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豊臣兄弟、最底辺から始める天下奪取 ――現代営業の知略で、戦国の理不尽を喰い破る――  作者: チャプタさん


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第十三話:泥の火

第十三話:泥の火


 夜明け前の尾張の国は、まるで世界そのものが息を完全に引き取り、凍え切って静まり返っているかのような、深い沈黙の中に沈み込んでいた。

 空は低く垂れ込め、分厚い灰色の雲が庄内川の水面を重苦しく押し潰すように覆い、川面は磨き損ねた鉛の板のように鈍い光を湛えたまま、冷たく澱んでいる。

 昨夜のうちに降り積もった真っ白な雪は、地表の赤黒い泥土と複雑に混ざり合うことで、河原一帯を泥と氷の入り混じった不快なぬかるみへと変貌させていた。

 吹き抜ける厳しい風が葦の群れをざわりと鋭い音を立てて揺らすたび、その冷たい摩擦音だけが、朝の闇の中に残された唯一の生存の気配であるかのように響く。

 日吉は、自らの痩せた肩に古びた縄籠を掛けたまま、無言で泥だらけの川辺を、足元を確かめるようにして静かに歩み進めていた。


 その足元には、波によって打ち上げられ、砕け散った無数の白い川貝の殻が、あちこちに散乱していた。

 白く濁ったその貝殻の多くは、泥の中に半ば埋まり、これまで村の誰からも省みられることなく、ただのゴミとして無残に踏み潰されて転がっている。

 しかしながら、前世の合理的な知恵を有する日吉の目には、それらの捨てられた貝殻が、全く異なる絶大な価値を持つ宝の山として映っていた。

 あれは、ただのゴミなどでは決してない。

 竈の泥壁を石のように強固に焼き締めるための、特別な粘土の補強材となる、奇跡の白い粉を秘めた石なのだ。

 そして何より、この厳しい乱世において、自らの家族の命を守り抜くための、何より強力な生存の「武器」そのものに他ならなかった。

 その真の価値を理解し、実用化することのできる人間など、この時代のこの不毛な村には、どこを探しても存在していなかった。

 だからこそ、他者から不審に思われぬうちに、この日常の風景の中に溶け込みながら、着実に拾い集めておかねばならなかったのだ。


「兄上」


 すぐ背後の、冷たい朝靄の中から、小竹の少し震える声が静かに響いた。

 振り返ると、幼い弟が、寒さのために自らの小さな鼻先を真っ赤に染め上げながら、泥の中に佇んでいた。

 古びた藁を巻きつけたその足元は泥濘にまみれて真っ黒に汚れ、薄い麻の着物の袖口は、朝露の湿気を吸って不快に濡れそぼっている。


「母上から、これを兄上に渡すようにと言われて持ってまいりました」


 小竹が、懐から差し出したのは、泥の汚れを避けるようにして丁寧に包まれた、小さな古い布包みであった。

 包みを開けてみると、中には、昨夜の残りの薄い雑穀粥を、竈の残り火で硬く焼き締めて作った、粗末な握り飯が二つ、静かに収められていた。

 日吉は、その質素な食べ物を見つめながら、自らの両目を僅かに細め、胸の奥にこみ上げる痛みを堪えた。


「……母ちゃんは、今朝はちゃんと自分の分を食べたのか」


「おそらく、自らの口にはほとんど運んでいないと思います」


「そうか、やっぱりな……」


 分かっていたことだった。

 母親のなかという人は、どれほど自らの身体が飢えと寒さに苛まれていようとも、常に子供たちの生存を最優先にし、自らの分を隠してでも先に食べさせようとする。

 どれほど辛い状況にあっても、自らの苦痛は全て隠し通し、最期まで優しく笑って誤魔化そうとする、どこまでも不器用で、深い慈しみに満ちた母親なのだ。

 だからこそ、日吉は、一刻の猶予も許されぬ自らの非力な現状に対して、胸を掻きむしられるような激しい焦燥感を抱かざるを得なかった。

 前世における、あの物質的に豊かな社会にあっては、日々の空腹によって自らの命が呆気なく消え去るかもしれないなどという恐怖は、想像すらしない絵空事であった。

 あるいは、冬の寒さに耐えきれずに家族が寝床の中で冷たくなっていくなどという結末は、歴史の教科書の中の出来事にすぎなかった。

 しかしながら、この何らの保障もない戦国の世においては、一寸の判断の狂い、あるいは僅かな甘えを見せたその瞬間に、人間の命はいとも容易く泥に還る。

 昨日のあの強欲な庄屋を相手にした命がけの折衝だって、本当に紙一重の綱渡りであったのだ。

 もしも、あの老獪な男が僅かでも機嫌を損ね、子供の言葉に激怒して若衆たちに命令をくだしていれば、自分たちはあの冷たい河原の泥の上で、無残に殴り殺されていても不思議ではなかった。

 それほどまでに、この世界においては、死というものの存在が、常に人間のすぐ隣、手の届く至近距離にまで迫り来ていた。

 剥き出しの暴力と、終わりのない飢えの牙が、常に人々の喉元にその冷たい手を掛け、息の根を止めようと狙い澄ましているのだ。


 日吉は、冷たい泥の中に自らの身体を低くしゃがみ込ませ、再び白い川貝の殻を一つずつ、拾い集め始めた。

 小竹も、それ以上の言葉を交わすことなく、兄の隣へと並んで同じように泥の中に手を突っ込み、黙々と貝殻を拾い上げていく。


 ぱきり。

 ぱきり。


 静まり返った河原に、凍りついた泥を剥がし取り、貝殻を縄籠へと放り込む単調な音だけが、虚しく響き渡っていた。

 しばらくの間、無言の作業を続けていた小竹が、ふと手を止め、ぽつりと静かな声を漏らした。


「昨日のあの一件以来、村人たちの私たちに向ける視線は、明らかにそれまでとは異なるものに変わりましたね」


「ああ、分かっているよ。道を歩くたび、皆が避けるようにして遠巻きに見ているからな」


「ええ、まるで何か恐ろしい化け物でも見るかのように、皆が兄上の存在を恐れております。不思議なことですね、私たちはただ、日々の暮らしに有益な、少しばかり暖かい竈を築いただけにすぎないというのに」


 日吉は、その弟の疑問に対して、自嘲気味の僅かな苦笑を浮かべてみせた。


「ただの竈ではないからこそ、彼らは恐れるのだよ、小竹」


「ただの竈では、ない?」


「人間という生き物はな、自らの知らない不気味な新しい知恵や技術を目にしたとき、本能的な恐怖を抱くものなのだ。これまでの半分以下の薪で強い火が燃え盛り、煙も少なく、飯も早く炊き上がることができる。彼らは、頭ではそれが自分たちの暮らしを楽にする素晴らしいものだと理解して喜んでいる。しかしながら、それと同時に、自分たちの計り知れない新しい仕組みの存在に対して、深い『気味悪さ』を覚えざるを得ないのだよ」


 小竹は、泥に汚れた自らの手を止め、兄の説明を、自らの頭脳で咀嚼するようにして静かに聞き入っていた。


「特に、昨日まで自分たちと同じように泥を舐め、最下層で見下していたはずの貧しい我が家が、突然、自らの知らない卓越した知恵を持って、暮らしを変え始めたとなれば、なおさらだ」


 この閉ざされた農村における、共同体の空気というものは、極めて保守的で、排他的な性質を持っていた。

 貧しい小作農は、永遠に貧しいままで地べたを這いずり回っていなければならず、知恵を持たぬ愚鈍な者は、そのままで支配者に従っていなければならない。

 それこそが、何代にもわたって守られてきた、村の既存の「秩序」であり、平穏のシステムであったのだ。

 そこから突然、自らの力で枠組みの外へと飛び出し、突出した富や知恵を持とうとする異分子が出現すれば、人々は本能的な警戒心を抱き、それを排除しようとする。

 その彼らの胸の奥に芽生えた感情の正体は、他者が先に救われることへの浅ましい「嫉妬」であり、自らの立場が崩れることへの「恐怖」であり、そして、最後には集団の力で異物を叩き潰そうとする、凄まじい「排除の予兆」に他ならなかった。


「だからこそ、あの強欲な庄屋だけに独占させる前に、あえて自分たちの手で、この知恵を村人全員に向けて広く配り散らすのだよ」


「……なるほど、そういうことですか」


「そうだ。もしも自分たちの一族だけでこの知恵を独占し、得をし続けようとすれば、私たちはたちまちのうちに村全体から激しい恨みを買い、破滅へと追いやられるだろう。しかしながら、村の全員にこの竈を分け与え、誰もがその恩恵に依存して少しずつ得をする形を築き上げてしまえば、今度は逆に、誰もこの仕組みを壊したがる者はいなくなる。自分たちの利益を守るために、彼ら全員が自発的に、この知恵の源泉である我が家の存在を、全力で守らざるを得なくなるのだよ」


 小竹の、冷徹な瞳の奥に、かつてないほどの深い感銘の光が、静かに宿るのが見えた。


「人を、一時的な恩義や優しさといった不確かな感情で味方につけるのではなく、彼ら自身の剥き出しの『利益』を味方につけて、自らを防衛するのですね、兄上」


「お前は、本当に、五歳に満たない幼児のくせに、どうしてこれほどまでに他人の心理の本質を正確に見抜くことができるのだ」


「兄上こそ、その小さな身体のどこから、そのような大人びた狡猾な策略が湧き出てくるのか、私には不思議で仕方がありませんよ」


「いや、お前のその早熟さの方が、客観的に見て十分に異常だからな」


 小竹は、自らの非を指摘されたのが僅かに不満であったのか、口元を小さくへの字に曲げて、むっとした表情を浮かべてみせた。

 しかしながら、その直後のことであった。

 冷たい風が吹き抜けた瞬間、小竹は、自らの小さな身体を震わせ、くしゅんと小さく可愛らしいくしゃみを漏らした。

 日吉は、そのあまりにも年齢相応な弟の姿を見て、それまでの張り詰めていた緊張を一瞬にして忘れ、思わず大声を上げて吹き出してしまった。


「なんだ、やっぱり本当は寒くて仕方がなかったんじゃないか」


「……寒くなどありません。これは、ただの武者震いです」


「どこの戦場に立ち向かう武者だというのだ、お前は」


 そう言って笑いながら、日吉は、自らの首元に巻かれていた、僅かに泥に汚れた古い布をそっと解きほぐすと、それを抵抗する小竹の首元へと、強引に押し付けるようにして巻きつけてやった。

 弟は、突然の兄の行動に驚いたように両目を丸く見開いていたが、やがて、その布から伝わってくる確かな温もりに安心したのか、素直にそれを受け入れ、自らの小さな首をうずめた。


「……兄上は、やはり、本当に優しいのですね」


「当たり前だろ。お前は、この俺のことを一体どのような冷酷な人間だと思っていたのだ」


「いえ、この数日間の兄上は、常に眉間に深い皺を寄せて、恐ろしい顔ばかりをしておいででしたので」


 その、弟の率直な一言を聞いた瞬間、日吉は、自らの胸の奥に、鋭い痛みを覚えて黙り込んだ。

 恐ろしい、余裕のない顔。

 確かに、小竹の指摘する通り、今の自分には、周囲を見渡すだけの心のゆとりなど、どこを探しても残されてはいなかった。

 泥竈を完成させ、庄屋と命がけの交渉を行い、村人たちの陰湿な視線の推移を読み、河原に潜む川並衆たちの不穏な動きに、常に神経を尖らせ続ける日々。

 脳髄に過度の負荷をかけ、常に最悪の結末を回避するための策略ばかりを巡らせていれば、表情が冷酷に強張っていくのも当然のことであった。

 しかしながら、それ以上に、日吉自身を深く脅かしていたのは。

 自分が、この戦乱の時代の過酷な「ルール」に対して、あまりにも急速に、そして冷酷に適応し始めているという、精神の摩耗そのものであった。

 前世における、あの平和で行き届いた社会にあっては、他者を脅し、騙し、利用しながら生き延びる必要など、ただの一度として存在しなかった。

 誰を警戒し、誰に利益を流して依存させ、どのようにして自らの安全の境界線を築くか。

 そのような、人間の汚い欲望の隙間を縫うような策略ばかりを考える人間では、かつての自分は決してなかったはずなのだ。

 なのに、今の自分は、生き残るためであるならば、何らの躊躇を抱くこともなく、自然と頭脳が冷酷に回転し、計算を始めてしまう。

 その、自らの内側に生じた不気味な精神の変化に対して、自ら嫌悪の念を覚え、恐ろしくなる瞬間が、確かに存在していたのだ。


「兄上」


 不意に、小竹が自らの声を限界まで押し殺し、日吉の袖を引いた。


「……向こう岸の、あの葦の群れの影を、じっと見てください」


 日吉は、言われた通りに素早く顔を上げ、対岸の鬱蒼とした荒れ地の陰へと視線を走らせた。

 白く濁った川霧の立ち込める向こう側、距離が遠すぎて、そこに潜む者の具体的な顔つきや衣服の形までは、到底視認することはできなかった。

 しかしながら、茂みの隙間から、射すような鋭さをもって自分たちの動きをじっと値踏みしている、他者の確かな「眼光」の気配だけは、肌で感じ取ることができた。

 それは、獲物の隙を窺う野生の獣の視線に、極めて酷似していた。

 息を潜め、相手がどれほどの価値を有しているのか、どのタイミングで喰らいつくのが最適であるかを、冷徹に計算している視線。

 日吉の脳裏に、昨日あの渡し場の近くで遭遇した、あの小六と名乗った大男の、物物しい佇まいが、不気味に蘇ってきた。

 あれは、ただの平穏な百姓の目などでは決してなかった。

 もっと暗く、法の通じぬ危険な場所で、何人もの他者の命を奪うことに慣れきっている、社会の境界線の外側に身を置く人間の匂いであった。


「……これ以上の長居は危険だ。すぐに荷物をまとめて、ここから立ち去るぞ」


「はい。背後の気配は、私の方で注意深く監視しておきます」


 小竹も、それ以上の無駄な質問はせず、自らの縄籠を背負い直して、足早に歩みを開始した。

 河原を離れ、村の集落へと戻る道の途中、背中に張り付いていた、あのねっとりとした他者の視線の感覚は、しばらくの間、消え去ることはなかった。


 あばら屋へと戻ると、室内の空気は、外の極寒の世界に比べて、驚くほどに暖かく、人間にふさわしい安らぎに満ちていた。

 新しく据え直された、あの古石の竈のおかげであった。

 燃えている薪の量は、従来の囲炉裏に比べて劇的に少ないにもかかわらず、放出される熱量は飛躍的に高く、室内の温度を力強く引き上げている。

 土鍋から立ち上る、真っ白な粥の湯気が、薄暗い室内を優しく満たし、安心感をもたらしていく。

 姉のともが、嬉しそうに竈の周囲を触りながら、その火の快適さを喜んでいた。


「日吉、これ本当に凄うございますよ。以前の囲炉裏のときに比べて、部屋全体が本当に隅々まで暖かくなりました」


「目にも全く煙が染みないねぇ、これならば、毎日目を真っ赤にして涙を流しながら煮炊きをする必要もなくなりますよ」


 母親のなかも、目を細めながら、本当に嬉しそうに日吉の頭を撫でてくれた。

 その、家族の純粋な喜びの姿を目にした瞬間、日吉は、自らがこれまでに重ねてきた数々の苦労や、精神的な摩耗が、一瞬にして報われたかのような、深い安堵の念を覚えた。

 自分は確かに、正しいことをしたのだ。

 この手で、大切な家族の元へと、生きた「火」を取り戻し、冬の死の恐怖から、彼らを救い出すことができたのだから。

 前世においては、どれほど大きな売上を達成しようとも、これほどの満ち足りた幸福感を得ることなど、ただの一度としてなかった。

 ただ、大切な人が寒さに震えず、美味い飯を口にして笑い合っている。

 その、日々のささやかな出来事の中にこそ、人間が生きていくための、真の価値が存在しているのだ。


「日吉」


 囲炉裏の脇で、左腕を庇うように座り込んでいた弥右衛門が、低い、重厚な声を響かせた。


「今朝、庄屋の屋敷の方から、こちらに向けて使いの者がやってきたぞ」


「……庄屋様が、一体何と伝えてきたんだ」


「明日、村のすべての男衆を、あの河原の広場へと一斉に招集するそうだ。そこで、お前の作り出したこの便利な竈の力を、皆の前で公式に披露して見せろとのことだよ」


 日吉は、その言葉を聞いて、自らの胸の中で静かに息を吐き出した。

 やはり、すべては自らの想定していた通りの、早い展開で事態が推移しつつあった。

 庄屋の男は、昨日の交渉を通じて、この泥竈の知恵が、単なる一過性の便利な道具などではなく、村全体の年貢の納入や、自らの支配権を強化するための、極めて強力な「富の源泉」となることを、完璧に理解したのだ。

 消費する薪の量が減り、煙が減り、病死する小作農の数が減少すれば、それだけ、領主へと確実に納入される年貢の量は増大する。

 支配する側からすれば、これほどまでに都合よく、自らの利益を保証してくれる新技術は、どこを探しても存在しない。

 しかしながら、それと同時に。

 この竈の噂というものは、明日を境にして、この閉ざされた中村の境界線を完全に越えて、外の広い世界へ、そして川の向こう側へと、一気に広がり、伝播していくことになるのだ。


「兄上」


 小竹が、他人に聞こえぬように身を寄せ、小声で囁きかけた。


「いよいよ、この知恵を完全に隠し立てしておくことは、物理的に不可能になりますね」


「ああ。これからは、隠すのではなく、むしろ逆に、こちらから積極的に配り散らす番だ」


 弥右衛門が、その日吉の言葉を聞いて、不安げに太い眉をひそめた。


「お前は、一体何を考えているのだ、日吉。せっかく手に入れたその貴重な我が家の宝を、どうしてわざわざ他の百姓どもにまで、ただで教えてやる必要があるというのだ。それでは、かえって危険ではないのか」


「半端に隠し立てをするからこそ、他者からの激しい疑念や、力ずくでの強奪を招くのです、父ちゃん」


 日吉は、竈の燃え盛る炎を見つめ直したまま、自らの意思を力強く語り継いだ。


「ならば、あえて堂々と村全体の家々に向けて、自分たちの手でその知恵を広く配り与えてしまうのです。皆がこの竈の恩恵に浸りきり、日々の暮らしに欠かせないものとして依存するようになれば、今度は村全体が、この仕組みを守るための強固な防壁へと変わるのですよ」


 その、子供とは思えぬ圧倒的な生存の戦略を聞き、あばら屋の中にいた家族の誰もが、言葉を失って静かに押し黙った。

 誰も、日吉のその非情な決断を、否定することはできなかった。

 もう、後戻りすることなど叶わないのだ。

 皆、心のどこかで深く理解していた。

 あの泥竈を完成させ、暴力に対抗し、庄屋と命がけの交渉を行ったその瞬間から。

 自分たちの一家は、ただの「何も持たぬ無力な貧農」のままでは、決して生き残っていくことはできないのだと。

 変わらざるを得なかった。

 この不条理極まりない乱世を、生き抜いていくために。


 囲炉裏の僅かな残り火が、パチリと大きく音を立てて爆ぜ、部屋の暗闇を照らし出した。

 母親のなかが、自らの荒れた手をそっと合わせ、静かな、優しい微笑みを日吉に向けた。


「なら、私たちは、ただ迷うことなく前へ進むしかないねぇ、日吉」


 その声の響きは、弱々しくはあったが、不思議と、日吉の腹の底へと染み渡り、凄まじい勇気をもたらしてくれた。

 この人は、どれほど生活が過酷であっても、どのような窮地に立たされていようとも、最期には必ず、温かい笑顔を家族に見せてくれる。

 だからこそ、日吉は、自らの魂のすべてを賭してでも、この愛おしい笑顔を、乱世の理不尽から守り抜かねばならないと、改めて誓うのであった。


 外の世界では、雪が再び激しさを増し、凍てついた泥だらけの村落を、静寂の奥底へと白く包み込もうとしていた。

 しかしながら、その冷酷な白一色の世界の中にあって、自分たちの粗末なあばら屋の内部だけは、新しく生まれたあの小さな竈の「火」を、力強く、そして温かく灯し続けていた。

 未だ小さく、弱く、泥にまみれた存在にすぎないが、その生への渇望の火だけは、決して消えてはいない。

 自らの大切な家族を守り、この理不尽極まりない戦乱の時代のすべてをねじ伏せるその日まで。

 使えるものは、自らの持つすべての「知恵」も、他者を利用する冷酷な「嘘」も、すべてを徹底的に使い尽くしてやるのだと、彼は燃え盛る竈の火を見つめながら、改めて心に強く誓うのであった。

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