第23話
第23話 差し出された席
扉を開いた、次の日の午後。
傾きかけた陽の光が、窓から差し込んでいた。
書斎に隣接した応接室。
整えられた調度品が、その光を受けて静かに反射している。
中央のテーブルに、二人分のティーカップ。
湯気はもうほとんど立っていない。
砂糖とミルク、彩りの良い茶菓子が添えられているが、どれも手がつけられていなかった。
向かいに、エドアルドが座っている。
背筋は伸び、視線はまっすぐにミラベルへ向けられていた。
ミラベルもまた、姿勢を崩さない。
沈黙だけが、時間をかけて積み重なっていく。
「……味はどうだ」
エドアルドが口を開いた。
ミラベルはゆっくりとカップに手を伸ばす。
指先に伝わる温度は、少し冷めていた。
「落ち着く香りです」
カップを戻す音が、小さく響く。
「そうか」
それきり、また沈黙が落ちた。
ふと、気づく。
いつもあるはずの気配がない。
「……侍女は」
「下げてある」
間を置かず、返ってくる。
理由は語られない。
それで十分だった。
ミラベルは、わずかに息を整えた。
最初から、一人で向き合う場だったのだ。
「本題に入ろう」
エドアルドの声が落ちた。
「お前の立場についてだ。お前は、この国にとって必要な存在だ」
断定だった。
感情はない。
ただ、事実として置かれる言葉。
「ウィルスナー家が国外にあった理由は、理解しているな」
「……国内で、狙われた過去がございます」
「そうだ。お前の血は、それだけの価値を持つ。この国にいる限り、お前は狙われる」
静かに、だが確実に積み重なっていく言葉を、ミラベルは聞いていた。
「だからこそ、王の庭を守るため、お前は中枢に置かれる。王妃という立場で。――守るためだ」
ミラベルは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ありがとうございます。守ろうとしてくださっていることは、理解しております」
否定はしない。
できない。
それは正しいから。
「ですが――その上で、申し上げます」
自分で思っていたよりも、落ち着いた声だった。
ともすれば震えてしまいそうになる手に、力を込める。
エドアルドは、カップに手を伸ばした。
一口含み、考えるようにゆっくりと戻す。
「ほう?」
短い促しだった。
ミラベルは、再びカップに手を伸ばす。
今度は、迷いなく。
唇を湿らせて、そして言った。
「……それだけでは、守れません」
窓の光が、わずかに傾いた。
「……それは、願望ではないのか」
「いいえ、事実でございます」
エドアルドの動きが、わずかに止まる。
「……意味を申せ」
「王の庭は」
ミラベルは胸元に触れた。
ペンダント。
かすかな熱が、まだ残っている。
「心から願い、選んだ者でなければ、守ることができません。この石が、それを示しています。選ばなければ、応えない」
事実として、言い切る。
「…………」
エドアルドはカップを持ち上げたまま、しばらく口元へ運ばなかった。
射るような視線が、ミラベルのペンダントに落とされる。
眉が動く。
――知らないわけでは、ない。
一口も含まずに、静かに戻す。
「……断言できるのか」
「はい」
迷いはなかった。
「このまま何も選ばずにこの立場を受け入れれば、私は王の庭を守れません」
長い沈黙が落ちる。
エドアルドは視線を外さない。
やがて。
「……ならば、何を選ぶ」
「確かめたいのです」
ミラベルは、まっすぐに答えた。
「自分の意思で。そのために――マルクス殿下に、お会いしたい」
空気が、わずかに変わった。
エドアルドはカップに触れたまま、止まった。
そして。
「マルクスか……」
(――同じような事を、言うのだな)
声色が、僅かに和らいだ。
「……理は通っている」
ぽつりと落とす。
「だが、結果がどうであれ、お前の立場は変わらない。それでも、聞くか」
ミラベルは答えなかった。
代わりに、ペンダントをそっと握る。
熱が残っている。
ぎゅっと、力を込めた瞬間、石がわずかに応えるように熱を帯びた。
息を吸う。
視線を上げる。
「……ええ」
静かに、けれど揺るがない声だった。
エドアルドは、カップの残りを静かに飲み干し、ソーサーに戻す。
何か決したように、頷いた。
「ならば、マルクスとの面会を調整しよう」
ミラベルは、ゆっくりと息を吐いた。
――あとひとつ。
ミラベルの脳裏に、傍らに居ない侍女の姿が浮かぶ。
「殿下、もうひとつ申し上げたい事がございます」
ミラベルが静かに言った。
エドアルドの視線が、わずかに動く。
「今回の件に関わった者への処分は、お控えください」
一瞬、空気が止まる。
「侍女の名は、ノエルといったか」
ミラベルは、掌をぎゅっと握りしめた。
あの時握ったノエルの手の温度を、まだ覚えている。
「……理由を聞こう」
短い問いだった。
「命じたのは、私です」
まっすぐに言う。
「選んだのも、私です」
言葉は揺れない。
「責は、すべて私にございます」
エドアルドは、わずかに目を細めた。
「……それが通ると思っているのか」
「通します」
即答だった。
視線を逸らさない。
「選ぶと申し上げた以上、伴う責も、私が負います」
静かに、言い切る。
長い沈黙が落ちた。
やがて。
「……良いだろう」
低く、落ちる声。
「ただし――お前の元には戻さん。いいな」
「はい」
カップに手を伸ばす。
指先はもう震えていない。
冷めかけた茶の温度が、伝わってくる。
今、確かに掴んだものと同じように。
つづく
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