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王の庭に咲く花~身売り同然の婚約なんてお断りです!~  作者: 幽々子由馬


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第26話


第26話 崩れた檻


 廊下の空気が、乱れている。

 規則正しいはずの足音が揃っていない。

 短く鋭い声が飛び交い、誰もが余裕を失っていた。

 マルクスは足を止めなかった。

 ただ、その奥で理解する。


(……遅い)


 何かが起きている。

 いや。

 

 ――起きてしまった後だ。


 角を曲がる。

 見えたのは、崩れた配置だった。


 等間隔に立っていたはずの騎士が倒れている。

 壁にもたれ、あるいは床に伏し、呻き声を漏らす者もいる。

 血の匂いは薄い。

 だが、それが逆に異常だった。


「殿下!」


 駆け寄る騎士が、短い報告を告げる。


「襲撃された!?」


 抑えきれない声だった。

 短く、強く、叩きつけるように。


「はっ……!」


 返答は遅れる。

 その一瞬すら、苛立ちを生む。


「ミラベルは」


 間を置かない。


「……連れ去られた、と」


 返す前に、足が動いた。

 速くなる。

 迷いはない。

 扉が開け放たれている。

 中へ踏み込む。


 そこにあったのは――崩れた“完璧”だった。


 整えられていたはずの配置。

 揃えられていたはずの動線。

 そのすべてが、無造作に断ち切られている。


 そして。

 床に、ノエルがいた。


 膝をつき、崩れるように肩を震わせている。

 声にならない呼吸。

 指が、何かを掴もうとして空を掻く。


「……何があった」


 低い声に、ノエルが顔を上げる。

 涙で滲んだ視界のまま、必死に言葉を繋ぐ。


「……っ、黒装束の者が……三人……」


 呼吸が乱れる。


「気付いた時には……外の見張りは、もう……」


 言葉が切れる。

 喉が震える。


「連携が……取れていて……声を出す前に……」


 そこまで言って、言葉が途切れた。


 視線が、震えるように動く。

 その先に、窓。


 マルクスの視線も、そこへ向いた。

 ――格子が、歪んでいる。


 鉄が、曲がっている。

 断ち切られたのではない。

 押し広げられたように、内側から歪んでいる。


 あり得ない形だった。


「……ミラベル、どこに」


 言葉は、最後まで形にならなかった。

 分かっている。

 ここにいる誰でもない。

 残されたのは、“不在”だけだった。


 マルクスは、一歩だけ近づく。

 手を伸ばし、歪んだ格子に触れる。


 冷たい。

 だが、その奥に、微かに残るものがあった。


(……違う)


 次の瞬間、手を離す。


「……選んだのか」


 誰も答えなかった。

 答えは、ここにはなかった。


 ――――――


 時を遡る。


 静寂は、破られていた。


 鈍い音。

 崩れる気配。

 そして、息を飲む間もない速さで――終わる。


 ノエルが倒れ込む。

 その瞬間だった。


「その侍女にそれ以上触らないで!」


 鋭い声が、室内を切り裂いた。

 黒装束の男たちが、わずかに動きを止める。


 ミラベルは立っていた。

 武装した侍女が床に落とした短剣を拾い、その刃先を自らの喉元に向けている。

 手はわずかに震えていた。

 それでも、逸らさない。


「……それ以上近づけば」


 声は静かだった。


「私が、終わらせるわ」


 男たちの足が止まる。

 理解したのではない。

 “読めない”のだ。


 この行動が。


「私がいなかったら、困るのはあなた達よ」


 視線を向ける。


「……雇い主は、パルス伯ね」


 一瞬の、揺れ。

 誰も答えない。

 だが、それで十分だった。


 ミラベルは、息を吸う。


 胸元の石が、熱を帯びる。

 今までとは全く違う。

 強く、確かに。


 応えるように。


 青白い光が、静かに滲んだ。

 空気が、変わる。


「……そうよね」


 小さく、呟く。


 与えられるのではない。

 閉じ込められるのでもない。


「私が選びます」


 はっきりと、言い切った。

 鉄格子へ手を伸ばす。

 触れた瞬間、石の熱が腕を伝った。

 格子が、内側から軋む。

 一度、二度。

 金属が悲鳴を上げるような音もなく、ただ静かに、押し広げられていく。

 まるで最初から抵抗する意思を持っていなかったかのように。

 そして、形を失った。


 静かに、崩れ落ちた。


 男の一人が、息を呑む。


「……なんだ、それは」


 一歩、退いた。

 ミラベルは視線を向ける。

 もう、震えていなかった。


「触らないで」


 短く告げる。

 

 誰も、動けなかった。

 刃は、まだ喉元にある。

 だが、それはもう脅しではなかった。

 自分の意思を示すための、選択だった。

 

「自分で歩きます。私は、私の意思で決める」


 一歩、踏み出す。


 外の空気が、頬に触れた。

 冷たく、広い。

 どこまでも続いている。

 

 ミラベルは足を止めずに歩いた。

 誰も止めなかった。

 止められなかった。

 

 空が、見えた。


 つづく

お読み頂きありがとうございます。少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。

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