好きな人がいます
「……どうしたらいいの。」
深谷さんは静かに目を閉じた。
答えの見えない思考は、自然と過去へと沈んでいく。
やがて、今へと続く時のあぶくが、静かに浮かび上がってきた。
深谷さんは、「上の階の休憩スペース」の椅子に腰かけ、頭を下げてひとり泣いていた。
会議室で浴びせられた言葉が、頭の中で繰り返された。
「クライアントは誰も、こんなの理解できない」
「どれだけリソースをつぎ込むかわかってる?」
「違う⋯」
「違うのに、何も言い返せなかった⋯」
深谷さんは、悔しくて、悲しくて、再び涙があふれた。
そのときだった。
不意に、名前を呼ばれた。
「深谷さん⋯?」
「こんなところにいたんだ」
「泣いてるの?」
深谷さんは、うつむいたまま、膝の上で指を握りしめた。
「あんな批評は、気にしなくていいんだよ」
「プレゼン、よかったよ。とても斬新なアイデアだ」
「それをなんだよ、あいつら」
「何も理解できていないから、あんなことしか言えないんだよ」
「あの場で言い返そうとしたんだけど、切られちゃって、できなかったんだ。ごめんよ」
深谷さんは、はっと男性の顔を見上げた。
自分にはない度胸だった。
その迷いのない姿が、深谷さんにはまぶしく見えた。
そのときから、深谷さんは、鷹宮さんの姿を目で追うようになっていた。
会議室。
廊下。
食堂。
すれ違うたびに、自然と視線が向いてしまう。
気づけば、鷹宮さんの姿を探している自分がいた。
しかし、鷹宮さんは、女性には誰にでも優しかった。
困っている人がいれば声をかける。
落ち込んでいれば、自然に励ましている。
「……私だけじゃ、なかった」
あの日の自分だけが特別だったわけではない。
そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。
けれど、それ以上に気になった人がいた。
日向さんだった。
鷹宮さんは、他の女性にも優しい。
それでも、日向さんに向ける視線だけは、どこか違って見えた。
仕事の話をするときの真剣な表情。
日向さんの意見に、素直にうなずく姿。
会議が終われば、自然と二人で次の打ち合わせへ向かう。
その一つ一つが、深谷さんの胸に静かに積み重なっていった。
深谷さんは、鷹宮さんと日向さんの姿を思い浮かべた。
「好きなんだ……」
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。
日向さんは、美しかった。
堂々としている。
誰の前でも物怖じしない。
そして何より、周囲から自然と認められていた。
自分も仕事には自信があった。
プレゼンで否定されたからといって、自分の考えが間違っているとは思っていない。
それでも――。
評価されるのは、いつも日向さんだった。
周りが安心して仕事を任せるのも。
鷹宮さんが一番信頼しているように見えるのも。
日向さんだった。
「……無理だ」
その一言で、自分の気持ちに蓋をしようとした。
けれど、楽にはならなかった。
仕事に集中しようとしても、気づけば鷹宮さんを探している。
廊下ですれ違えば、胸が少しだけ高鳴る。
日向さんと並んで歩く姿を見れば、何もなかったように目をそらす。
そんな自分が嫌だった。
忘れよう。
何度そう思っても、翌日にはまた同じことを繰り返していた。
深谷さんは、生まれて初めて知った。
「諦める」と決めることと、
「諦められる」ことは、まったく別なのだと。
誰かに相談したかった。
けれど、相談できる相手はいなかった。
「好きな人がいます」
その一言さえ、口にできなかった。
だから、一人で抱え続けた。
何日も。
そんなある日の昼休みだった。
深谷さんは、机で昼食をとっている同僚の男性の横を通り過ぎようとした。
そのとき、机の上のディスプレイいっぱいに表示された何かのホームページが、深谷さんの目に入ってきた。
「恋愛相談」
「佐伯さん、何をご覧になっているのですか」
深谷さんは、相手が社内でとびぬけて話しやすい佐伯さんだったこともあり、思わず声をかけてしまった。
「あっ! びっくりした。深谷さんじゃないか。これのこと? 興味ある? んーないわけないか」
「いえ……、別に」
「さすがに俺も、昼休みに恋愛相談はしないからね。今は、無料のコラムをみているんだよ」
「ご利用になられたことはあるんですか」
「あるよ」
「それ、当たります?」
「当たりますかって、占いじゃないんだから」
「でも、こっちの話をしっかり聞いて、それに合わせてアドバイスくれるって感じかな」
「まあ、深谷さんも利用するときがくるかもしれないから、URL送っとくよ」
深谷さんは、その日の仕事を終え、自宅へ帰った。
帰るなり恋愛相談サイトを開くこともできた。だが、部屋着に着替え、夕食を済ませ、湯船につかってから、静かに机の前へ座った。
深谷さんは端末を起動し、教えてもらったURLを開いた。




