがおそるおそるドレスの裾を摘み、緊張した様子で頭を下げた。
「……初めてお目にかかります。リアと申します。ハーヴェル侯爵様、その……お待たせしてしまい……申し訳ありません」
グレイヴはこの瞬間まで、この少女を亡き娘の子だと受け入れるつもりはなかった。
娘を奪った男の娘など、本来認めたくもない。
それに、礼儀も知らぬまま王太子妃になどなれば我が家の恥になる。
ただ、この国の上に立つ覚悟が本当にあるのならば、恥を晒す前に連れ帰り、教育するつもりであった。
王宮と繋がりが出来るのは、悪いことではない。
婚約を認めるかどうかは別として、少女の力には国防を担う我が家には利用価値がある。
そう考えていた。
だが、それは目の前の少女を見た瞬間、打ち砕かれた。
亡くなった娘の生き写しだった。
一瞬、目の前にいる少女ではなく、遠い昔の娘の姿を見た気がした。
療養先を抜け出し、平民と駆け落ちして以来、一度として連絡はなかった。
子が生まれていたことすら知らされず、最後まで会うことも叶わなかった我が娘。
その娘に、あまりにもよく似ていた。
挨拶にもわずかなぎこちなさは見えるが、礼としては十分に整っていた。
一本取られた、とグレイヴは思った。
少女に気を取られ、娘を奪った敵の男の存在すら、全員が席に着くまで視界に入っていなかった。
テーブルの端に縮こまるように座る男に気づいたとき、グレイヴは膝の上に置いた拳がわずかに震えるのを自覚した。
「……なぜ、娘が亡くなったとき私に知らせなかった?生前に連絡を絶っていたとしても、私の娘だと知っていたのなら、報告くらいはできたはずだがね」
グレイヴは怒鳴りたい衝動を抑え込み、静かに問いかけた。
「すみません……侯爵様がお怒りになるのも、当然です。私は、逃げていました」
リアの父は椅子から立ち上がると、その場に膝をつき、床に額をつけて謝罪の言葉を述べた。
「席につきたまえ。今さら謝罪されても、娘は帰ってこない……孫をここまで育てたことについては感謝しよう」
グレイヴは吐き捨てるように言った。
父は顔を青ざめさせ、額に汗を浮かべたまま、元の席へと戻っていった。
「失礼した。彼を見たら、つい感情的になってしまったな。では話し合いを始めようか」
グレイヴはレイたちを見やり、先ほどとは打って変わった落ち着いた声音で言った。
いくつかの確認事項を経て、リアをハーヴェル侯爵家の養女とする話は滞りなく進んでいった。
「では、こちらにサインを」
アルヴェインが、すでにリアたちが署名を済ませた届け出とペンを差し出す。
「うむ……」
グレイヴは書類へもう一度目を通し、静かに署名する。
「証人は私が務めよう。レイは受理する側だからね」
レオニスはそう言うと、グレイヴから書類を受け取り、さらさらと署名を書き加えた。
レイがそれを受け取り、確認のうえ承認し、アルヴェインへ渡す。
「では、これで手続きは完了いたしました。書類を綴じてまいりますので、一旦失礼いたします」
アルヴェインはそう告げると席を立ち、部屋を後にした。
「父上はここまでだね。一度、控えの間で休んでいてくれ」
レオニスはそう言うと、部屋の隅にいた侍女を呼び、リアの父を別室へ案内するよう告げた。
「し、失礼します……娘をよろしくお願いします」
父は頭を下げるとそう言い残し、リアを苦しげに見つめたのち、その場を去る。
リアはその背中を見送り、胸がぎゅっと締め付けられた。
「ところで、ルシナスは何故いないんだね?孫の監視役だったろう」
グレイヴはふと疑問に思い、尋ねる。
「あいつ……いや、ルシナスは彼女の家で世話してる子供たちの相手をしているよ」
「それに、私たちがいるから監視は必要ないでしょう」
レオニスは穏やかな笑みを浮かべ、軽く言う。
「相変わらず、その砕けた話し方は直っておらんようだな。ルシナスは昨日の協議にも参加しておらなんだ。あやつも、どうせ変わっておらんのだろう?」
グレイヴは深くため息をつきながら言った。
「おじさんには敵わないな。ルシナスも変わってないよ。彼女の父も戻ったし、呼んで来るよ」
レオニスは曖昧な笑みを浮かべると、部屋を出て行った。
「普段もおじさんと呼ぶなと言っておろう。公的な場では名で呼ぶくせに、普段は馴れ馴れしく『おじさん』とはな」
「あの二人が我が家に来た時は、生意気なやつと、落ち着きがないやつだと思ったが……変わっとらんな」
グレイヴは懐かしそうにその背を見ていた。
「あの……ハーヴェル侯爵様は、レオニス様とルシナス様と親しいのですか?その、不躾な質問をすみません」
リアは、そんなグレイヴを不思議そうに見つめ、おそるおそる尋ねた。
「親しい?そう見えたか……あやつらには手を焼いたわ。王弟から修行をつけてくれと頼まれたから断れず引き受けたが、どちらかといえば苦手だな」
グレイヴは、言葉とは裏腹に我が子を語るような表情をしていた。
怖い人なのだと思っていた。
けれど、レオニス様やルシナス様の話をする侯爵様の姿は、少しだけ違って見えた。
リアは、グレイヴの言葉に遅れて引っかかりを覚える。
先代国王に王弟がいるのは知っているが、現在の国王陛下に弟がいるとは聞いたことがない。
レオニスとルシナスの父は、先代王弟の子であり、現ヴァルクレイン家当主のはずだ。
「答えてくださり、ありがとうございます……」
リアは戸惑いながらも、礼を告げた。
「……そういや、言ってなかったか。私と、レオニスたち双子は従兄弟なんだ」
レイは、リアが何やら考え込んでいる様子を見て察した。
「……え?」
レティシアに叩き込まれた淑女の嗜みを忘れ、扇で口元を覆わずに驚いた。
「まだ、知らせてなかったか...…いずれは知ることだ。身内の恥は話し辛いだろう、後ほど全員が揃ったら私から教えよう」
グレイヴは顎髭を撫でながら言った。
レイは無言で頷く。
「お食事のご用意が出来ました。ご案内いたします」
侍女の声が間に入る。
「……緊張しとるか?あの二人の無礼に比べれば、多少の無作法など取るに足らん。肩の力を抜くと良い」
グレイヴはリアに視線を向けぬまま、穏やかに言った。
そこに、レオニスがルシナスを連れて戻って来た。
「おっさん、久しぶり。丸くなったな」
ルシナスが軽く笑いながら言う。
「……変わっとらんな、ルシナス。それは結構、歳を取ると角も削れるものだ」
グレイヴは肩を僅かに震わせるが、怒りを飲み込む。
リアはハラハラとそのやり取りを見守った。
ルシナスは意に介した様子もない。
「ひとまず、移動しよう」
レイの一言で、食事の間へ向かった。




