霧の消える町
白霧に守られた国、コルハ王国
一年を通して霧が絶えることのないその国では、白い霧こそが大地を包む祝福だと語られていた。
朝に漂い、夜に濃くなり、季節ごとに深さを変える。
誰もが当たり前のように受け入れてきたその霧が、その年初めて異常を見せた。
その年、コルハ王国の王都フォグはかつてない濃霧に包まれていた。
視界だけではない、空気そのものが重い。
息苦しさに似た圧迫感を、誰もが無意識に感じていた。
そんな中、王都フォグから遠く離れた東の小さな町ハレルだけが、不自然なほど霧が薄かった。
霧が出ない。
いや――
正確には、発生してもすぐに消える。
原因不明
王宮は即座に調査へ動いた。
そして数日後、王家の紋章を掲げた馬車が小さな町へ入る。
騎士たちが周囲を警戒し、住民たちは道端で怯えていた。
王都の下町に、王族が直接来ることなど滅多にない。
馬車の扉が開くと、降りてきたのは黒髪の青年だった。
二十歳になったばかりの王太子
レイ・セルヴァリス
整った立ち姿、感情を削ぎ落としたような冷たい視線を周囲へ向ける。
その場の空気が静まった。
レイは、あの日ルシナスを見つけた時に感じた霧と同じ違和感を抱き自ら探りに来たのだった。
近くにいた中年の男へ視線を向け、声をかけた。
「この町だけ霧が出ない理由は」
男は肩を震わせ、上手く話せない。
「そ、それは……」
異常を隠していたと判断されれば、王宮への虚偽報告と取られる。
その恐怖が先に立ち、男は耐えきれずに口を開いた。
「し、仕立て屋の娘です……」
「娘?」
「リアっていう子で……その、変わった力を……」
同行していた青年が、静かに目を細め男を見る。
王宮魔術師 アルヴェイン
王国最西端クライを治める公爵家の三男で、幼い頃から魔力の才を示し十歳頃には王家へ送られた。
レイとは同い年で、共に育ち側近として仕えている。
風を操ることに長けた魔術師でまだ若いが、既に王宮内で特異な才を認められていた。
「案内しろ」
レイはそれだけ言った。
男は後ろをついてくるレイ達に、心臓が飛び出しそうなくらい緊張している。
「こ…ここです、では私は…失礼します」
案内を終えると、男はそそくさとその場を離れた。
そこには、豪奢さとは無縁の小さな仕立て屋があった。
だが窓辺には柔らかな布が並び、不思議と温かな雰囲気が漂う。
扉の前で、レイは足を止めた。
ここだけ一段と霧が薄い、ないに等しい。
アルヴェインも異変に気づき小さく呟く。
「自然に、霧そのものがほどけるように消えていく」
店の中から笑い声が聞こえた。
「これで少し楽になると思います」
柔らかな少女の声がした。
レイが中へ入ると、そこにいたのは淡い色の髪を持つ少女だった。
十七歳ほどだろうか、派手さはないが目を引いた。
触れれば壊れそうなほど儚い雰囲気の少女から、レイは目が離せなかった。
少女は、椅子に座る老婦人の腰へそっと手を添えていた。
患部が淡く光る。
次の瞬間、老婦人が目を見開く。
「あら……痛くない……」
信じられないように腰へ触れる。
「さっきまで立てなかったのに……!」
確かに少女が力を使うと、僅かに残っていた周囲の霧が静かに消えていく。
リアは、突然入ってきた王太子に気づき、小さく息を呑んだ。
王族特有の威圧感
端正な顔立ちに、冷たい視線が注がれる。
リアは力を隠そうとしたが、動揺し制御できなかった。
白い霧が集まってくるが、彼女の周囲でほどけるように消えていく。
レイが静かに問う。
「何をしていた」
リアは視線を伏せながら答えた。
「……この方の腰の痛みを、和らげていました。」
「それがお前の力か」
「はい……」
おずおずと答える。
「霧を消したり、人の痛みを軽くしたり……少し、気持ちを楽にしたり……」
店内が静まり返る。
老婦人は、おろおろと二人を交互に見比べている。
この国で魔力を持つのは、王族か高位貴族のみ、それが常識だ。
だが、目の前の少女はどう見ても平民だった。
アルヴェインが低く呟く。
「……そんな力は聞いたことがない」
「記録にも存在しません」
その声には、わずかな疑念が混じっていた。
リアは震え怯えていた。
きっと、異端として連れて行かれ処罰されると思っているのだろう。
その反応は理解できた。
「……今日はそれだけだ」
リアが驚いた顔でレイを見上げる
(怯えさせたくない)
それは、誰かに対して初めて抱いた感情だった。
「また来る」
それだけ言い残し、踵を返す。
外に出ると騎士たちは急いで姿勢を正した。
レイは短く命じる。
「監視をつけろ」
「だが絶対に刺激するな」
「保護対象として扱え」
アルヴェインが静かに問う。
「殿下、あの力をどう見ますか」
レイは霧の薄い町を見渡し、そして小さく答えた。
「……分からない」
理解できないものを見たのは、初めてだった。
その頃、店の奥ではリアは震えていた。
自分の力が、ついに王宮へ知られた。
(もう、普通には暮らせない…)
静かだった日常が、終わろうとしている。
そしてまだ誰も知らない、このあと千年前から続く呪いが二人へ反応し始めてることを。




