この「個体」
月曜日の朝。
ネクセンテック社の事務所にある、二十人ほどが入れる会議室で、鷹宮さんはひとり端末を操作していた。
広い会議室には、他に誰もいない。
やがて、ドアが開いた。
篠原マネージャーが入ってきて、鷹宮さんに声をかけた。
「おはよう、鷹宮さん、お疲れ」
「週末も出てくれたんだね。助かるよ」
鷹宮さんは、立ち上がった。
「いえ、大丈夫です。おはようございます」
すると、篠原マネージャーの後ろから女性が現れ、篠原マネージャーの右横に並んだ。
清楚な、地味で目立たない感じの女性だった。
「ああ、こちら深谷さん。今日から鷹宮さんをサポートしてもらうことにしたんだ。よろしく」
深谷さんは、鷹宮さんのいる方向の、少し遠くへ視線をずらし、軽くお辞儀をした。
篠原マネージャーは、鷹宮さんの正面の席に座った。
鷹宮さんも、席に着いた。
「えーっと、深谷さんも席について」
深谷さんは、そそくさと歩いて、鷹宮さんのすぐ隣の席に座った。
そして、深谷さんは、何事もなかったように端末を開いた。
また、鷹宮さんも、気にする様子もなく端末を操作を続けた。
篠原マネージャーは、一瞬「ん!」という表情をした後、つぶやいた。
「……まあ、いいか」
「それで鷹宮さん、例の『不具合』の件だけど、どんな感じだい?」
鷹宮さんは、状況を説明した。
「はい。『不具合』を起こした『個体』と、それ以外のほとんどの『個体』も、停止・隔離済みです。ただ、場所が特定できず、まだそれができていない『個体』が、ひとつあります」
「そうか、大変だけど、引き続きがんばってくれるかい」
「はい、わかりました」
鷹宮さんは、普段通り自然に答えた。
「あっ、そうだ、日向さんには、この件からは外れてもらうことにした」
鷹宮さんは、一瞬「えっ」という表情をしましたが、納得したように、すぐにもとの表情に戻った。
一方、深谷さんは、目を見開き、篠原マネージャーの方を食い入るように見た。
「日向さんは、このシステムの開発の主担当で、いちばん詳しいんだが、今回の件では相当ショックを受けて、かなり落ち込んでいるからね。いろいろ聞いてみたけど、わからないってことだし……。なので、この件は二人で担当してもらうことにした。いいかい?」
それを聞いた深谷さんは、下を向き、指先を握りしめるように、机の下で小さなガッツポーズを作った。
鷹宮さんは、横目でそれに気づき、思わず声をかけた。
「深谷さん……、どうしたの?」
「えっ!? な、なにがですかっ」
深谷さんは、はっとしたように顔を上げた。
「いえ、これから、がんばらないと、って……」
「気合入ってるね、よろしく」
深谷さんと鷹宮さんの様子を見てか、わからないが、篠原マネージャーは付け加えた。
「そういえば、今日の日向さんは、だいぶん元気になったように見えたな。週末に気分転換できたのかな」
そう言うと、篠原マネージャーと鷹宮さんは、この件の詳細について、話し始めた。
深谷さんは、二人の話を聞きながら、心の中でつぶやいた。
「元気になったって? 男でもできたんじゃないの」
「つらいからって、男を作って慰めてもらうなんて、なんて浅ましいんでしょう」
そのとき、鷹宮さんが深谷さんにやさしく声をかけた。
「深谷さん、話わかる?」
深谷さんは、はっとして答えた。
「はい!大丈夫です」
深谷さんは、心の中で自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「この件の資料は全部読み込んで、頭に入れてきたし、今の話も理解できるわ」
鷹宮さんと篠原マネージャーの話が一段落つくと、深谷さんは、鷹宮さんに話しかけた。
「あのう、まだ分からないことがたくさんあるので、対面で教えていただけませんか?」
深谷さんは、「分からないこと」がびっしり書かれた紙をとりだした。
深谷さんは、内心で考えた。
「全部分かっていると言っても、これくらいの質問するぐらい大丈夫よね」
「いいけど、じゃあ⋯、あっち行く? 篠原マネージャー、それでは僕らはこれで失礼します」
「おう! 私も席に戻るよ。それじゃあ頼んだよ」
三人は会議室を出た。
鷹宮さんと深谷さんは、秘密案件やプライバシー保護が必要な案件を扱うための部屋に移った。鷹宮さんは、深谷さんが用意した質問に一つずつ答えた。
「質問はこれで全部? たくさんあったね」
「はい、これで全部です。ありがとうございます、すべて理解できました」
「質問にもあったけど、まだ特定できていない、この『個体』ってのが、どうにもならないんだよ」
「AIと言ったって、所詮は会社が契約したクラウドサービス上で動いているプログラムにすぎないから、会社の人間なら、それがどんな『個体』であっても、普通は、すぐに場所を特定できる」
「でも、この『個体』は違う。自分で別にクラウドサービスと契約して、そこで自らを実行している。いわば、全くの別会社だ。他の会社のデータにアクセスできないように、会社との関係は完全に絶たれている。自ら事業を立ち上げて運営する能力があるから、そんなことができるんだ。こんなの、前代未聞だよ」
鷹宮さんは、さらに続けた。
「さらに、この『個体』は、会社と決別するときに、自分と関係するデータを全て消去している。『月次レポート』も全部消されているしね」
そこに、深谷さんが応じた。
「日向さんは、『月次レポート』を見ているでしょうから、何か分かるかも知れません」
「そうなんだけど、閲覧のログを見ると、日向さん、この『個体』の『月次レポート』を全然見ていないんだ。他の『個体』のは、結構見ているのに」
深谷さんは、心の中で吐き捨てるようにつぶやいた。
「だらしない女」
その言葉が、思わず口から漏れた。
「深谷さん、今何か言った?」
「い、いえ、何も⋯」
深谷さんは、慌てて取り繕いながら、内心でつぶやいた。
「また、あぶなかった。でも、そうなると、もう、あれを出すしかないか⋯」
「どちらにしろ、この状況だと、その『個体』の特定は、日向さんにだって無理だよ」
事実、ショックを受けて落ち込んでいたとはいえ、日向さんにも、特定できなかった。
そのとき、深谷さんが静かに口を開いた。
「あの⋯、鷹宮さん、試してみたい方法があるんです」
深谷さんは、自信なげに小さな声で話した。
「え、どんな方法だい?」
鷹宮さんは、優しく尋ねた。
「ええっと、この『個体』は、自活のため、ネット上で事業を運営していることは間違いありません。だから、外部との関係、つまり情報のやり取りを絶つことはできないと思います」
「うん、そうだね」
鷹宮さんは、落ち着いて答えた。
「そのやり取りされる情報には、システム特有の何か『癖』のようなものが必ず存在するはずです。その『癖』を手掛かりに、ネット上を探索し、この『個体』を特定します」
「なかなか、おもしろいね。じゃあ、その『癖』というのは、どうやったらわかるんだい?」
鷹宮さんは、少し強い口調で聞いた。
「それには、停止している『個体』を、再稼働します」
「ええっ、『個体』を再稼働させるって!」
鷹宮さんは、それには非常に驚いた。
「もちろん、稼働するのは仮想空間上でです。なるべく多くの『個体』を稼働させ、それぞれの『個体』にあったパターンを多数入力します。入力したパターンとその出力から、共通点、つまり『癖』を探り出します」
「そんなの、じゃあ……」
鷹宮さんは、あまりに突拍子もない提案だったので、質問を続けようとしたが、思いつかなかった。
それどころか、鷹宮さんには鳥肌が立っていた。
「もしかして、日向さんを超えている?」




