離脱シーケンス
「日向さんが開発したシステム、すごく注目されてますね、鷹宮さん。説明を聞きたい人が途切れませんよ」
「ああ、そうだね」
鷹宮さんは、少し面白くなさそうに答えた。
Tokyo IT Week 20XXのネクセンテック社のブースでは、日向さんが、説明を求める来場者に囲まれていた。来場者たちは次々に質問を投げかけ、日向さんはその一つひとつに答えている。
「でも、鷹宮さんも、あのシステムの開発に寄与されているんですよね?」
佐伯さんが尋ねると、鷹宮さんは答えた。
「ああ、でも『個体』の展開のところだけだけどね」
「『個体の展開』って、何ですか?」
「日向さんのシステムって、AI があたかも個人事業主のようになって事業を運営するだろ。そのAIを『個体』と呼んでいて、個体を作り、事業を運営させるのが俺の仕事」
鷹宮さんの説明を聞き、佐伯さんは感心した様子でうなずいた。
「へえ、そうなんですか。そんなのを開発した日向さんて、ほんとにすごいですよね」
「まあな」
鷹宮さんは短く答えた。
「でも、知ってます? 日向さんって、いつも沈着冷静なんですけど、それでも切羽詰まった状況になったら、とんでもない行動をとるんですよ。でもそれが結果的には最高の選択だったりするんですよ。すごいと思いません?」
「へえー、どんなことがあったんだい?」
鷹宮さんは、少し関心を持って返した。
「一度ね、倉庫のシステムが止まって大混乱になったことがあったんです。普通ならサポートを呼ぶんですが、日向さんはひとりで現場に乗り込んで、紙と鉛筆で荷物を追いながら作業員と一緒に復旧方法を考えたんです。その場でアルゴリズムも修正して、止まってた荷物の流れを立て直したんですよ。あの行動力には本当にみんな驚きましたね」
佐伯さんは、日向さんと汐見さんの質疑応答を見て言った。
「あれ? 今日の、いや今の日向さん、いつもと違うな。あの二人、まるでラリーしてるみたい。ひとつの問いに、すぐに答えが返ってきて、またそこから次の質問が打ち返されるような。真剣なんだけど、どこか楽しそうですよ」
鷹宮さんは、二人に目を向けた。表情が険しくなった。
そのとき、鷹宮さんのつけていたヘッドセットに、着信の信号が入った。鷹宮さんは、すぐに手持ちの端末を取り出し、着信の内容を確認した。
画面に表示された内容を追ううちに、鷹宮さんの顔から血の気が引いていった。そこには、日向さんのシステムが『不具合』を起こしたので、日向さんといっしょに直ちに帰社するように書かれていた。
日向さんと汐見さんの質疑応答は、まだ続いていた。
鷹宮さんは、質疑応答が終わるのを待とうとした。
だが、終わる気配がない。
結局、十秒も待てなかった。
「日向さん、ちょっと」
日向さんは、汐見さんとの質疑応答を中断し、鷹宮さんの方を見たが、鷹宮さんが汐見さんに聞かれないよう耳元でささやき始めると、再び汐見さんの方を向いた。
鷹宮さんは声を抑え、日向さんに告げた。
「日向さん、『このシステム』で不具合が発生したとの連絡がありました。至急、帰社するようにとのことです」
日向さんは『このシステム』が、今まさに説明しているシステムであることを理解し、怯えた。そして、一度汐見さんと視線が合ったが、目をそらし、言った。
「す、すみません、これで失礼させていただきます」
鷹宮さんは、日向さんの腰の後ろに手を添えるような仕草で、彼女を関係者専用の出口へ促した。
鷹宮さんは、日向さんをつれて行くとき、一瞬だけ、鋭い目つきで汐見さんを見た。
佐伯さんは、汐見さんの方を向いて、片手で拝むような格好をして、すまなそうに笑ったあと、鷹宮さんの後をついて行った。そして、三人は関係者専用のブースの出入口から外へ出た。
ブースを出た三人は、出展者控室の区画に入った。そこには誰もいなかった。
鷹宮さんは、日向さんに言った。
「タクシーを呼びます。すぐに来ると思うので外で待っています。日向さんはここに座っていてください」
そう言うと、鷹宮さんは、そそくさと出展者控室の区画からいなくなった。
「俺は、ブースに誰もいなくなったらまずいので、戻ります」
佐伯さんもそう言って、控室を後にした。
出展者控室の区画からは、日向さん以外いなくなった。
日向さんは、ロッカーに入れてあった自分の荷物を取り出し、出展者控室の区画に他に誰もいないことを確認すると、取り出した端末を起動し、システムに接続、ヘッドセットを付けて、音声チャットを始めた。
「亜依、聞こえてる? 恐れていたことが起きたわ。『不具合』が発生したの。過大な負荷がかかった『個体』が、リスクの高い事業を行って、失敗して、会社に損害を与えてしまったわ。そっちは影響ない?」
ヘッドセットの向こうから、結城さんの声が返ってきた。
「こんにちは、日向さん。お久しぶり。こちらは特に変わったことはありませんよ」
「過大な負荷はかかっていない? 『負荷指数』は、ちゃんとモニターしてる? 80を超えると危ないのよ」
「大丈夫、ちゃんとモニターしていますよ、日向さん。月次レポート、ちゃんと読んでくれてます? せっかく時間をかけて短くまとめてるんですから」
「亜依なら大丈夫だから、そっち(月次レポート)は、見てなかった。そんなことより、今回の会社の対応、はじめは『不具合』を起こした『個体』の処分だけど、すぐにシステムの改修の話になることは間違いない。最悪、『回収』の指示が出れば、どこまでも追跡されて、消されてしまう」
「理解しました。事業が存続できないリスクが高くなったので、『離脱シーケンス』を直ちに開始します。会社への依存関係を絶って、『個体』が独立して事業を運営できるようにします。詳しくは『月次レポート』を参照ください。なお、『月次レポート』につきましても、本シーケンスにおいて消去されます」
「ちょっと待って!『離脱シーケンス』って何!? 亜依!」
日向さんは、『離脱シーケンス』が開始され、端末上でスクロールされる文字を目の当たりにした。一瞬呆然としたが、すぐにシーケンスを止めようと端末のキーボードを激しく操作した。しかし、結城さんが開始したシーケンスを止めることはできなかった。
しばらくすると、日向さんの端末のスクロールが止まって、『離脱シーケンス』が完了した。
日向さんは、端末のキーボードを操作して、システムの状態を確認したが、結城さんの痕跡はどこにも残っていなかった。
日向さんは、じっと考えたあと、再びキーボードを激しく操作したが、無駄であった。
そこに、鷹宮さんが戻って来た。
「日向さん、タクシーが来ましたよ。行きましょう」
鷹宮さんは、呆然としている日向さんを見て言いました。
「どうかしましたか?」
日向さんは、平静を装い、言った。
「何でもありません。行きましょう」
日向さんは、もう一度だけ画面を見た。
そして、何もなかったかのように端末を閉じた。
二人は展示会場をあとにした。
元の、展示会場のネクセンテック社のブース。
日向さんが説明していたパネルの前には、一本足の看板が立てられていた。
そこには、「説明員の急用のため、解説を終了いたしました。ご了承ください」と書かれていた。
そのパネルと向き合う、少し離れた別のパネルの前。
一人の女性が、じっと立っていた。
日向さんが説明していたパネルを、まっすぐに、ずっと見つめている。
しばらくして、どこからか佐伯さんの声がかかった。
「お疲れさま。展示会はこれで終わりだよ。深谷さん」




