第8話 明日は、
試合開始まで、あと10分。充たちは、最後のミーティングを終え、円形に並んでいた。
「よし!ミッチー、挨拶は頼んだ!」
潤の言葉に頷き、充は一歩前に出た。
「よ!チビ副部長!」
「チビは余計じゃい!」
3年生部員のボケに、充は突っ込む。これは、充たちが一番上の世代になってから始めた、試合前の緊張感を解すための常套句である。現に、後輩たちの顔つきは先程よりも柔らかくなっている。充は気持ちを切り替えて、部員全員を見回す。皆の表情は引き締まり、やる気に満ち溢れている。いつもなら、この状態の皆をさらに元気付ける言葉を掛け、円陣を組んでから試合に臨む。そう、いつもなら。充は、先程、翔から言われた提案を実行するために息を吸い、口を開いた。
「俺は今、物凄く緊張している。」
体育館全体に響くような大きな声ではない。しかし、その言葉は部員に衝撃を与えた。
「ミ、ミッチー?どうした?」
右隣にいる潤が、心配そうに充に声を掛ける。いつも堂々と発言する潤らしからぬ、小さな声であった。
「緊張で有り得ないミスをするかもしれない。」
充は下を向きながら、言葉を続ける。自分が今、抱えている思いを全て吐き出すために。充は、震える両手を握りしめた。
「だから。」
充は一呼吸し、顔を上げる。部員たちの顔は、驚きに染まっている。そんな顔を見ながら、充は眉を下げ、白い歯を見せながら笑った。
「ミスした時のフォローはよろしくな。」
いつもの充なら絶対言わない弱い言葉、そして周りを頼ったその言葉は、部員たちの心を動かした。
『ミッチー/先輩~~!!!!!』
「うおっ!」
充は、右隣にいた潤に頭を乱雑に撫でられる。左隣の部員からは、背中を痛くない程度に叩かれる。
「何なんだよお前~。」
「ミッチー先輩、泣かせに来ないでください!まだ大会は終わってないんですから!」
「もうお前がMVPだよ!」
「えぇ...」
部員たちの、度が過ぎる感極まった言葉に、充は若干引きながらも嬉しさを感じていた。ふと、2階席を見ると、翔と目が合った。翔は、充と目が合うと、親指を立てた。
(「思い切って弱さを見せる。」...か...。)
充は、翔から言われた提案を思い返していた。自分の弱さを曝け出すというその提案は、言ってしまえば充自身の気持ちを、驚く程軽くさせた。充は、感謝の気持ちを込めて、翔に向かって親指を立てた。
「よし!円陣組むぞ!」
充たちバスケ部員は、潤の言葉で肩を組んだ。
「ミッチーが漢気見せたんだ!後に続くぞ!」
『オー!!!!!』
「漢気とは...」
部員たちは力強く答えた。充は突っ込みながらも、先程よりもやる気に満ち溢れている部員たちの声を聞いて、微笑んだ。試合開始のブザーが、体育館に鳴り響き渡るまであと少し。
「今年の決勝戦は、凛高と芝高かー。」
「凛高は毎年決勝戦に出てるけどよ、芝高は初めてなんじゃね?」
「去年はベスト8にも入ってなかったもんな。」
「今年の芝高って、何か違うよな。」
「違うって何がだよ。」
「んー...言葉にするの難しいんだけどよ...雰囲気っていうか...」
「大会前に練習試合した時とは雰囲気変わったよね。メンバーは変わってないはずなのに。」
とある高校の生徒たちは、決勝戦を観戦するために2階席に座り、今年の決勝戦について話していた。凛高とは、凛沢工業高校の略称である。県内屈指のバスケの強豪校で、過去のインターハイ出場回数は県の中で最も多い。凛高は、9年間連続でインターハイに出場しており、今年、インターハイへの切符を手にすれば、10年連続となる。一方で芝高とは、充の通っている高校、芝浦高等学校の略称である。インターハイ出場高校を決める大会で、決勝まで残るのは初めてのことである。
「部長の田崎とか2年の杉宮がいるから、ここまで勝ち上がって来れたんだと思うけどよ、決勝まで残るとは想像付かなかったな。」
「てか、その二人、何でバスケ強豪校に進学しなかったんだ?」
「さぁな、俺がわかるわけねぇよ。」
彼らの視線は、1階でウォーミングアップをしている潤と優希に注がれていた。潤は顧問と打ち合わせ、優希は片足前屈をしていた。二人とも185cmを超える高身長で、体力面並びに技術面でも優れており、芝高バスケ部のツートップとも言える。
「でも何と言っても、芝高名物は...」
『ミッチーだよな!』
彼らは、次に充へ視線を移した。充は、先程までウォーミングアップをしていたが、今はスポーツドリンクの入ったスクイズボトルを片手に休憩している。
「格別にバスケ上手いってわけではないんだけど、何か目が離せねぇんだよな。」
「見ている俺たちまで元気もらえるっていうか。」
「芝高のマスコットなんじゃね、アイツ。」
「あー、他校のやつも言ってたな、そんなこと。」
彼らは、再び充に目線を移す。その目は、まるでわが子を見守る親のような暖かいものであった。
「俺、芝高に勝ってほしいわ。」
「わかる。一度、凛高ぶっ飛ばしてほしい。」
「よーし、それじゃあ、賭けようぜ。負けたらジュース奢りな!芝高が勝つと思うやつ!」
『はーい!』
「全員じゃねえかよ!」
「へくしゅっ!」
「ミッチー先輩、大丈夫っすか?」
「平気平気。誰かが俺の噂してるのかもな。」
「チビって?」
「お前も言うようになったな。成長と捉えておいてやる。」
「あざっす!」
充は、隣で試合の準備をしていた1年生と話していた。最近、1年生にまでいじられるようになった充だが、特段気にしていない。寧ろ、仲良くなれるのであればそれで構わないとまで思っている。そんな充は、後輩たちの中で、一番気兼ねなく話せる先輩と慕われているのだが、充自身、そのことには気づいていなかった。
「そういえば何すけど、ミッチー先輩が試合前に食べてた駄菓子って、買ってきたやつだったんですか?先輩が戻ってきた時、駄菓子持ってたから、1年の中でわざわざ近くのコンビニまで買いに行ったんじゃないかって話になってますよ。」
「あぁ、あれね。貰ったんだ。」
充はズボンのポケットに手を突っ込む。取り出したのは、翔から貰った駄菓子の袋を小さく畳んだものである。充は試合前に駄菓子を食べ終わっていたが、袋にもご利益があるのではと思い、捨てることができず、小さく畳んでお守り代わりにズボンのポケットに入れていた。
「え、誰からっすか?」
「んー。」
後輩の問いかけに充は悩む。友人であることは確実。しかし、翔をその括りに収めたくなかった。充は考え抜いた末に、ふと思い付いたことを口にした。
「大切な人...かな...。」
「白石。」
「はい!じゃ、俺行くな。」
充は顧問に呼ばれたため、後輩に一声掛け、そちらに向かう。残された後輩は、その姿を目で追う。後輩は、充が先程の言葉を口にした後に見せた、幸せそうな顔を忘れられないでいた。
「...絶対いるじゃん、彼女。」
その声は、体育館に響くドリブル音にかき消された。
翔は、2階席から試合を見ていた。その試合は、凛沢工業高校と芝浦河高校の決勝戦。この試合で、インターハイ出場高校が決まる。そのため、観客は先程よりも増えていた。試合は、凛沢工業高校が3点リードをしているが、接戦と言える状態であった。いつもは圧勝する凛沢工業高校に対し、負けじと対抗する芝浦河高校のバスケ部員の姿に、観客たちは盛り上がっていた。しかし、盛り上がりの要因はそれだけではない。
ピピーッ!
ホイッスルが体育館に響き渡る。スコアが3点追加され、芝浦高校は凛沢工業高校と同点に並ぶ。
「しゃっ!!」
シュートを決めた充はガッツポーズをし、駆け寄ってきた仲間たちに揉みくちゃにされながら笑い合う。点を取ったという嬉しさを身体全体で表現する充の姿に、観客たちは無意識に魅了されていた。
「「「いいぞ!いいぞ!ミッチー!押せ!押せ!チッビー!!」」」
「お前ら聞こえてるからな!」
「「「アハハハハハ!!!」」」
さらに、芝浦河高校独特のノリにも観客たちは惹かれていた。それらの要因によって、会場は今、芝浦河高校にツキがきていると言っても過言ではない。翔も例外ではなかった。充のバスケをする姿を見て、翔は自分の胸の内が熱くなっているのを感じていた。
(これは、一体何なんだろう。)
翔は、胸に手を当てる。翔はなぜ自分が熱くなっているのかわからず、ただ困惑していた。
「おいおい、これ、芝高マジで勝つんじゃね?」
「ガチであるぞ、この試合。」
「てか、あの5番面白れぇ!」
「アタシ、あの子のファンになっちゃいそう。」
翔は、どこからか聞こえてくる観客の声に耳を傾けていた。5番とは充のことである。翔は、充が褒められているのを聞き、自分のことではないが得意気になる。
(それよりも、あの9番、さっきから充と距離近過ぎ。)
翔の視線の先では、9番である優希が充に近寄り、耳打ちをしていた。その内容は、恐らく次の動きの確認なのであろうが、翔にはその距離が近過ぎるように思えた。距離の近さは、何も試合中だけではない。休憩中、準備中、作戦会議中。優希は、充の横又は近くに必ずいる。充は、そのことに気付いていないのだろう。優希が充の近くにいるのを視認する度に、翔は気持ちがもやもやしていた。
(充も充だよ。無防備なんだから。)
翔はその感情を表すかのように、片頬を膨らませた。
「芝高の5番の子、彼は人をやる気にさせる天才だね。」
会場の熱気とは対称的な、落ち着き払った男性の声により、翔の意識はそちらに向く。その声は、翔の左後ろから聞こえてくる。 その声は、決して大きくない。しかし、翔には何故か鮮明に聞こえていた。
「彼を見ていると、なぜか僕まで何かに挑戦をしたくなる。だから、ここにいる観客の多くが彼が所属する芝高を応援したくなるんじゃないかな。」
「そうですね、先生。俺も、いつの間にか芝高の応援してました。」
もう一人の男性の声は、「先生」よりも若い声である。生徒なのだろうかと翔は推測するが、それよりも翔は「先生」と呼ばれる人が言った言葉が心に残っていた。充の姿を見ると、自分も「何かに挑戦したい気持ち」になる。翔も、「先生」と同じであった。翔が充に目線を向けると、充は凛沢工業高校チームからボールを奪い、味方にパスをしていた。その一連の流れに、観客から歓声が上がる。翔には、充がこの場にいる誰よりも輝いて見えた。それは、まるで駄菓子屋から見える、太陽の光を反射してキラキラと輝く海のようだった。
(あぁ、そっか。俺って。)
翔は、「先生」の言葉を聞いて、すとんと腑に落ちた。翔は、自分の胸の中で燻っていたものの正体に気付くことができたのである。
「技術面も体力面も悪くない。プロとして生きていけるだけの可能性も十分に秘めている。」
残り10秒。ボールの主導権は、凛沢工業高校。このターンで、インターハイ出場校が決まる。
「ただ。」
「先生」はそこで言葉を区切る。凛沢工業高校の部長が、ドリブルで充を躱した後、シュートの構えを取る。潤たちがブロックしようとするが、相手の放ったボールは、潤たちをまるで嘲笑うかのように、高い軌道を描き、ゴールに向かう。翔にとってその瞬間は、スローモーションのようにゆっくりに見えた。
「彼は、高校生にしては、あまりにも大人び過ぎているみたいだね。」
ビーーーッ!
試合終了のブザーが鳴る。美しい、スリーポイントシュートだった。スコアは、73対72。インターハイへの切符を掴んだのは、凛沢工業高校だった。




