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第二章〈千早〉一話

男の体を舐め、触る、男の顔を見る。快楽に溺れそうになる一方どこかこの状況を俯瞰しているような目だった。お前と俺とでは住む世界が違うというような、動物園の動物に向ける好奇の目が千早に向けられていることに気がついてしまった。それはよくある事で自分自身でも、もうそんなことには慣れていると思っていたはずがやはり心に引っ掛かりを感じる。その覚悟をもった上でやっているのだろと言われるかもしれないが、そうであったとしてもこれを無視できるほど人間は強くは無い。千早はそれに気づかないフリをして行為を続けた。馬鹿だと思われる方がずっと楽だった。



場面が暗転し自然と目が開く。そこには見慣れた天井が映し出された。布団の暖かい感触が肌に伝わる。なにか嫌な夢を見ていたような気がする。時刻を確認してみると午前十一時半であった。仕事を辞めてから朝早くに起きなくて良くなり、生活リズムは欲望の赴くままに悪化して行った。午前三時まで起きていることも珍しくないような、堕落した生活を送っていた。


もともとは何か新しいことをしたい、強いていえばとりあえず以前働いている店に来た気になる客を探したいという思いで仕事を辞めたはずであったが、職種の関係から金はかなり溜まっており、とても何かをする気にはなれなかった。何かしたい事があって貯めた金でも何でも無いのでその使い道は全て生活費に流れている。


学生の頃は朝布団の中で数分は出ることが出来ず、出てからも意識が朦朧とする時間があったが、今の生活となってからは起きてからすぐに布団を出ることが出来る。日本人は寝なさ過ぎているのだ、社会が決めた過酷な時間設定に縛られるのは心身ともに良くないだろう。皆もっと朝の時間を緩くするべきだ。


起きてから顔を洗い化粧水をつける。どんなに急いでいる時でも朝のこの作業だけは欠かさなかったので肌の状態はかなり良い、スベスベである。髭は薄い方であるが生えてこない訳ではない。あまり家を出ていなかったので少し目立つところがあり、電動シェーバーで除去する。ケア後の顔はかなり冴えておりそのまま鏡にドヤ顔ピースを決めた。


朝食はチョコ味のコーンフレークである。一人暮らしする前は朝食が食べきれないほどの量出されており、栄養も満点であったが今は起きてすぐ準備出来るほどの気力がないためこのようなもので済ませている。ほどんど活動していないため脂肪がついてしまうのを気にしてスプーン三杯程にしておいた。


風俗のような店で働く場合は見た目がかなり重要視される。もちろん愛嬌が無かったり、客の好みに合わせてあげられなかったりするとリピーターがつかないというのはあるが、まず最初の客を掴めなければ意味がない。千早の顔は少し恵まれてはいるが、その上で全身の肌のツヤを保つ、髪はサラサラ、スタイル抜群を維持しなければ正直あまり多くは稼げない。給料制ではなく歩合制、つまり客が来なければ金は貰えないというシステムであるからだ。その当時の美維持意識が根付いるため堕落した生活の中でも容姿は綺麗な状態を保てていた。


『本日五月十五日、東京は全面的に晴れるでしょう…』


もう十五日か、五月の半分も来てしまったのかと驚いた。仕事を辞めたのは四月上旬であったがそれからというもの時の流れが異様に長い。起きている時間が短くなったというのもありそうだが、それだけでは説明出来ないほどに早く感じていた。


千早は九州生まれ九州育ちであったが、正直そこには何も無かった。成人する前には既に土地に飽き飽きとした印象を抱き、高校卒業後アルバイトで少し金を貯めてから上京してきた。上京と言っても当時金はほとんど持っていなかったから埼玉の所沢という所に家を借り、現在もそこで暮らしている。埼玉県は東京の隣とは言っても、畑が多いなど都会の隣とは思えないような雰囲気である。そのおかげか、家賃も何とか払える額の所が多い印象だった。東京までの交通費は電車を使えば意外と安いからかなり得をしていると言えるだろう。


今日は久しぶりに東京に行き、大好物であるスイーツを食べにカフェへ行こうと思う。オシャレな店を巡り、写真を撮り、食らうというのがとても好きだった。SNSはやっていないから投稿のためとかでは無いが、写真を撮ると思い出になるし自分のコレクションのように感じられて更に美味しくなるような気もするからオススメである。


贅沢をする日には自分自身がオシャレになることも必要不可欠である。馴染まない格好でそういう所へ行こうものなら変に目立ってしまい心から楽しむことが出来なくなる。この世から人が消えた世界なら部屋着で行きたいものであるが、そんなことも無いので、お馴染みの服を用意する。服の組み合わせをある程度考えておくことで選ぶ時にかなり楽になるし、時間をかけずに済む。時間はいくらあっても足りないものだ。


今日は昼は二十度後半にもなる。日差しが強いことも予想されるだろう。千早はクローゼットから白のレースブラウスとデニムパンツを取り出した。白と青の二色でシンプルな組み合わせだが、シンプルイズベスト、ハズレは無い。白い色というのは熱が溜まりにくいし、ブラウスは涼しく見える。こういった天候には適している上着である。本当はハーフパンツの方が涼しくて良いのだが、ブラウスにはロングという謎のこだわりを持っているためそれは却下である。色々な人が良く言うようにオシャレとは我慢なのである。





自宅から一時間半ほどかけて 東京の原宿駅に到着した。ここから歩いて表参道エリアに突入する。表参道エリアの店は少し高いが、見た目も良く味もそれなりの物を保証してくれるカフェが多いから文句無しだ。最近ネットで話題になっているカフェがあり、気になっていたため今日はそこを目指す。


十分ほど歩いたが少し汗ばんできた。下半身が少し蒸れているのを感じる。我慢するしかない。もう少しで到着だ。



「お姉さん今一人ですか?」



二十代後半くらいの男が駆け寄ってきた。身長は175センチメートル、白いシャツに紺のセットアップ、アクセサリーは控えめなネックレスのみ。髪型はコムドットのヤマトのようないかにも清楚系という感じの男だった。


しかしこういう時のジレンマがある。声をかけて貰わなければ出会うことは無いのだが、声をかけてくるような男性には惹かれない。つまり声をかけて来た時点でその男性の勝率はゼロパーセント、とても可哀想なのである。こういう時は返事をしないのが一番良い。変に返事をして調子に乗らせると構って貰えたと勘違いして追いかけてくる男が多いからだ。



「ちょっと無視しないでくださいよ〜めっちゃ可愛いなと思って、三十分だけ時間ください」



「…」



「ホントにちょっとだけで良いんで!お願いしますよ〜」



この男は自分にかなり自信があるのだろう、なかなか引かなそうだった。それとも無視されたということにプライドを傷つけられムキになっているのかもしれない。このままだとずっとつけられそうな気がした。仕方が無いので切り札である拒絶を使うことにした。



「タイプじゃないから無視してんだよ失せろ!」



「……え?」



呆気に取られたように男は立ち止まった。近くの車から男の友人らしき人達が二人、ヤマトの元に集まってきた。



『なんなの今の…』



『わかんねえ、キショ』



そんな心無い言葉が微かに聞こえた。負け惜しみはダサいぞ。もしも『今のでもっと好きになったぜ』と叫びダッシュで追いかけてきたら面白いので流石に話くらいは聞いてやろうと思ったが、追い詰められたら他人を貶すことでしか自分の心を保てないような馬鹿に用はない。先を急ごう。





カフェでスイーツやらコーヒーやらを堪能し家に帰ってきた。それはもう至福の時間であった。のだが、やはり腹が立つ。もちろん昼のナンパヤマトの事だ。あんなに浅い男にバカにされたら美味しいものも一割くらいは味が落ちてしまう。折角良い日になりそうだったのに最悪である。なんだか心が落ち着かない。



『絶対戻ってくるから』



不意に頭をよぎる。以前の客の声と顔、その顔は引きつっており、悲しそうな、呆れたような、見下すような、そのどれとも言いきれないような複雑な表情だった。どうしてそんな顔を千早に向けたのだろう。どうしてその声は、顔と裏腹にはっきりしていたのだろう。



"十六夜 誠也"



『十六の夜でイザヨイ、誠実なヤ、ヤは日本人の名前でよく使われてるやつです。まあそんなに重要じゃないけど』



『十六夜 誠也』



特に何も考えず、スマートフォンの検索エンジンに言葉を入力した。



意外と珍しい名前なのか、同姓同名の人のSNSアカウントや、有名人の情報などは存在しないようであった。もしくはあったとしても鍵垢か、そもそも本名でSNSをやる人はそこまで多くない。検索欄に表示されるものは、十六夜〇〇や、△△誠也など惜しい名前が多数であった。


そもそも本名なのか?教えられた名前が本名でなくてもバレることは無い。だとしたら何故違う名前を教えたのか。何か意味があるのだろうか



『十六夜』



検索してみると、店の名前やら、人名やらのサイトの中からネットの辞書のようなサイトが見つかった。



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十六夜(イザヨイ)とは?意味・使い方


1.十六夜の月の事、既望


2.進もうとして進まないこと、ためらい、躊躇

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どうやら十六夜には躊躇という意味もあるらしい。何かを躊躇しているのか?


誠也、十六夜が夜の事であるから嫌でも聖夜、すなわちクリスマス・イブの夜を想像してしまう。もしも名前に何か意味が込められているとするならこの連想は自然なものかもしれない。



『聖夜』



またしてもネット辞書のサイトを開いてみる。



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聖也とは?意味・使い方


クリスマス前夜、12月24日の夜の事

キリスト生誕の前夜

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キリストの生誕の前夜である、これは十六夜の"躊躇"と繋がるか。生誕を躊躇、キリストがためらう。よく分からない。あまり繋がりは感じられない。何か意味が込められているかと思ったが考えすぎだったかもしれない。



『絶対戻ってくるから』



でも分からない。何かありそうなのだ。あと一歩で近付けそうな気がしなくもない。



『聖夜 躊躇』



『キリスト 躊躇』



『ためらい 生誕前夜』



色々検索して見たが特に躊躇いとキリスト生誕前夜についてはあまり繋がりが無いように思える。迷える子羊という単語が出てきて少し似てるかもと思ったが、迷うと躊躇うでは本質的には異なる気がする。やはり考えすぎだったか。次で最後の検索にして今日はもう風呂に入って寝よう。明日からの生活はまた明日から考えれば良い。金には余裕があるし、他の仕事に就くにしてもいくらでもやり方はある。また時間を置けばもしかしたら何か閃くかもしれない。その時まで気長に待てば良い。



『12月24日 ためらい』



検索結果をスクロールしてよく分からないサイトを流していく。









『クリスマスデート誘うのに躊躇ってしまっています。もうすぐ12月20日です。どうすれば…』



『アニメ、伝説のイチゴ105話「ためらい」12月23日深夜2時放送!!【出演】木下…』



『12月24日 明日はクリスマス。娘へのプレゼントは準備万端です。早く喜ぶ顔が…』



『躊躇の12月24日』



『山本和子 12月24日の単独ライブ情報 会場:東京・渋谷区…』






十回ほどスクロールしたところで一つのサイトが目に留まった。



『躊躇の12月24日』



一見ただのブログに見えるが今の千早には、躊躇→十六夜、12月24日→聖夜→誠也、と見えてしまう。これは偶然なのか?サイトを開いてみる。ロードが長く感じる、鼓動が早くなり意識が脳の奥にねじ込まれるようだった。数秒後にサイトが表示された。



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躊躇の12月24日





名前に対する名字の日にて燃え盛る二と三の炎を切る双子の槍。炎を切る槍を裂く四つ目の光線と三十八の光線が交わる地にて任意の時に日が沈み、昇る迄見届けよ。


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サイトのタイトル『躊躇の12月24日』の下に文が書かれているだけの簡単なサイトであった。十六夜誠也なのかどうかまだ分からないが、これが何者かが作った暗号のようなものである可能性が高い。


嬉しかった。これが分からなかったとしても、"十六夜誠也"を見つけられなかったとしても、これが百パーセントワクワクするものである事を千早は疑わなかった。

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