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霧は、さらに深くなっていた。
以前は数日に一度だった異常発生も、今では王都や近郊のあちこちで頻発している。
冷気を伴った霧は、人々の生活そのものを蝕み始めていた。
人が集まる場所という場所に霧が濃くなるたび、彼女は馬車へ乗せられ向かわされる。
白い霧へ手を伸ばし、受け止め、崩れかけた均衡を一時的に繋ぎ止める。
だが、回数が増えるほど彼女の疲労は隠せなくなっていた。
「少し休まれては…?」
護衛の騎士が不安そうに声をかける。
リアは小さく首を振った。
「……まだ、大丈夫です」
そう言った声は、もう以前ほど力がない。
(最近は、家へ帰れていないな…)
父の顔も見ていない。
ルークやミイナの声も、もう何日聞いていないのか分からなかった。
(自分が止めたら、誰かが困る)
その考えだけで、リアは立ち続けていた。
一方で民衆は、古い伝承に残る、魔を祓い人々を癒して世界を救った女神になぞらえ、彼女を“リア・エル・フィーネ”と呼び始めていた。
だが、その声はリアにはまだ届いていなかった。
その日、レイは王宮の会議室にて、七大臣、高位貴族たちと長机を囲んでいた。
「結論は変わらない」
宰相オルヴァン・クレストが淡々と言う。
「リアという少女の能力は国家管理下に置いて、少なくとも霧が収束するまでは稼働を継続させる必要がありますな」
財務大臣ヘルマン・ドルクが続ける。
「代替手段が存在しない以上、“あれ”に頼る他ないでしょう」
法務大臣カイゼル・ノートンが端的に言い放つ。
レイの視線が、静かに下がる。
皆、悪意があって言っているわけではない。
前例のない国難を前に、誰も進むべき道を見いだせずにいた。
リアは今も、霧の中へ向かっている。
誰よりも怯えながら、それでも人を助けようとしている。
ただ、彼女には笑っていてほしい。
それなのに、自分は彼女を利用する側でしかなかった。
会議の途中、レイは小さく呟く。
「……彼女は物ではない」
一瞬、その場を沈黙が支配した。
誰も反論できなかった。
その声はあまりにも静かに、重く室内へ響いた。
夕暮れ時、レティシアは西日が差し込む私室の窓辺で静かに報告書を閉じる。
そして、細い指で、その紙をゆっくりと握り潰した。
「あの子は……ここに来るべきではなかった」
誰に聞かせるでもなく、その言葉が小さく漏れた。
何も知らず、平民として生きるほうが幸せだったはず。
普通に恋をして、普通に笑って、普通に生きていくべきだ。
だが今は、国が彼女を必要としている。
そして、それを完全に否定できない。
(あの子が来なければ、私の人生は崩れなかったのに……)
その事実が、レティシアを胸を苛立ちで満たしていた。
「本当に、嫌な場所ですわね……王宮というのは」
その声は、誰にも届かなかった。
ランプの淡い灯が揺れる渡り廊下の先で、ルシナスは遠くのリアへ静かに視線を向けていた。
霧を消した直後なのだろう、ふらつきながら歩いていた。
初めて会った日と同じように、彼女は誰かを助けていた。
ただ一つ違うのは、今の彼女がひどく疲弊して見えることだった。
ルシナスは視線を伏せる。
国が決めたこと、王宮が必要としていること。
(俺には覆せない、でも助けを求めるなら手を貸そう…)
「……そんな辛い顔するくらいなら、逃げればいいのに」
その声は少しだけ苦かった。
いつの間にか王国は、リアを中心に回り始めていた。




