つち (1)
何から話せばいいのだろう?
優がどんな質問をしても、一瞬で三歩は先に進んだ答えがかえってくるような気がした。
その結果、優がひたすらあわあわするという、いままでと同じ流れになりかねない。
生徒会室を出て、雪平と二人にはなったものの、問いを決めあぐね、廊下をほとんど無言で歩いて、昇降口から校門へのゆるやかな坂道をくだった。
門を出ると、傾斜が急になる。
「ごめんね」
よく通る声が耳をつらぬいて、優はおどろいて隣をみた。
「生徒会、優は入りたくなかったの?」
家々のあいだの坂道で、優は足をとめた。
……この無言の数分間で、頭の回転の速い彼女が、どんな方向に考えをめぐらせたのか。
優にはたどるべくもなかったが、あやまらせてしまった、それだけが、なぜかかなり、ショックだった。
思わず額をおさえ、目をつむる。本当に、反応に困った。
「ちがう。ちがうよ、えーと……」
生徒会がどうとか、見学がどうとか。それ以前の問題だと思う。多分。
「まだ決めてないってこと?」
大きな黒い目が、まっすぐにこっちをみあげる。そのいくらかの背丈の差が、歩幅の差にもなっていたかもしれない。もっとゆっくり歩くべきだったかと、ふと関係のないことを思った。
額の手をおろし、優はただ、首を横にふる。
「そうじゃなくて。あの、雪平」
「うん?」
「そもそも、最初――」
――そうだ。最初からだ。
初めから。優は、この少女について、わからないことだらけだった。
優は一度、深呼吸し、あらためて問いをえらんだ。
「どうして、最初、わたしに声をかけてくれたの?」
ちょこんと小首をかしげて、雪平はこっちをみつめている。
「言ったじゃない、同じクラスだといいなと思ったの。きのうのことじゃなくて?」
優が訂正するより早く、雪平はそっちの可能性に思い至ったようだ。
なんて速さだ、と思いながら、優はうなずいた。
「うん、お寺で会ったとき」
「あの日、学校説明会のあとだったでしょう」
いいつつ、雪平がローファーの爪先を半歩、坂の下へむけた。歩きたいのだろうか。
そういえば、帰りが遅くならないことを気にしていたようだった。あまり時間がないのかもしれない。
優もまねるようにして、ふたたび坂をくだりはじめた。ここまできたときより、気持ちゆっくりめに。
市内や、最寄り駅から通ってくる生徒は、たいてい近くのバス停へむかうらしい。優もバス通学だが、雪平の進行方向にそれとなく合わせた。
多少遠回りになろうが、行く先がちがおうが、構わない。
いまのうちに話をしておく必要がある。
「私服だったけど、同じ年頃だし、一人だったから修学旅行生じゃないでしょ? 学校から近いし、中学生が観光するにはマイナーなお寺だわ、受験生かもと思ったのよ」
「おお……」
なるほどと、優はつぶやく。
優はあの日、学校説明会のあと時間があったので、一旦、叔父の部屋に戻って、着替えてからお寺にむかったのだった。試験に落ちたら、紅葉の時期のあのお寺に、なかなかいく機会もあるまいと思って。
それにあの日、昼過ぎからみぞれが降っていた。すいているだろうとみこんでもいたのだ。
そうしてみこんだとおり、いや、それ以上に、予想外の奇観に出会った。
みぞれが雪に変わっていた。
紅葉に白い雪の積もる境内で、和服姿の彼女と出会った。
「じゃあ、雪平もあの日、説明会にきてたんだ?」
「そう、ええ、まあね」
変なところで、煮えきらない返事をよこす。優は不思議がって黒髪をみおろした。
前髪の下に、くっきりした眉と、密な睫が生えそろっている。
「わざわざ着物に着替えてきたの? あのあと?」
結構な労力であろう。優は単に、あきれた。
「着慣らしてるのよ。慣れてなかったでしょ、明らかに!」
「あぁ、転んでたもんね」
「そうなの。ほんと地獄だわ。ちょっとしたコルセットだと思うわ」
見た目は華やかでいいんだけど、と、雪平は早口にいいつのる。
なんだか、突然、おかしくなって、優は顔をほころばせた。
「何」
めざとく雪平が気づいて、軽くこっちをにらんでくる。
その様子すらおかしくて、優は笑いをとめられなかった。
「いや、何か、怒ってるから」
「怒ってないわよ。や、怒ってるかもしれないけど、優にじゃないわよ。それが笑うとこ?」
「ううん」
怒ってるかもしれないけど、わたしにじゃないんだ。
怒ってるのは、なんだかんだで、素直に認めるんだ。
いいようがおかしくて、優は小刻みに肩をふるわせる。
「何よ、もう!」
急に歩調を速める雪平に、優はあわてて声をかけた。
「ごめんごめん」
「ごめんは一回でいい!」
「ごめんなさい」
ふりむいてぴしゃりと放つ雪平のひとことに、反射的に応じる。
雪平は目をまるくして優をみて、じき、耐えきれなくなったように噴きだした。
「ごめんなさいって――、素直ねえ!」
後ろにいる優に向きなおって、結局、足をとめてしまっている。雪平には負けるよ、といいかえしながら、優もつられてさらに笑った。
発作みたいに笑いを繰りかえしながら、ふらふらと足を運ぶ。そのうち、バス停に着くと、きょうの出来事については何の相談もしないまま、雪平がまずバスに乗って、この日はわかれてしまった。
* * *
翌日の昼休み、食事を終えたらた組へいこうと優は決めていたが、雪平の行動の方が早かった。
案の定というか、優がとろいのか。
名を呼ばれて戸口をみると、雪平が無言で手招きしている。指先を上に向けて西洋風に。
なんとなく、東洋風につくったフランス人形が関節を操られているようで、絵になるが、滑稽でもあった。
弁当箱をしまい、優は廊下へ出た。早速、ひらこうとした雪平の唇の前に、人差し指を立ててとめる。
辺りをみまわし、適当な場所も思いつかず、とりあえず廊下の窓側の柱に身を寄せた。
雪平はやや不服そうな面持ちでついてきて、優に向きあった。胸の下で腕を組み、優のようには柱に体をつけない。
「肝心な話をするのを忘れてたわ」
端的にそういう。優は目をなごませ、うなずいた。
「そうだね。ちょっと楽しすぎた」
「そうね、楽しかったわ――そうじゃなくて、そこがメインじゃないはずよ。ないはずだったわ」
「ああ」
そうだね、と、優は半分の反省と、半分のどうでもよさを含めて応じる。
そうか、雪平も楽しかったのだ。そうとわかると、なにもかも、些細なことのように思えてくる。不思議なことに。
おかしい。少なくとも、きのう生徒会室では、結構なパニックをおこしていたはずだ。
誰あろう、優自身が。
「また聞くけど。生徒会、優は入りたくないの?」
きのうの帰りも、そんな質問で始まったのだった。
同じ問いを繰りかえすその姿が、なにかしらいじらしくみえて、優はきのうとは全然ちがった気分で雪平をみおろした。
冷静というわけではないが、落ちついていられる。
言葉も、きのうより自然に出てきた。
「どうだろう。雪平は、入りたいの?」
「――答えになってないわ」
あたしがきいてるのよ、と、素早く返すそのさまが、稚児のようで可愛らしい。
そっか、と、優は首をふった。とっさに考える。
「考えてなかった。まだ決めてない、ってとこかな。急だったから、びっくりしてる」
「まだ? いまも?」
「うん」
「悠長なことね」
「うん」
その通りなので受けいれる。雪平が瞬間、顔をゆがめた。
「ごめん。ネガティブな意味じゃないのよ」
軽口のように放たれる言葉を、案外、本人は気にしているらしい。
優は特に気にしていなかった。
「他意はないってこと?」
「そう。それ」
「わかった」
思わず微笑む。雪平が、数秒、困ったようにこちらをみて、さっとかぶりをふって視線をそらした。
目線が外れたのが意外で、優は彼女の顔をみなおした。どんなとき、どんな相手でも、まっすぐ相手の目をみて話す人だという印象があった。
そうでもないのだろうか。
「自分でも悠長だと思う。それで、雪平の意見がしりたい」
話を進めると、すぐにまた、雪平は優をみた。
目をそらしたのは、たまたま、なにか気になることでもあったのだろうか。
「あたしは――」
きちんと目を合わせて、雪平は、今度は眉をひそめた。黒い瞳がまっすぐこちらをみている。
「あたしが言うのは、卑怯かもしれないわ。優には」
「ん?」
「――きのう言ったとおりよ。だから」
「きのう……って」
何をいわれたっけ。
あわてていて、いまいち、ちゃんとおぼえていない。
雪平が何を指してそういうのか、わからない。
「えっと」
「言ったでしょ、優が入るなら入るって」
小声で、早口で答えを教えてくれる。また目線は優の顔より下へさがっている。
その頬が、少しだけ赤い。
あ、と、小さくつぶやいて、優もなんとなく気恥ずかしくなった。
頬を染めたまま、雪平が何もいわないので、優は目を泳がせ、言葉を探す。
「気に入ったの? 生徒会」
「――そうね。そうだと思うわ」
優の位置からは、柱に隠れてみえないが、この廊下の窓からは、向かいの校舎の生徒会室がみえるはずだった。
雪平は遠い目をして、優の横合いの、廊下の人通りをながめているようだった。
「先輩方の感じがよかったし、雰囲気もよかった。入ってみたいなと思ったの」
ほかに入りたい部活もない、と雪平がいっていたのを、優はようやく思いだす。
まあ、会長の銀縁眼鏡はかなり厄介だと優は思うが、あの人も、あんな呼び出しかたさえされていなければ、優にも警戒する理由はなかっただろう。清や、他のメンバーとのやりとりは、変な遠慮もなく、気楽に仲良さそうだった。
雪平の話は速い。同じように、決断も早いのだろう。
入ってみたいとまで思ったのなら、もう優の意思は関係ないんじゃないかと思う。
「わたしがいないとダメ?」
雪平はまず入って、優はしばらく考えるということにすればいいんじゃなかろうか、この際。
優はあまり、即断即決のほうではない。きょうあすで決めろといわれても困る。
だからそういったのだが。
雪平は真顔で、もう一度、優の目をまっすぐみた。
「だって、放課後会えないわ」
きっぱり告げられる。
優は二の句が継げなかった。
――それなら、放課後、会う時間さえ設けられれば生徒会に入らなくてもいいのかとか、優が別の部活に入るといったら同じ部活に入るのかとか、とかとか。
……そんなことを、その場でただちにいえるほど、優は素早いタイプではなかったので。
「そっか……」
呆然として、大分経ってから、なるほどと、ついうなずいた。
それなら、わたしも入らなきゃいけないんだ、と、納得してしまった。
* * *
そんなわけで、優は雪平とともに、見習いとして生徒会に入会したのだった。それも、本人としてはおそろしいことに、なし崩しでもなんでもなく、明確に、自分の意思で。
雪平に、一緒に入らないと放課後会えないといわれた。それだけの理由で。
とてもじゃないが、誰にももらせない。しかしそれが本当のところであった。
生徒会室には毎日のように顔を出したが、新入生歓迎会のあとは、しばらく大きな仕事もないらしかった。やることといえばメンバーの顔と名前をおぼえることと、こまごました雑用くらい。五月下旬に球技大会を控えてはいたが、そちらの運営はほぼ体育委員会に一任されているという。はからずも、優がうっかり口を滑らせた通りになってしまった。
球技大会の前に、中間テストが待ちかまえていた。というか、本当のところ、中間テストの憂さ晴らし的に日程が組まれているのだろう。
でもまあテスト前だとしても、それはそれ。優の転校前と同様、中高一貫校の高一生なんて、中だるみの真っ只中である。
皆、さほど頑張る様子も、焦る様子もない。テスト前のLHRで球技大会の出場種目を決めるのも、なんとなく間延びしたようなのんびりした空気の中であった。
出場種目の決定にあたって、原則は二つ。一人一種目は出場することと、自身が所属する部活動の種目には出場しないこと。
このルールが生むのは多くの消化試合と、稀少なヒーロー(全員女子だけど)である。
クラス委員の機械的な割り振りによって、優はバスケに出場することにきまりそうだった。
「優ちゃん、運動できるの?」
バスケかバレーになるだろうことは、自分の身長から予想はついていたから、優はただ事態をみまもっていた。球技大会は全四種目、ほかはテニスと卓球である。
優の前の席でふりむいたのは、入学以来、昼食をともにしているグループの中の一人、一であった。
「ううん。中の中、くらい?」
よくいって、と、つけたす。
ほう、とも、そう、ともつかない声で、一はうなずいた。
「そしたら、わたしもバスケにしようかなぁ。本気の試合には出られんし、人数少ない方がいいわ」
「人数……」
それならテニスでは、と、思ったときに、一はすでにこたえている。
「テニスなんかラケット持ってるしかできん」
テニスはダブルスのみである。人数は少ないが、責任は二分の一だ。
はい、と、手をあげて、一はさっさとバスケの選手に立候補した。
「よろしく。適当に頑張ろうな」
絶妙にほどほどなことをいう。椅子に横にすわり、こちらをみる一を、優は目をまるくしてみかえした。
お昼のときは、それほど親しく話したこともなかったが、一のこのゆるい雰囲気は、好もしい。
九十五パーセントの微笑と五パーセントの苦笑を合わせて、優は首をふった。
「うん。よろしく」
一は遠くをみるように、目を少し細めた。
「真面目そうなのに、意外やなあ。何でも頑張るタイプかと思ってたわ」
「うん頑張っても適性ってものはあってね、得意不得意は動かないんだよね、マシにはなっても」
いつになく饒舌に返すと、一はゆったり応じる。
「そこらへんは自覚するわな。今回はバレーに期待やな」
黒板の名前をみると、運動の得意な何人かがバレーボールにふられているらしい。
誰が何部だとか、得意科目は何だとか。そういう知識は、持ち上がりの子が中学三年分、多い。
優も転校しなければ、そうなるはずだったのだ――ふと、懐かしさでも悔しさでもない、えもいわれぬ気分になって、優は黙りこんだ。
そんな優に気づいた様子もなく、一は話しはじめた。
「優ちゃん、広島やったよな。あぁ、もう、めんどいわ、優でいい?」
「うん」
うなずくと、わたしも一でいいよと返してくれる。
いいよといえば、もっというと、一もそこまで優の言葉に寄せてくれなくてもいいのだが。
優が広島弁をおさえつつ、放送標準にもなりきっていない、曖昧なしゃべりかたをしているので、合わせてくれる子は関西弁をおさえがちなのだ。
「生徒会て前もやってたん? 前も中高一貫やったんやろ」
どっちにこたえよう。優は一瞬、とまどった。
「ううん、普通に部活だけ。文化部だったよ」
「へぇ。何部?」
「演劇部」
「ほぁ」
変な声をもらして、一は顔を苦笑いのようにほころばせた。
「男役? やろ?」
「うん」
「もてたやろ」
優は斜め上をながめ、思いかえした。
「そうでもないよ」
優が転校するときまったとき、一人だけ、餞別をくれた後輩がいた。そのくらいの感触である。
女子校の演劇部で、背の高い生徒が男役をふられやすいのは、どこの学校でも同じことだ。よっぽど嫌がる子もいるけれど、優はその点、こだわりがなかった。単にバランスの問題だ。
この構造を宝塚にみたてて、主役周りの何人かがもてはやされる風潮はあったが、それでも先輩方や、他の部員のほうが人気があった。
「劇部やりたくなかったの?」
問われて、優は一をみかえした。
「こっちで?」
「うん」
「いや、特別、どっちでも。結果、生徒会入っちゃったし」
「ふうん。ちょっと見てみたかったなあ」
「そう?―― 一は? 何部?」
「写真部入ってん。優が男役やったら、撮り甲斐あったろうになあ」
へえ、といって、優は笑った。
「いいじゃん、劇部の人撮れば。人を撮るのがメインなの?」
「うんにゃ、何でもいいんだろうけど。まだ何も決めてないねん」
たわいなくだべっていると、教壇では出場種目が粗方きまったようだった。クラス委員の注目をうながす声に、一は口をとじ、横向きに腰かけたまま顔だけは前へやった。
あまりお喋りばかりするべきではないが、一斉に静粛をもとめられるほどきびしくもない。一と優の二人よりにぎやかな一団がいて、中でもうるさい一人をクラス委員が名指しで注意すると、おどけた様子で肩をすくめ、その生徒も素直に声をひそめる。
雰囲気はあかるい。仲がいいのだろう。育ちのいい子が多いからか、進学校ではあるはずだが、穏やかでおっとりした空気がある。
優の中学は、もう少し、活発で勝気な子が幅をきかせていた気がする。
ぽんと、不意に一が、絵に描いたようなしぐさで右の拳を左の手のひらにのせた。
「生徒会いうたら、あれがあるわ、クリスマスの劇。衣装着たら写真撮らせてな。一枚でいいから。予約な」
優は無言でかすかに笑んでみせた。
そんなものがあるのか。
どうにかして、なんとしても、衣装を着る役が回ってくるのを避けなくてはならない。
優は写真が苦手だ。撮るのはいいが、撮られるのは嫌だ。
気づかないうちに撮られているのは、まぁ、しかたがないが。それでも歓迎はしない。
人が何かを撮るのは勝手だし、被写体が自分でなければ、みるのも悪くないが――。
はて、いつ、どのように一に告げるべきか。
曖昧に笑いながら、とりあえずひとつ、できてしまった課題を、棚上げにしておいたのだった。




