ライブ
深谷さんたちは、開店間もない時間に店へ着いた。
まだ他の客はおらず、店内は静かだった。
そこには、天井近くまで届く大型のスクリーンと、壁一面に設置されたスピーカーが備えられていた。
スクリーンにはライブ開始前の映像が流れ、スピーカーからは控えめな音量でBGMが響いていた。
音量を抑えていても、その音の厚みだけで、設備の質の高さが伝わってきた。
二人が見上げていると、店の奥から一人の男性が歩いてきた。
「深谷さんと鷹宮さんですね。南七星さんから伺っています」
「申し遅れました。店長の長谷部です」
「はじめまして。深谷です。こちらは鷹宮です。本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
店長は、プロジェクターを見上げながら、どこか誇らしげに微笑んだ。
「どうです。なかなかの迫力でしょう」
「この設備でも、南七星さんのライブだけは別格なんですよ」
「初めてご覧になったお客さんは、だいたい最初の一曲で驚かれます」
深谷さんは思わず、もう一度巨大なスクリーンを見上げた。
「本当は今日は、お二人だけの貸切にしたかったんです」
「ところが、どこで聞きつけたのか、『ここで南七星さんのライブを見たい』という常連さんからの問い合わせが何件もありまして……」
「さすがに、お断りするのが忍びなくて」
「申し訳ありません」
「いえ、とんでもありません」
「こちらこそ、お気遣いいただいて、ありがとうございます」
「そういえば、南七星さん、一時期、急に音信不通になったことがありましたね」
「あのときは、本当に心配しました」
「毎日のように、『何かあったんじゃないか』って、お客さんからも聞かれまして」
「あっ……それは……」
深谷さんは、一瞬言葉に詰まった。
「その……システムの運用上、予定外の対応が入ってしまいまして……」
「しばらく通常の活動を止めざるを得なかったんです」
「そうだったんですか」
「いえ、その……本人は問題なかったんですが…」
「ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
「そういう事情だったんですね」
店長は安心したように頷いた。
「戻ってきてくれただけで十分ですよ」
ライブ開始の十分ほど前になると、南七星さんのライブを目当てにした十数組の常連客が次々と店へ入ってきて、ライブの開始を待った。
BGMが切り替わり、ライブの開始が近いことを告げた。
店内の照明がゆっくりと落ちた。
BGMが消え、店の中は静かな期待に包まれた。
誰も大声を上げたりはしない。
けれど、その沈黙には、これから始まるものを待つ高揚が確かにあった。
やがて、スクリーンいっぱいに光が広がる。
次の瞬間、南七星さんが現れた。
その姿を見た途端、店内の空気が変わった。
歌が始まる。
スクリーンいっぱいに広がる映像。
体を包み込む音。
けれど、それ以上に、人の心を引き込んだのは、南七星さんの存在そのものだった。
歌いながら、まるで今、自分だけに歌っていると思わせる視線。
自然な仕草。
柔らかな表情。
アイドルでありながら、ファッションモデルのように斬新でカッコよく、伝統芸能のように洗練され、一切の隙がなく、オペラのように壮大で荘厳、それでいて力強い。
曲が終わるたびに、自然と拍手が起こった。
深谷さんは、いつしか鷹宮さんと来ていることを忘れていた。
ただ、プロジェクターの向こうにいる南七星さんを見つめていた。
最後の曲が終わった。
静かな余韻が店を満たした。
深谷さんは、胸の前でそっと手を組んでいた。
気がつくと、目に涙がにじんでいた。
拍手が起こる。
そのとき、隣で鷹宮さんがぽつりとつぶやいた。
「……このAIって、こんなにすごいんだ。」
鷹宮さんと別れ、一人になった帰り道。
深谷さんの端末が短く鳴った。
深谷さんは、すぐに応答した。
「深谷さん、お疲れさまでした」
「あなたも、お疲れさま」
「ライブの現場確認は、問題ありませんでしたか」
「問題なし」
「期待以上だったわ」
少し間が空く。
「……それと」
「今日は、本当にありがとう」
通信が切れたのかと思うほど、静かな時間が流れた。
「……深谷さん」
「深谷さんに感謝していただけるなんて……」
「……うれしいです。」
大型ディスプレイの前にいる深谷さんは、小さく笑った。
「わかったわ」
「今日は戻りなさい」
「次のライブの準備があるんでしょ」
「しばらくこっちの仕事はないから、その分のリソースは全部ライブに使いなさい」
「ありがとうございます」
「それでは、失礼します」
通信が切れた。
部屋は静まり返った。
さっきまで端末から聞こえていた声は、もうない。
深谷さんは椅子にもたれ、天井を見上げた。
迷いなく言えた。
「ライブ続けられるようにしてあげる」
それは今でも後悔していない。
でも――。
「……どうしたらいいの」
その声に答える者はいなかった。




