第24話
第24話 選ぶということ
扉の前で、足が止まった。
息を整える。
胸元の石が、かすかに熱を持っている。
昨日からずっと、消えない熱だった。
ミラベルは扉に手をかけた。
軽い音を立てて、扉が開く。
白で統一された部屋だ。
余計なものは何も無い。
だからこそ、その存在が浮き立つ。
そこに、マルクスがいた。
数歩の距離。
それだけなのに、遠い。
質素な猟師の服ではない。
王族の衣をまとって、ただ立っている。
顔は変わらない。
眼差しも変わらない。
それなのに――あの森とは、違う空気だった。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
先に口を開いたのは、マルクスだった。
「……来たか」
「はい」
それだけで、足りた。
ミラベルがソファに座ったのを確認して、マルクスが向かい合って着席する。
ローテーブルには、紅茶が湯気を上げていた。
ミラベルは、自分でも気づかないうちに言葉を探していた。
改まった挨拶でも、礼儀でもない。
ただ、確かめたいことがあった。
「……お聞きしてもよろしいですか」
マルクスが、わずかに顎を引く。
「あの時の猟師のあなたは――本当の、あなたでしたか」
沈黙が落ちた。
マルクスはすぐには答えなかった。
視線がわずかに逸れ、そして戻る。
「……偽ってはいない」
短い言葉だった。
それだけで、胸の奥にあった何かが、ほどけた。
「そうですか」
声が、少し軽くなった。
「……森は、静かでしたね」
「無駄な音がなかった。風と、足音だけだ」
「火を囲んでいた時も」
「……寒かったな」
「でも、嫌ではありませんでした」
マルクスの口元が、わずかに動く。
「火が弱かっただろう」
「あなたが薪を惜しんだからです」
「雨でほとんど濡れてしまったからだ」
「煙が多くて、噎せてしまって」
「ああ、煤だらけだった。……笑ったな」
短いやり取りだった。
それだけなのに、あの時の空気がそこにあった。
言葉が自然に出る。
間が重くない。
体の力が、少しずつ抜けていく。
ふと、言葉が途切れた。
静寂が落ちる。
ほんの一瞬。
それだけで、分かった。
ここでは、選べない。
「……あの時は」
視線を落とす。
「何も、決めなくてよかった」
指先が、わずかに震える。
石が、熱を帯びる。
「ですが――今は、違います」
顔を上げた。
マルクスは何も言わない。
ただ、見ている。
その眼差しは、森で見たものと同じだった。
問い詰めない。
急かさない。
ただ、待っている。
だから言えた。
「私は選びます。与えられたものではなく、自分で」
「……そうか」
否定も肯定もない。
ただ、受け止める声だった。
「その上で、お聞きします」
一歩、踏み出す。
「あなたは――どこにいても、変わりませんか」
マルクスは、わずかに目を細めた。
「俺は、俺だ。場所で変わるものではない」
即答だった。
その言葉に、息がほどけた。
ミラベルは胸元を握る。
石が応えるように熱を帯びる。
「……それが聞けて、よかった」
声が、少し震えた。
「あなたがどこに居ても変わらないと言うなら――選べると思ったのです」
言葉を続ける。
「私は――あなたと話して、選びます」
間が落ちた。
マルクスは、ほんのわずかに息を吐く。
「急がなくていい」
低く、静かに。
「選ばなくてもいい」
一拍。
「だが――選ぶなら」
視線が、まっすぐに向けられた。
「俺が、受け止める」
俺が。
その一言が、胸に刺さった。
ミラベルは何も言えなかった。
石が、今までで一番強く熱を帯びる。
熱が、怖くなかった。
胸の奥がほどける。
視線は逸らさない。
「……はい」
静かな、合意だった。
――――――――
扉が、重い音を立てて開いた。
エドアルドが立っていた。
表情は険しい。
「時間だ」
二人を一度だけ見る。
何も言わない。
だが、すべてを見ていた目だった。
「来い――二人ともだ」
マルクスだけが立ち上がろうとしたところ、エドアルドの声がかかる。
「王命だ」
ミラベルはマルクスを一度だけ振り返った。
言葉はない。
それで足りた。
廊下を進む三人の足音。
先頭を行くエドアルドの背中は、微動だにしない。
隣を歩くマルクスの気配は、音もなく、それでも確かにそこにある。
二人の王族に挟まれながら、ミラベルは自分の足元を確かめるように歩いた。
「選ぶ」と言った。
ならば――この足を、止めてはいけない。
扉が開く。
国王が、静かに座っている。
すべてを見通すような目だった。
「来たか」
視線が、二人に向けられる。
間が落ちる。
やがて。
「パルス伯が、逃亡した」
空気が、凍った。
「行方は不明だ」
短い言葉が、すべてを変えた。
つづく
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