教育大
県立高校の放課後の廊下は、部活動へ向かう生徒たちの声で少し騒がしかった。
参考書を抱えた女子生徒が曲がり角を曲がると、向こうから男子生徒が歩いてくる。
お互い校内で何度か見かけたことのある顔だった。
一瞬だけ、二人の目が合う。
男子生徒は少し驚いたように目を細め、そのまますれ違っていった。
けれど胸の奥に、小さなざわめきだけが残る。
……また、あの人。
でも今は、そんなことを考えている場合じゃない。
教育大の受験まで、もう3か月しかないのだから。
井ノ上さんは、昔のことを思い出すように話を続けた。
「そのころは、彼のことが少し気になる程度で、どうしてもお付き合いしたいという気持ちまではなかったわ。後から聞いたけど、彼も同じ感じだったそうよ」
「そうこうしているうちに、受験シーズンは終わって、私は志望していた大学に合格できたのよ」
相沢さんが尋ねた。
「でも、まだお互いの名前も知らないんでしょ?」
井ノ上さんは、少し楽しそうに笑った。
「彼、どうしたと思う? 私の名前を、その年の卒業生の進路を見て知ったの。私が教員志望だったのは知ってて。 教育大に受かったのは、私だけだったから」
相沢さんは驚いて声を上げた。
「ええっ! そんなの、井ノ上さんが受かってなくて、他の子が合格してたら、どうするんですか!」
「本当、どうなっていたんでしょうね」
「でも、私も同じようにして彼の名前を知ったの。建築家志望だって知ってて、建築学部に合格したの、彼だけだったから」
「あきれた⋯」
結城さんもクスクス笑った。
「しかし、どうしてお二人はお互いの志望を知っていたんですか?」
「それは私が教員志望であることを『表明』していたからよ。学校中で、教員になるって、言い回ったの」
相沢さんは不思議そうに尋ねた。
「どうしてそんなことしたんですか?」
「受験生だから、一応、あの神社に合格祈願に行ったの。まあ、しょっちゅう行ってるんだけど」
「合格祈願って普通、絵馬を奉納するじゃないの。でもあの神社、絵馬やってなかったのよ。だから、かわりになることをって……」
「それって?」
「絵馬って、どこどこに合格したいって書いて境内に掲示するじゃないの。これって『願いごとの表明』でしょ。だったら同じように『表明』すれば『ご利益』があるんじゃないかって」
「まあ、私の勝手な解釈なんだけど」
「そうしたら、見ていた彼も、これは絵馬のかわりだと推測して、同じように『表明』したのよ」
相沢さんは、少し首を傾げた。
「まあこれも縁結び神社のご利益ってことですか、……何もしてないけど」
井ノ上さんは、懐かしそうに続けた。
「だけど、それぞれの大学に通うようになったから、顔を合わせる機会は、なくなってしまったの」
「でも、彼は、高校の通学圏内の絵馬のない神社をさがして、あの神社に行き着いたのよ。同じような神社は、いくつかあったらしいんだけど」
「そして、彼、神社の縁日の日を調べてやって来たのよ」
「縁日が始まる少し前、私は女友達と二人で神社へ来ていたの。境内にはまだ人は少なく、屋台の準備をする音が、あちこちから聞こえていたわ」
石段の近くで、小さな女の子が転んだ。
膝を擦りむいたらしく、わっと泣き出した。
本庄さん(現在の井ノ上さん)は、反射的に駆け寄った。
「大丈夫?」
神社のあちこちにいた女の子の友達たちが、本庄さんと女の子の周りに集まってきた。
本庄さんは、女の子の顔を覗き込み、尋ねた。
「おうち、近い?」
女の子は泣きながら頷いた。
井ノ上さんは、当時のことを思い出しながら話した。
「私と友達は、その子を家まで送り届けることにしたの。女の子の友達も数人引き連れてね」
「それで結局、神社へ戻ってこれなかったの。頭打ったかもしれないから、病院に行くとか、大げさになっちゃって」
「そして、そのときは気が付かなかったんだけど、友達は神社にきんちゃく袋を落としていたの」
井ノ上さん(男性)は、本庄さんたちが神社を離れて少したってから神社へやって来た。
彼は、境内で黄色いきんちゃく袋を見つけた。
「落とし物かな……」
拾い上げた瞬間、ガシャーンと近くで、大きな音がした。屋台の骨組みが崩れたのだ。
屋台を組み立てていたおじいさんが慌てていた。
彼は、とっさにきんちゃく袋を拝殿の柱の出っ張りに掛けると、そちらへ駆けて行った。
「おおっ、悪い悪い!」
彼は、屋台を支えると、そのまま組み立てから焼きそば作りまで手伝う羽目になった。
「若い人がいると助かるなあ!」
「えぇー……」
そう言いながらも、彼は少し嬉しそうだった。
「まあ、いいか。ここで手伝いしながらの方が、本庄さんを見つけやすいかもしれないし」
けれど、結局その日は会えなかった。
縁日の終わり際、おじいさんが言った。
「明日の朝、片付けも頼むわ!」
「えっ、まだあるんですか!?」
「若いから大丈夫!」
押し切られて、彼はしぶしぶ承諾した。
井ノ上さん(男性)は、家に帰って思い出した。
「あ、きんちゃく袋……」
「明日、おじいさんに渡そう」
そして、眠りについた。
同じころ、本庄さんが家へ帰ってしばらくすると、友達から電話がかかってきた。
「ごめん、きんちゃく袋なくした……」
「えぇ?」
「神社で落としたと思う。中身は大したもの入ってないんだけど、借り物なの。なくしたら怒られる……」
「分かった。明日、探してみる」
縁日の翌日の朝の神社は、いつもより静かだった。
本庄さんは境内を歩き回り、屋台の裏まで探した。
「あった」
拝殿の柱の出っ張りに、黄色いきんちゃく袋が掛かっている。
本庄さんが手を伸ばした、その瞬間だった。
反対側から、別の手が同じきんちゃく袋に伸びる。
二人は同時に顔を上げた。
「……井ノ上さん?」
「……本庄さん?」
「これ、友達が落としたやつで」
「うん、昨日拾ったんだよ。そのとき、おじいさんが屋台倒しかけて、とっさにここにかけたんだ」
本庄さんは、きんちゃく袋を手に取った。
井ノ上さん(男性)が覗き込んだ。
黄色い布地に、白い模様が入っていた。
「この白い模様って、龍じゃない? 神社の伝承にある」
「本当……でも黄色に白って、目立たない神様よね」
本庄さんは吹き出した。
「確かに」
井ノ上さん(男性)もつられて笑った。
「そうして、互いに連絡先を交換して、お付き合いするようになったの」
「そう言えばプロポーズも神社だったのよ」
井ノ上さんは、連れ合いとの話に限らず、神社に関するエピソードをいくつか語った。相沢さんと結城さんは、それを楽しそうに聞いた。
「長々と話しちゃったけど、次を最後にするわ」




