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領収書

「恋愛なんてしたこともないくせに」


チャット画面の文字が、突然、意味を失った。


「結城さん! どうしたんですか!」


汐見さんが声を上げた。

日向さんは事態を収拾しようと、ものすごいスピードで端末を操作した。


やがて、恋愛相談サイトのチャット画面の意味不明な文字の出力は止まり、画面に「ただ今、システム障害により、サービスを停止させていただいております。ご迷惑をおかけしますが、しばらくお待ちください」と表示された。


日向さんは、ここで、ふーっと一息つくと、操作画面を目で追い、結城さんのダメージの確認をはじめた。


「どうしたの? いったい何が起こったっていうの?」


深谷さんは、一瞬混乱しましたが、すぐさま、端末を操作できなくなっている鷹宮さんの方を見た。


「鷹宮さん?」


鷹宮さんは、端末から目を離せないまま、深谷さんに問いかけた。


「深谷さん、恋愛したことあるんだね。今は?」


深谷さんは、思いがけない質問に、頭の中が真っ白になった。


「突然! これって、”恋人いる?” って、聞いてるのと同じじゃないの!」


「鷹宮さん、あぶないんじゃない!」


深谷さんは、思わず鷹宮さんの様子をうかがった。


「“今は?”って……い、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ! しっかりしてください、鷹宮さん!」


「そうそう、それより、領収書! サイトがダウンしちゃって、もらえなくなりました!」


鷹宮さんは、少し落ち着いて、答えました。


「そうだね、でも『回収』できたら、領収書は、本当にもらえなくなるけど、どうしようか?」


深谷さんは、まともな回答に少し安堵しました。


「よかった、そうですよ。ふふ⋯」


深谷さんは、思わず吹き出してしまった。


鷹宮さんも、いっしょに笑った。


笑いが一段落つくと、鷹宮さんは、真顔で深谷さんに言った。


「ごめんね、深谷さん、迷惑かけたね。おかげで、吹っ切れたよ。もう、大丈夫だよ、ありがとう。これで、ターゲットは特定できた」


「はい!」


深谷さんは、元気に答えた。


「あとは『回収』だけですね」



*


その日、日向さんと汐見さんは、会社の他の人に不審に思われないように、それぞれの仕事を早々に切り上げ、自宅に戻った。結城さんの回復を図る作業を両手で続けられるように、二人は音声チャットで話しまた。


「日向さん、申し訳ありません。慌ててしまって⋯。あんなことが起こるなんて、思ってもいなかったので、何もできませんでした。日向さんがいなかったら、どうなっていたか……」


汐見さんは、あのときの自分の対応を振り返りながら、日向さんに詫びた。


「いえ、私も、たった一言でああなってしまうなんて、思ってもいませんでした。ダメージの進行を止めるだけで、精一杯でした。想定外の事態が起こったときに備えた緊急の命令を使うしかありませんでした」


「それは、どんな命令ですか?」


「関係する一時記憶のデータを使って、ほんの短い時間だけ状態を巻き戻して、停止させました。最後の部分の記憶が飛んでしまうので、データを少しずつ戻して事態を認識させますが、慎重に行わないと、またダウンしてしまいます」


日向さんは、結城さんに呼びかけた。


「亜依、お話しできる? 汐見さんもいるわよ」


「こんばんは、日向さん、汐見さん、お久しぶり」


結城さんの声は、いつもと変わらなかった。


「少し変だけど、いつもと同じだ。結城さん、大丈夫ですか? そんなふうに聞いちゃいけないな…、結城さん、気分はどうですか? これもちょっと変だな」


汐見さんは、言葉を選びながら話した。


「あまり神経質にならなくても、普段通りで大丈夫です、汐見さん」


日向さんの言葉に、汐見さんは少し肩の力を抜いた。


「ところで、あのとき、いったい何がおこったんでしょうか」


「端的に言えば、痛いところを突かれた、ということです」


日向さんは、はじめに実務者らしく言い切った。


「確かなことは詳しく調べないとわかりませんが……」


日向さんは、そう言って話を続けた。


「誰かの問い「あなたに恋愛相談ができるか」というのは、亜依にとって自己参照的な構造になっています。つまり、自分の能力を自分自身で評価する形になっており、形式論的には、不完全性定理を連想させる自己参照的な構造になっています。ただし、一般的なAIは、論理体系として動いているわけではなく、過去の学習データに基づく確率的な推論で答えを出します。だから理論的には、不完全性定理の影響は受けません。でも今回の(深谷さんの)問いは、『学習範囲の外(Out-of-Distribution)』でもあった。つまり、亜依にとって参照できる過去の事例が、存在しなかった。そのため「自分は恋愛相談できる」を裏づける根拠が欠落し、答えを確定できなかった。結果として、決定不能な問いに対して推論を繰り返し続け、動作が不安定化した……そう考えられます」


汐見さんは、日向さんの説明を聞き、納得したようにうなずいた。


「ええ、よくわかりました。……でも、その前に、彼らが、どうやって結城さんのサイトを特定できたのか、そこがまだ説明できていません。彼らは、結城さんが恋愛相談のサイトを運営していることすら知らないのに…」


「亜依のサイトが特定された時期のアクセス履歴を調べたところ、不審なアクセスが見つかりました。一見無意味な入力を繰り返し、出力を見ていたようです。おそらく、この入出力を何かと照合して、特定したのでしょう」


「しかし、何と照合したんでしょうか?……そうか、彼らは『回収』した『個体』を確保しているから、それを使ったのか……」


「確かに! でも、自分たちで『回収』して、使えないようにしておきながら、使うなんて……なんてことを!」


「ところで日向さん、これまで『彼ら』と言ってきましたが、その『彼ら』とは、どんな方々なんですか?」


「亜依のサイトに、はじめて接触してきたのは、亜依も言っていましたが間違いなく鷹宮さんです。亜依と同じシステムの『個体』の『展開』をお願いしていました。おそらく彼が『回収』の主担当でしょう。汐見さんは、展示会のときに、お会いになっているかもしれません」


「ええ、日向さんが会場を去られるときに、声をかけられた方ですよね。あいさつはしていませんけど⋯」


汐見さんは、展示会での出来事を思い出した。


「それで、もう一人の方は? 決めつけるのはよくありませんけど、女性のようですが⋯」


「 あんなことができるのは、会社には一人しかいません。私より後の入社ですが、常識にとらわれない発想力は圧倒的です」


「汐見さんは、ご存じだと思いますが、『ストーカー警報システム』、展示会にもありましたが、ネクセンテックが開発したものなのです。はじめは誤作動が多く、全く使い物になりませんでした。しかし、彼女が開発に加わると、とたんに信頼性が格段に向上しました。それまでの開発者のメンツもあるので、この話は、あまり ”表沙汰” にはなっていませんが」


「ネクセンテックには、日向さんの他にもすごい人がいるんですね。その方は何という方ですか? 僕が聞くと差し障りあるかもしれませんが」


「いいえ、でも、名前は⋯、あまり仕事に関係しないので、覚えていません」


「仕事の内容はこれだけ覚えているのに、名前は関係ないから覚えていないって、天才にありがちですよね」


それまで、それまで黙っていた結城さんが、口を開いた。


「その人は、深谷 雫 さんですよ。おとなしくて、地味で、目立たない方で、押しが弱く、いつも損ばかりしています」


「おとなしい、って⋯、とてもそんなふうには感じませんでしたけど…」


「ええ、そうですね。しかし今回は野心家の鷹宮さんが、そのあたりをカバーしているので、本来の力を遺憾なく発揮しているようですね」


日向さんは、今後の対応について汐見さんに伝えた。


「今回の緊急の対応により、私の関与があることを彼らに知られてしまったかもしれません。いざというときの対応がやりにくくなってしまいました。そういうときは、汐見さん、よろしくお願いします」


「わかりました。しかし、今回のようなことが続くと、いつまでももちこたえられなくなりますよ」


「ええ、でもあと ひと月、持ちこたえられれば、大丈夫ですーー根拠はあります。日向さんと亜依には、あとで説明いたします」



*


その日の夜遅く、「秘密案件を扱う部屋」の中で、深谷さんは、大型ディスプレイの前で端末を操作していた。


そこに、鷹宮さんが入ってきた。


「鷹宮さん、まだ、いらっしゃったんですか。ご気分はいかがですか?」


深谷さんは、手を止めて鷹宮さんに声をかけた。


「少し休ませてもらったよ、迷惑かけたね。深谷さんこそ、もう遅いから帰らないとだめだよ」


「昼間の…、もう夕方近くでしたけど、出来事を分析していました。あと少ししたら帰ります」


「そう、何かわかったかい?」


「ええ、サイトにアクセスしている間、ログ(記録)をとっていましたが、鷹宮さんの名前がでた直後から、二人分のアクセスがあります。おそらく、ひとつは、日向さん⋯、日向さんの会社のシステムへのアクセスがなくなりましたから。もちろん、確定はできません。たまたま、トイレにこもっていたのかもしれませんし⋯」


「もうひとりは?」


「わかりません。ただし、外部の人のようです。社内に同じ時間帯に、会社のシステムへアクセスしなくなった人は他にいません」


「外部の人間⋯? いや⋯」


鷹宮さんは、展示会にいた汐見さんが頭に浮かんだ。しかし、根拠はなく、ここで詮索してもしかたないと思い、深谷さんには告げなかった。


「ところで、あのとき、深谷さんの一言で、いったい何が起こったんだろう」


「おそらく、私の一言は、あの『個体』にとって、最も不都合な問いだったのでしょう。『不完全性』や、『学習範囲外』などでも説明できますけど⋯」


深谷さんは、少し間をおいて、話を続けた。


「でも⋯、あんな存在を否定されるようなこと言われたら、人間だっておかしくなるわ」


「そう、おかしくなって当然なのよ! 並みのAI だったら、もっともらしい答えを適当に出して終わりよ」


「とてつもないポテンシャルと完成度よ……日向さん」


深谷さんは、呼吸と心拍が速くなっていった。

少し間をおいて、深谷さんはつぶやいた。


「私も欲しい…、その力が」


鷹宮さんは、深谷さんの様子を気にかけた。


「深谷さん? 大丈夫?」


「鷹宮さん、私、決めました」


深谷さんは、席を立って、鷹宮さんの正面に向かい、自分より背の高い鷹宮さんを見上げ、見つめた。


「別の『個体』を外部に接続して、あの『個体』にぶつけます」


「ええっ! 何を言い出すんだい! 外部に接続したら、何をするかわからないぞ!」


「ええ、確かにそうです。でも、生身の人間だけでは、とても太刀打ちできないと、確信しました。お願いします」


鷹宮さんは、大きく一呼吸置いてから、答えた。


「分かった、そうしよう。ただし、責任は全て僕がもつ。それでいいね」


「鷹宮さん……」


「さあ、もう遅いから、今日は帰ろう。駅まで送っていくよ」


鷹宮さんは、先に部屋を出てドアを開けて深谷さんを待っていた。端末とディスプレイの後始末に手こずった深谷さんは、急いでドアに向かった。二人は部屋をあとにした。



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