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第7話 出任せおまじない

 「今月末の大会、見に来てほしい。」

海の見えるベンチに充と翔が並んで座っていた時、充は唐突にそう言った。夕焼けの海を静かに眺めていた翔は充を見る。翔を見る充の目は、真剣である。翔は言葉を何と返そうか逡巡し、しばらくして口を開いた。

「・・・それ食べながら言うこと?」

翔がそう言うのも無理はない。サクサクした衣が塗され、甘辛いソースが染み込んだトンカツを思わせる駄菓子。充は、それを片手に且つ口許に衣を付けながら、翔に先程の言葉を伝えたからだ。 

「せっかくかっこいいこと言ってるのに、台無しだよ。」

「いいの!俺は、試合前にはこれ食べるって決めてるから。」

「そういう問題じゃなくて・・・」

充は駄菓子を齧る。少し辛いカレーの味が口に広がる。噛み応えのある魚のすり身のシートにサクサクの衣。駄菓子に罪はない。充は、その美味しさに自然と笑顔になった。

「インターハイへの出場を懸けた大事な大会なんだ。笑っても泣いても最後。本当は、よっちゃんにも見に来てほしいけど。」

充は、駄菓子を持っていない左手を見ながら、高校3年間を振り返った。高校で初めて試合に出た日。上手くシュートが決まらず、落ち込んだ日。先輩や後輩、同級生とふざけ合いながらも真剣に戦略を考えた日。満身創痍になるような過酷な練習やバカ騒ぎした休憩も。楽しかったことや辛いこと、充にとって全て大切な思い出である。充は、そんな思い出の詰まった結晶を「大切な人たち」の一人である翔や芳江に見届けてほしいと思った。

「わかった。充の勇姿、見させてもらうよ。ばあちゃんにも写真で送る。」

「ほんと!?」

充は顔を上げて、翔を見る。 翔の言葉に、充はキラキラした瞳で満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう。すっごく嬉しい。」

「ふふ、大袈裟だな。けど俺、バスケのルール、あんまりわからないよ。」

「大丈夫!俺のいるチームが勝てば良いから!」

「・・・俺でもそれくらいはわかるよ。」

充が親指を立てて放った言葉に、翔は呆れながらも微笑んだ。

バスの時間まで、あと15分。そろそろ帰り支度をしなければ、バスに間に合わない時間となった。充は、駄菓子の袋を片付け始める。

「最後の追い込みで水曜の放課後にも練習あるから、ごめんけど来週から来られない。場所とか時間とか、詳細決まったら、あとで連絡するから。」

「うん、了解。」

充は支度を済ませ、鞄を手に立ち上がる。空は、先程よりも橙色に染まっている。

「じゃあまた!」

充は翔に手を振り、駆け出した。大切な試合を見てもらえる。だから、負けたくない。充は、試合に対する気持ちを引き締め直すと同時に下半身のトレーニングを兼ねて、いつもよりも速く走った。夕日に照らされた海は、いつものようにキラキラと光を反射していた。


「タオルは持った?」

「うん。持ったよ。」

「水筒は?お弁当も入ってる?」

「お父さん、心配し過ぎよ。充は、もう高校3年生なんだから。充、靴も忘れないようにね。」

「母さん、僕のこと言えないよ。」

仁志と紗季の会話を聞きながら、靴ひもを結び終わった充は、立ち上がって二人の方を振り返る。

(去年もこんな感じだったな・・・)

充は昨年の大会の日の朝を思い出す。全く同じような言葉を掛け合う2人に、充は苦笑した。

「あとで応援に行くからね。」

「気をつけて行くんだぞ。」

「うん、ありがブワッ。」

充が2人にお礼を言っていると、突然、充の顔を目掛けて何かが飛んできた。充は避けきれずに、顔面でそれを受ける。

「琉華!」

充は、犯人を特定する前に名前を呼ぶ。姿を確認すると、充の想像通り琉華がおり、その後ろでは麻美がリビングの扉を閉めていた。

「せめて大会の日くらい「充、その袋開けてみな。」え?」

普段通りの暴君のような態度に、充は琉華に文句の一つでも言ってやろうと口を開くが、麻美が言葉を被せてきた。想像していなかった言葉に、呆気にとられた充は、麻美が指差している両手サイズの黄色い小さな巾着袋を眺める。英文が書かれたその袋は、琉華のものである。充が3年前の誕生日にプレゼントしたものだった。充が袋の紐を引っ張り、中を見ると、そこにはチョコレートやラムネなど、一口サイズの様々なお菓子がぎっしり詰まっていた。

「私が2割、琉華が8割。空いた時間にサッと食べられるサイズのお菓子だから。」

「え?いいの?こんなに?」

充は驚きで2人を見やる。琉華は、充と目が合うとふいっと視線を反らした。

「そのために前々から買ってたんだから。」

琉華は充に答える。麻美がチラリと琉華を見ると、琉華の耳は少し赤く染まっていた。そんな琉華を愛らしく思った麻美は、琉華の頭を優しく撫でる。

「優勝してインターハイ出場決めてきな。」

「ありがとう!麻美ねぇ!琉華!」

充はニッコリと笑って拳を上げる。麻美はふっと笑い、拳を上げる。琉華も釣られて小さく拳を耳の高さまで上げた。

「行ってきます!」

『いってらっしゃい。』

充は大きな声でそう言うと、玄関のドアを開ける。充は空を見るために、視線を上げた。天気は晴れ。快晴ではない。それは、どこか充の心を表していた。充は駆け出す。まるで、何かを置き去りにするように。


 「試合前までは各自自由で構わない。試合が始まる前にはここに集合するように。それじゃあ、解散。」

顧問がそう言うと、部員たちは試合に向けて各々好きなように過ごす。怪我防止のためにストレッチを念入りにする者、緊張を解すために仲間と雑談をする者、パス練習をする者たち。

「潤、俺、ちょっと外出てくる。」

「オッケー。時間までには戻って来いよ。」

充は部長である潤に声を掛け、その場から離れる。外に出ると、エントランスには他校の生徒や保護者等がおり、緊張感が伝わってくる。充はスマホを開き、場所を確認して早足に目的地へ急いだ。


「翔!」

体育館の外に出て、目印としていた近くの一本木の所へ向かうと、翔が木陰に立っていた。黒の七分袖のシャツにデニムパンツ。シンプルな服装ながらも高身長でスタイルが良いため、絵になっていた。制服姿の翔しか見たことがなかった充は、一瞬戸惑ったが、近寄り声を掛けた。

「充。良かった。会えないかと思った。」

「ごめん!ミーティングが長くなった。」

「気にしないで。むしろそっちの方が大事だから。」

充は身体の前で両手を合わせて詫びるが、翔はそれを制す。

「それより充。」

翔は少し屈み、充に目線を合わせる。充は、そんな翔を不思議そうに見つめ返す。

「緊張してるね。」

「・・・はぁ~、やっぱわかる?」

翔に見抜かれ、充は気が抜けてしゃがみ込む。

「間近でよく顔を見たらわかった感じ。ぱっと見じゃわからないよ。」

翔も同じく、充の目の前にしゃがみ込んだ。

「朝、家族に応援されて、ここに来るまでは絶対勝つ!って意気込んでたんだけど、体育館の匂い嗅いだら、急に心臓バクバク言い始めた。」

「あぁ、あの独特な木材の匂いね。」

「あと、他校の生徒見ると、いよいよ始まるって思って、そしたら手の震えとか止まらなくなって。上手くいかなかったらどうしようとか、負けたらとか。でもそんな姿、同級生とか、ましてや後輩をに見せて、不安にさせたくないし。」

充は、目の前の雑草を見ながら、一気に話し出す。 自分の心臓が胸に手を置かなくてもわかるくらい大きく脈打っているのを感じていた。震えを抑えるかのように、自分の両手を握り込む。充は、自分の不安を全て吐き出すかのように、翔に自分の思いを伝えていた。

「充。」

静かに充の話を聞いていた翔が、凛とした声で充の名を呼び、自分の両手で充の両手を包んだ。その声は、充の中で渦巻いていた雑念を一気に消した。充は、顔を上げて翔の目を見た。

「12×3は?」

「え?何で「いいから。」・・・36。」

翔が突然出した掛け算の問題に充は戸惑うが、翔の真剣さに圧されて答えた。

「16×4は?」

「・・・64。」

「18×7は?」

「・・・126。」

充が答えを考えている間に、翔はゆっくりと充の両方の掌を開かせた。

「57×9は?」

「・・・・・・513?」

「・・・うん。どう?落ち着いた?」

翔は表情を緩め、充の手から自分の手を離し、尋ねた。

「え?・・・あ、確かに。何かさっきよりも楽かも。」

充は胸に手を当て、深呼吸をする。充は、夏を感じるような爽やかなな空気が肺に入ってきて、不要なものが外に出ていっているのを感じた。

「緊張するのは悪いことじゃないよ。」

「緊張が?」

充は、翔の予想外の言葉に思わず聞き返す。

「それだけ真剣に向き合ってきたってことだよ。俺には縁がないことだから、羨ましいよ。」

翔は笑った。その笑顔はどこか自嘲気味ではあった気がしたが、勘違いだったら失礼だと思ったため、充は深く言及することができなかった。

「そうそう。これを渡そうと思ったんだ。」

翔はバッグを開き、何かを探す。

「はい。差し入れ。」

「これって・・・」

翔が充に渡したものは、充がゲン担ぎとして試合前に食べる駄菓子であった。

「試合前に食べてるんでしょ?」

充の目に、光が差す。駄菓子も嬉しいが、自分が前に言ったことを翔が覚えていてくれたことが何よりも嬉しかった。

「あとは、そうだな・・・。俺が、とっておきのおまじないをかけてあげる。」

翔は、駄菓子の上に両手を翳す。

「"充が試合を楽しめますように"。アブラカタブラ。」

「・・・ハハハ!何だよ、アブラカタブラって。」

「仕方ないでしょ。今、とっさに思い浮かんだのがそれなんだから。」

翔のおまじないに充は笑う。そんな充に、少し拗ねながらも、久しぶりに見た屈託のない充の笑顔に翔は安堵した。

「翔、ありがとな。」

「・・・うん、いつもの充だね。俺の出任せのおまじないが、早速効いているね。」

「おまじないかけたのは駄菓子だけだろ。」

「俺のおまじないは、広範囲に適用可能なのである。」

「何だよそれ。」

充は笑った。翔は、そんな充の目の下を左手の親指で優しく、けれど何かを拭うように撫でた。

「でも、まだ緊張してる。」

充は、右頬を人差し指で搔きながら、恥ずかしそうにはにかむ。

「じゃあさ・・・」

翔は充にとあることを耳打ちする。 誰にも聞こえないように、小さく、けれどはっきりと。

「え、でも、それって余計に・・・」

「大丈夫。きっと上手くいくよ。」

「・・・わかった。やってみる。」

突如、充のスマホからアラームが鳴る。それは、あらかじめ充が設定しておいたものだ。そろそろ戻らなければならない時間である。充と翔は立ち上がった。

「いってきます。」

「楽しんできてね。」

充が前に差し出した拳に、翔は拳を合わせる。翔は、充の目を見る。純粋に、やる気に満ちあふれた澄んだ瞳。そこに、もう迷いは感じられなかった。

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