第27話
第27話 再び王の庭へ
森は、静かだった。
風が通り、葉が揺れる。
音はあるのに――どこか、息を潜めている。
ミラベルは歩いていた。
足を止めず、振り返らない。
黒装束の男たちは、後ろにいる。
だが、その距離は一定だった。
従わせているのではない。
支配されているのでもない。
――ただ、進んでいる。
自分の意思で。
やがて、開けた場所に出た。
王の庭。
木々が円を描くように囲み、その中心だけが空いている。
ミラベルは、そこで足を止めた。
その瞬間だった。
――風を切る、音。
遅れて、頭上から檻が、叩きつけられるように降りてきた。
太く、重い格子。
先ほど壊したものとは違う。
明らかに“閉じ込めるため”のもの。
男たちが檻から距離を取る。
「……油断したな」
その奥から、声が落ちた。
パルス伯が姿を現す。
ゆっくりと、勝者の歩みで。
「小娘一人だけを連れて来たか。良くやった」
値踏みするような声。
視線はすぐにミラベルへ向く。
いや、胸元の石へ。
そこに執着があった。
「その力はお前には重い――こちらに寄越せ」
一歩、近寄る。
ミラベルは、静かに見返した。
「ここには、私の意思で来ました」
声は揺れない。
「貴方に石は渡しません」
パルス伯が、わずかに笑う。
「……意思、か」
懐から一枚の紙を取り出す。
婚約宣誓書。
「これがある限り、お前に自由などあるものか」
揺らす。
「お前は道具だ」
その言葉は、かつてミラベルを縛っていたもの。
だが。
「……それが、何だと言うのです」
静かに、否定する。
「紙切れ一つで、私が決まるとでも?」
ぞわりと、空気が変わる。
風が止まり、森が息を潜める。
ミラベルを、見ている。
「私は――選びます」
胸元の石に触れると、熱が応えた。
広がる、青い光。
地面が震え、根が動く。
土が呼応する。
檻が、内側から軋んだ。
一度、二度、静かに。
歪む。
パルス伯の目が、わずかに細くなる。
ミラベルは、一歩踏み出す。
その瞬間。
格子が砕け、崩れた。
ミラベルは、そのまま外へ出る。
風が通る。
空が、開ける。
森が、応える。
その中心に、立つ。
「……ほう」
パルス伯が、初めて“見直した”。
だが。
すぐに、笑う。
「やはり、その力――小娘が持つには惜しい」
余裕は、崩れない。
ゆっくりと懐へ手を入れる。
「それを持つ者が、お前だけだと思っているのが――間違いだ」
パルス伯は、握っていた手のひらを開いた。
「“従わせる”力は、創れる」
姿を現す。
赤い、花の形の石。
ミラベルのものと、酷似している。
「神器“プルトン”」
低く、告げる。
どくりと、脈打つ赤い光。
生き物のように。
空気が歪む。
森の気配が、軋む。
赤が、青にぶつかる。
流れが、逆転する。
視界が赤く染まり、足元の草花が黒く変色していく。
喉の奥が焼けるような圧迫感が襲った。
ミラベルの髪が揺れた。
だが、目は逸らさない。
前を見据えた。
(私は、もう引かない――!)
石を強く、握りしめた。
――――――――――
応接室の空気は、張り詰めていた。
静かではない。
だが、音があるほどに重い。
「どういうことだ……!」
エドアルドの声が、叩きつけられる。
机に手をつく。
抑えているはずの怒りが、滲んでいた。
「王命で警護を強化したのだぞ!……それが、破られたと?」
視線が、騎士たちへ突き刺さる。
誰も、顔を上げられない。
報告は簡潔だった。
だが、その内容は許されるものではない。
完璧だったはずの網。
その全てが、断ち切られた。
「責任者は何をしていた!」
更に声が荒れる。
「……騒ぐな」
低い、国王の声が静止する。
だが、次の一言で空気が凍った。
「今は、取り戻すことが先だ」
怒りは、そこにあった。
ただ、外へは出ていないだけだ。
それが、余計に重い。
「追跡はどうなっている」
「はっ、各方面に展開中ですが――」
言葉が濁る。
「足取りは、掴めておりません」
短い、沈黙。
だが、十分だった。
「……範囲を広げろ」
国王が告げる。
「森も含め、全てだ」
「はっ!」
命令が次々と飛び、騎士たちが動き出す。
城内は混乱を極めた。
だが――。
その場にいない者が一人いた。
人の気配が消えた後の、空白。
ミラベルが居た部屋。
窓際に、歪んだ檻が残されている。
マルクスは、そこに立っていた。
何も言わず、ただ見ている。
整えられていたはずの空間。
守られていたはずの配置。
(……違う)
連れ去られた。
そう報告はされていた。
だが、それだけでは、説明がつかない。
視線が、窓へ向く。
格子越しの空。
広い。
どこまでも、遮るものはない。
(……この下にいる)
同じ空の下に、ミラベルはいる。
閉じ込められているのではない。
――進んでいる。
再び、視線を戻す。
歪んだ鉄格子。
手を伸ばすと、冷たい金属に触れた。
だが、その奥に――残っている。
(……選んだ)
言葉にはしない。
だが、理解する。
(ならば――それに追いつく)
これは、奪われた形じゃない。
残された“跡”が違う。
そこにあったのは――意思だ。
指先に、感覚が残る。
流れるような、繋がるような。
それを辿る。
(……森)
思考ではなく、直感だった。
(……王の庭か)
そこにもう、迷いはない。
踵を返す。
速度が上がる。
廊下を抜け、階段を下りる。
やがて、厩が見えた。
「殿下」
呼び止める声は、ヒューゴだった。
既に装備を整え、指示を飛ばしている。
視線が交わる。
マルクスは止まらない。
「王の庭だ」
一言。
それだけで十分だった。
ヒューゴの目が細くなる。
理解した。
「……後から兵を引け」
「先に行く」
足を止めない。
そのまま通り過ぎる。
ヒューゴは振り返らなかった。
「総員、王の庭へ!」
即座に声が飛ぶ。
動きが変わる。
流れが、一つになる。
その中で、マルクスは、既に馬に跨っていた。
手綱を引く。
馬が嘶く。
次の瞬間、駆け出した。
迷いはない。
ただ、一点へ。
同じ空の下。
その先へ。
――王の庭へ。
つづく
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