第二章 〈晴輝〉二話
「まずは状況を整理しよう。数学でも問題文を理解出来ないと何も始まらないんだよね。それを自分の頭で整理していく中でどの解法を使えるのか。またはどのように簡略するか、場合分けをするかとか、そういうことを考えて初めて土俵に立つことが出来る。数学っていうのはそういうものなんだよ。最初のアプローチということに関しては…」
「ゴホン、夕妃ちょっといい?」
「…何?」
調子よく喋っていた天花寺が凰牙に制止され不愉快そうな表情を凰牙に向けていた。これを序盤で止められたのは運が良い。天花寺と話す時はいつの間にか数学の話題になってしまうことが多く、晴輝自身もそれが嫌では無いのでこれを止められるのは凰牙しかいない。その点において凰牙はチーム『Revealize』においてかなり重要な役割を担っていると言って良いだろう。チーム名については最初は少しダサく感じたけど、意外と上手く出来てるしそこまで気にする程のことでもないかと思うようになった。
それに天花寺にはできるだけ思い通りにさせてあげた方が面倒にならないから無理に反対しない方が良いと思った。あいつはやると言ったら誰が止めても、何があっても行動し続けるそういった人間だ。それもあり天花寺にはそこまで友人が多くない。しかし彼女の哲学の深さや信念に共感するものも少なくはなく、自然とそういった人間が天花寺の周りへと集まってくる。晴輝もその一人であった。
今の世の中は正直生きていくのが辛いと思う。現世に生まれ落ちた時から人は自由だ。何をするにも自由であり行動は個人の判断に任されるが、自由すぎるとお金が手に入らない、周りから白い目で見られるなどにより人々は制限される。また自由な行動をするには金がかかることが多い。ただ生きるだけでも金がいるのだから。それのせいで何をすれば良いのか分からないということがあると思う。ある人は他の人が作った正解に縋り、真面目に勉強をした後に社会に出て死ぬまで働く。ある人は社会的な重荷を背負った状態でスタートし、その重荷を支えることに人生を捧げる。ある人は何事にも縛られず、自分の好きな物だけを追い求めて暮らしていくなど、人間の生き方は多種にわたるが、百パーセント胸を張って生きている人は少なく感じる。自信の無い人が皆SNSに自分の生き方を投稿し共感を集めることでその部分を何とか埋めているように思う。しかし天花寺はそんな色々な生き方を全て肯定するような考え方をしており晴輝はそれが気に入っていた。
「状況を整理するんでしょ。ちゃんとやろうよ」
「ああそうだったね。やりますか〜」
呆れるように凰牙が言うと天花寺はつまらなそうな返事をした。
「整理するって言っても特にすることは無くない?情報は警察が言ってるのくらいしか無いんだし」
晴輝が言うと天花寺はアリを見るような、ホコリを見るようなそんな目を晴輝に向けた。
「馬鹿じゃん、めちゃくちゃ良い情報を持っている人がこの場にいるってのに。馬鹿馬鹿じゃん」
そうだった。晴輝はこの忌々しい事件の被害者の一人を発見した張本人であった。完全に意識の外にあり驚いた。脳は都合の悪い情報を忘れるというのはこの事だろう。
「俺のことか…どうだろう、あまり確かには思い出せないかもしれない。ショックすぎたからさ」
「犯人を殺したいんでしょ?こんな所で躓いてたら殺害予告送りキッズと同じレベルだよ。それは嫌でしょ早く思い出してよ」
天花寺は基本的に鬱陶しい。本人に悪意は1ミリもないと思うのだが、どの場面においても適切な不適切発言を繰り出せるのが強みだ。こういうタイプは恐らく圧迫面接をするのが得意であろう。
「頑張ってみるよ。家に帰ってきて妹の部屋を開けたんだ。暗くてよく見えなかったけど、黒っぽい血溜まりから力無い足が伸びてるのが見えて…それで部屋の電気を付けると……」
「つけると?」
事件から一週間経っているのだが思い出そうとすると気持ち悪くなり晴輝は嗚咽を漏らした。凰牙が心配そうに手を伸ばしてくるのがぼやけて見えた。涙目になっているようだ。
「大丈夫。電気をつけると…妹が死んでいた。横向きに倒れていて、体の後ろで手を結束バンドみたいなので拘束されてた。それで…脇腹の辺りに…包丁か、ナイフみたいな見慣れない刃物が突き刺さってた。多分家のものでは無かったと思う。それを見つけてから警察を呼んで、それまで妹のそばに居たよ。その場から離れられなかったんだこれくらいかな」
晴輝は言い終えると、重労働をこなした時なような疲れが押し寄せてきた。何も考える気になれなかった。だが両手で頬を叩き脳に刺激を与える。こんな所で折れている場合では無い。晴輝は警察よりも先に犯人を見つけ出して殺さなければならない。たとえ母を一人にしてしまうとしても…晴輝にはそれをしなければならない、使命のようにさえ感じられた。ずっと守り続けてきたものを壊されたからだろうか、まだ明確な言葉として理由を説明することは出来ないが自分の全ての意識は目的へと向かっていた。
「他に思い出そうとしても良く思い出せないし、良い情報はもう無さそうかも」
もう何も無いはずなのに天花寺は何か物足りなさそうにこちらを見ている。
「帰ってきた時家の鍵は閉まっていたの?」
「閉まってたよ。自分の鍵で開けて入ったから。母さんもまだ帰ってきていなかった」
「なるほどね…玄関の他に家に入り込めそうな所はあるの?」
「そうだな…古い家だから壊せばどこからでも入れそうだけど、壊れた形跡とかは無かったな。家を出る時はいつも窓の鍵を全部閉めてるし」
「それは確かなの?」
「うん確かだよ。毎日確認してるからね。無駄に几帳面な性格だったからそれが役に立ったかな」
天花寺はちょっと待っててと言い晴輝の部屋を出て行った。数秒の間、凰牙と顔を見合せたがすぐに後を追った。見ていないところで何をされるか分からない。その気になれば何でもする奴だ、出来るだけ隙を与えないよう注意する必要がある。
天花寺は所々立ち止まり、何かを調べているようだった。よく見ると窓を全て調べているようだった。二階の窓を全て確認すると足早に階段を降りていく。
「何してんだよ天花寺!早すぎるっておい」
行動が早すぎるし意味がわからないから先が読めないし、そもそも動きが早かった。天花寺は確認しながら移動しているはずなのにそれに晴輝と凰牙は、天花寺との距離を縮めることが出来なかった。
「窓を確認してるの。犯人が侵入するなら玄関か窓がまず考えられるでしょ」
「でも鍵は閉めてたって」
「外して入ったかもしれないでしょ。古い家なら簡単に外せちゃう窓があってもおかしくないから。でも意外としっかりした作りだね、流石北海道の窓って感じ。網戸は外せそうなのもあるけど、このガラスの二重窓は難しそうだね。無理やり外した形跡も見つからないし」
素早い作業をしながら早口で天花寺が答えた。追いかけるのに夢中で三割くらいしか頭に入ってこなかったが少し納得した。気がつくと天花寺は元々居た晴輝の部屋に戻っている。
「だから待っててって言ったでしょ、早く戻ってきてよ」
基本的には天花寺の言うとおりにしておけば大体上手くいく。だがそれは、その意志が正しい方向に向かっている場合のみだ。晴輝と凰牙を利用して何か別のことを企んでいるということも考えられなくは無い。だからこそ全てを鵜呑みにせず自分で考えて行動することが大切だ。それでも操ってくるのが天花寺の恐ろしいことであるが。
晴輝と凰牙は部屋に戻ると倒れ込んでしまった。全身に汗が滲ま呼吸が収まらない。凰牙は少しマシであったが。晴輝は小中高とスポーツをやらずに育ってきたし、凰牙は小学校でのみサッカーをやっていたが中学からはスポーツは辞めてしまったため二人とも体力には自信が無いが、凰牙は天花寺といる時間が長いため少しこういったことに慣れているのだろう。お気の毒様である。
数十秒後、二人の呼吸が整った後に天花寺が口を開いた。
「晴輝の記憶が正しいなら、遺体発見時に家に出入りできる人間は家の中にいる人物のみということになるね」
「じゃあ俺が家に帰った時、犯人が家の中に居たのか!?俺が妹を見つけるまで家に潜んでいて、見つけた後に出ていけば逃走することが出来る…」
もしあの時犯人が居たなら俺も殺されていたかもしれない。俺が妹を見つけて呆然としているその後ろでナイフを構えている犯人がいたかもしれないと思うと背筋が凍った。
「まだそれは可能性の段階だから、決めつけるのは早いよ。他の可能性も考えていかないと。その日のことをもっと詳しく教えてよ」
「そ、そうだよな。まず朝起きて、7時半くらいだったかな。その時間くらいに母が家を出て行った。鍵はかけてなかったと思う、俺がいるときは鍵は俺が掛けて出かければ良いからいつもそうしてる。」
「夜は?寝てる時はちゃんと鍵掛けてる?」
「そうだね。流石に鍵掛けているのは確認してから寝てるよ。俺も母さんも結構慎重だから絶対掛けてたと思う。」
天花寺は把握と、先を促す意味を込めた頷きを返してきた。
「母さんが出たあとは、時間潰して昼前に家を出た。そのときに鍵を掛けた。」
「妹はどうしてた?」
「妹は起きてこなかったな。ノックして学校休むのか聞いたんだ。その時にも返事が無くて…」
もしかするともうその時既に死んでいたのか…?家に鍵を掛けて出かけた後に入り込んで殺すのは先程の天花寺の説明により不可能のように思われる。
「考えている事は分かるよ。その可能性は高いと思う。血が黒くなってたってことは血液の酸化が進んでたり、血が乾いているって事になる。あの日は雨が降ってて湿度が高かったから血が乾くのには時間がかかるし、亡くなってからそれなりに時間が経ってたんじゃないかな。聞いていい?妹を見つけた時、口を覆われたり、喋れないように喉を切られてたり、物音を立てたり出来ないような感じでは無かった?」
「うん。顔が見えたし、拘束は手だけだったからその気になれば足とか、体を使って暴れることはできたと思う。」
「家の鍵を持っているのは晴輝と妹さんとお母さんだけ?離婚したお父さんは持ってないよね?」
「そうだね、俺と母さんと雪だけだ。雪の鍵は部屋にあったんじゃないかな。父さんは流石に持ってないよ。連絡も一切とってないし、俺らの場所も知らないと思う。」
「事件前の夜は?妹は生きてたの?」
「そうだね。俺が家に帰った時には母さんと妹が夕食を取っていたから。その時にちゃんと鍵を掛けたのも覚えてる」
「まとめるよ。今の話が本当なら、晴輝が家を出てから帰るまで、痕跡を残さず出入りするのは難しい。妹の鍵を使えば、晴輝が家を出るまで中に潜んで、その後で家を出て鍵を閉めれば良いけど、それは出来ない。晴輝は妹を見つけてから警察が来るまで妹の近くにいたから、鍵を戻せるのは警察関係者じゃないと難しい。ちゃんと鍵らしきものが妹の部屋のカバンの中に入ってたからね」
あの一瞬でそんな所まで見られていたのか。本当に怖い女だ。警察の捜査が終わり妹の部屋はほとんど元通りになっていたが禍々しい雰囲気を感じずにはいられなく、何となく避けていたから鍵のことなど言われるまで全く忘れていた
「け、警察も疑っているのか?」
凰牙が驚いて声を上げた。天花寺はまたもやアリを見るような目を作った。
「当たり前でしょ。可能性があるなら疑わない理由は無いよ。晴輝も、あなたの母も、まだ分からないよ。」
天花寺が意地悪な笑みを向けてくる。
「いや…俺が犯人だったらお前を呼んだりしないよ。お前の凄さを知ってるんだから。それに母さんだって雪が死んでから抜け殻みたくなっちまって…」
「まあまあ、冗談でしょ?」
そうは言うが、その表情は冗談を言っているようには見えないくらい鋭いものだった。
「話が進まないから、一旦は晴輝を信じてあげるよ。そうなると妹は朝の時点ではもう亡くなっている可能性が高い。または意識を失った状態だったか。もし拘束されて起きているなら、晴輝がドアをノックした時に助けを求めなかったってことだから、その場に犯人がいたりいつでも殺せる状態で脅されていたか、全く別のことで脅されていたかだね。とりあえず言えることは犯人は晴輝、晴輝母、警察関係者の中の可能性が高いこと言えるね。他の人だったら、夜のうちに殺して、家を出ていくか、全ての作業を遠隔で行うしかないけど結構難しい気がする。家の持ち主が気づかない場所は家の持ち主くらいしか分からないから、潜むのは難しそう。それに拘束して殺すのはドローンとかで出来るようなものじゃない。パッと思いつくのはこれくらいかな。今日帰ってもう少し考えてみるよ」
「でもやっぱすげえな夕妃。もう犯人を警察関係者か、晴輝か、晴輝母まで絞ったんだもんな」
「だから俺じゃねえって!」
「犯人がいたらだけどね」
二人を遮るように意味深なセリフを天花寺が発した。犯人がいたらということは、いないことも考えているということか。それならば妹は自殺ということになる。確かに最近様子がおかしいような気はしていたが、自殺をするような要因があるようには思えなかった。家族仲も良く、友人にも恵まれていた妹が自殺をするなんて思えなかった。
「早まらないでね晴輝。ゆっくりじっくり考えていかないと。じゃあ今日の『Revealize』解散!」
楽しそうにそれを言った天花寺は深みのある笑みを晴輝に向けた




