つち (2)
生徒会に入ったところで、特別、雪平が優ばかりに構うということはなかった。
考えてみれば当たり前なのだけども。いや、考えないでもわかれよというレベルの話かもしれないけれども。
会長の晴や、清を始め、生徒会にはつねにほがらかで親切な先輩方がいたし、生徒会室には常時、十名弱のメンバーが出入りしている。ぱっきりした美人で(謎の擬音だが、それが一番彼女に似合うと優は思う)人目も人耳も引いてしまう雪平は、本人も好奇心旺盛だ。言動が天真爛漫で、表情ゆたかで、理知に富み、ずばりと酷なことをいいながら相手の心をつかむ――傷つけながら味方をふやすような、無茶を通す魔力的なものがある。
ちょっとほめすぎだろうか。ほめてるばかりじゃない気もするが。
放課後、毎日のように生徒会室で雪平をぼんやりながめて、優が思うのはそんなことくらいである。
「優君はあれだな、骨抜きだな」
気づかないうちに斜め後ろに晴が立っていて、テーブルの一席についている優の頭に声を降らせてきた。
晴のステルス能力にも、からかい百パーセントの言葉にも慣れた。優は動じない。
「そーですか」
「ほんっと心ないな、君、ひどいなほんと。先輩というものの認識を改めたほうがいいと思うよマジで」
動じてないことをアピールしようとするあまり、ねらった以上にそっけない返事になってしまった。
さすがに申し訳なく思って、優はおろおろしながらふりむいた。
「いやあの、違わないですか。ほんとすみません」
「君、何言ってるかわかってる? まぁなんでもいいけど」
晴は銀縁眼鏡の奥の目を伏せ、淡白な物言いをする。当たり前のように湯呑みをテーブルに置き、優の左隣によいせと腰をおろした。
なんでこの人、ここにすわったんだろう。
不可解なものをみる目を隣に注ぐが、晴はこちらをみていない。左手で頬杖をついて、リラックスした様子で猫背になる。
その目は一瞬というには長く、雪平の姿をとらえていた。
「同病相憐れむつもりなら、ベクトルが合わんだろう」
そうとも限らんか、と、ぼそぼそとつぶやいて、晴はパイプ椅子の背凭れにふんぞりかえった。
わけがわからない。優はたださえ不可解な目つきに、眉根まで寄せて先輩をみつめる。
晴は無表情で、顔ごとこっちをみかえった。
「鑑賞に堪える見目ではあるな。面食いだね、優君」
少々、時間はかかったが、こっちは何をいわれたか、わかった。
優は何かいいかえそうとしたが、結局、ただ口をぱくぱくさせただけだった。
「図星かい? 心配だねぇ、若者は」
「ぅうぁ――何をいうんですか!」
「何って、大体同じことしか言っとらんがな」
「そんなっ――こと、ない、です」
そうかい、と、晴はあっさり返す。
銀縁の冷たい光は、本人の声より何より雄弁だ。晴が言葉の通りに思っていないのだろうことは、あきらかである。
優は遠目に、なるべくさりげなく、清と話しこんでいる雪平をみやった。
ふと、晴の関心は、雪平ではなくその相手にあるのかもしれない、と、思いつく。
二つわけの黒髪ウェーブと、黒目勝ちの瞳の持ち主に。
「……やきもちじゃないですか」
ちょっといいかえしたくなったのである。
クールな上級生は鼻で笑った。
「いまさら? 無用の心配だね」
「――――」
すごいのろけをきいてしまった。
「晴先輩。落研の会長がおこしです」
優が赤面すればいいやら、つっこめばいいやらで絶句していると、生徒会唯一の同学年生、柾が戸口からやってきて晴を呼んだ。
晴はすぐに立ちあがり、さっさと戸口へ去っていく。はかりがたい上級生から距離を置けて、優は思わず、ほっと息をついた。
晴のすわった反対側の隣に、いれかわりに柾が腰かける。
「お気に入りやね、優ちゃん」
とっさに理解しかねる見解だった。
お気に入りって、まさか、優が、あの会長の?
優は顔をゆがめて柾の顔をみた。
「あれが?」
首を縦にふる柾はおっとりとほほえんで、悪気のかけらもみあたらない。
「……そうなの?」
「そうよ。ふだん、誰かにあんなに構う人やないもの」
「……」
いいかえしたい気持ちもあったが、それより、柾のことばのほうが説得力がありそうだった。
柾も当然、少なくとも数年分、優よりも晴と長く時間を共有しているにちがいない。
「……すごいのろけをいってたよ」
「何? のろけ?」
「清先輩がいまさら、浮気なんかするはずないって」
「そやねえ。あの二人には割って入れんわ」
ふわふわした笑い声をあげて、柾は優と同じように、窓辺のほうへ体の向きを変えた。
なんとなく、その様子に、優は毒気を抜かれたようだった。
横目にやわらかそうな栗色のお下げをみやる。柾といえば、なにかしら、もう一人の上級生と一緒にいるイメージがあったが。
きょうはその人がここにいない。
「鎮先輩は、きょうはお休み?」
柾はゆっくりこちらを向いて、下がり気味の眉の下の目をみはった。
「ううん。きょうはお稽古の日よ。終わったら来はるわ」
「お稽古って」
「学校に、先生が来てくれはるの。しらんかなあ、お花と、琴と、英会話なんかあるの」
「ああ」
そこまでいわれて、優も合点がいった。校内で受けられる月謝制の、課外授業のカリキュラムがあるのだ。
「鎮先輩、何をならってるの?」
「お花。中等部からずっと。それに、いまはよくこっちに来てはるけど、剣道部にも入ってるんよ。いつもこっちが終わったら、そっちに行かはるんやわ」
お花――部活とかけもち。
的の中心を射抜いたような符号に、優は数秒、くらくらした。
目から鱗が落ちるようだ。
柾をとっさにみかえす。
「部活とかけもちって、大丈夫なの?」
「大丈夫よ。何人かおるよ」
きょとんとして、柾がこたえる。
なんてことだ。すっかり忘れていた。
優はそもそも入学前、華道部に入ろうと思っていたのだ。
入試の際の面接を思いだす。優がこの高校を志望したのは、表向きには短期留学制度と、同系列の大学での留学提携校の充実にひかれたからなのだ。
将来の留学にそなえ、わかりやすい日本文化を習得するため、華道か日舞にふれておく予定だった。
日舞よりは華道がよいだろう、優はなにせ上背があるので、和服のおさまりが悪いのだ――という、おぼろげながらそれなりのプランを立てていたというのに。
留学制度の充実より、同学年の美人にひかれて道をあやまつなんて。
笑えない。
われながら、おのれの浅はかさがおそろしい。
兼部がアリなのなら、いまからでも多少、軌道修正ができるだろう。しておくべきだろう。
なんたってなりゆきでここにいるのだから。
そうときまれば、早めに、見学にでもいかなくては……あるいは、クラスや、身近なところで、華道部に入っている子をさがして話をきいてみるとか。
優が思いなやんでいると、突然、目の前で柏手を打たれたみたいに、よく通る声がまっすぐにぶつかってきた。
「きいた、優!? カップは持参でいいんですって!」
目をまるくし、顎を少しあげると、真正面にこちらをとらえた雪平の姿があった。
「……えっ」
「だから、ここのカップは、好きなのを持ってきていいんですって。いままで使ってたのは、あれ、客用だっていうのよ」
いつの間にか、テーブルをはさんで、雪平が向かいに立っている。その背後の窓辺に、遠景のように、清と中等部生の会員の姿がみえた。
「優、いいカップ持ってる?」
雪平の声はきこえる。意味もわかる。雪平がここでこうして、自分と向きあっていることは不思議だけれど。
「うん、ちょうど余ってるのがあるから、持ってこようかな」
「――そう」
声の調子が、わずかに、そっけなかった。
「雪平の分も持ってこようか?」
「なんでそうなるのよ。いいわよ、自分で用意するから」
「そう?」
あれ、じゃぁ何が気に障ったのだろう。
気のせいだろうか? 機嫌をそこねたようにみえたのだが。
まあ、でも、自分で用意するのがいいのだろう。雪平は綺麗だし、見目を整えるのにもこだわりがありそうだ。使う道具ひとつでも、ありあわせよりは選りすぐりの一品のほうが似合う。
そうよ、とつぶやきざまに踵を返して、雪平はさっさと窓辺へ戻っていく。
つと、みると、柾が気のせいか、心配げな、気の毒そうな風情を下がり眉と前髪の辺りに漂わせて、こちらをみていた。
心なしか、室内もさっきより静かだ。
「どうかした?」
優は首をかしげ、柾の顔をのぞきこむようにした。
柾はゆっくり首を横にふって、
「優ちゃんも大概、天然やわ」
ふわりともらした声は、やっぱり、内容に関わらず耳にやわらかかった。




