第22話
第22話 開いた扉
「……外に、出たいの」
振り返ったノエルの表情が、固まった。
空気が、凍る。
「……それは」
言い淀む。
分かっている。
それが、どういう意味か。
この場所から、出るということ。
許されていないこと。
ノエルの指先が、わずかに震える。
「……無理、でございます」
小さく、落ちる声。
視線が、揺れる。
「この先は、近衛が……」
説明しようとして、止まる。
ミラベルが初めて、口にした願い。
その事実が、ノエルを襲う。
「出ては……いけません……」
言葉尻が小さかった。
ノエルもまた、何かに抗っているのだ。
ミラベルは、少しだけ目を伏せた。
――わかっていた。
少しの沈黙の後、顔を上げる。
「……どうして?」
責めるでもない、問いだった。
ただ、知りたいという声。
ノエルの呼吸が、止まる。
「……それは」
すぐに、言葉が出ない。
言うべきことは、決まっているのに。
喉の奥で、言葉が詰まる。
何度も、言いかけて、止まる。
ノエルは、視線を落とした。
手を、ぎゅっと握る。
「……決まっている、からです」
絞り出すような声。
「ミラベル様の……お立場が」
震える。
「守られるべき方だから……」
それが、答え。
それが、“正しさ”。
ミラベルは、静かにそれを聞いた。
視線を、静かに扉へ向ける。
一度も踏み出した事の無い場所。
でも、きっと今開かなくては後悔する。
胸元のペンダントを握る。
――まだ、熱が残っている。
大きく息を吸った。
「……それは、私が決めたの?」
ノエルの肩が、大きく揺れた。
視線が上がる。
ミラベルは、訴える様にノエルの目を見た。
「私は……まだ、何も選んでいないわ」
静かな声。
けれど、揺らがない。
「それなのに……どうして、もう決まっているの?」
ノエルは、息を呑んだ。
視線と、言葉が、刺さる。
返せない。
正しいはずの言葉が、揺らぐ。
ノエルの中で、何かが揺れていた。
脳裏を規則が掠める。
けれど――。
目の前にいるひとりの少女が、立ち上がった。
檻のような、この場所で。
自ら、選ぼうとしている。
ノエルの喉が、ひくりと動いた。
ここで動けば、終わる。
自分の立場も、居場所も。
視線が、ミラベルに戻る。
目を見る。
その目は、生気に満ちていた。
ノエルの脳裏に、この部屋で過ごしたミラベルの姿が浮かぶ。
ミラベルは……そう、普通の女性だ。
勿論、所作は貴族令嬢のそれである。
だが、理由も告げられず、この場所に留められている。
彼女の戸惑いや不安を、傍で見てきた。
ノエルの手が、震えた。
「お願いよ、ノエル――私、自分で決めたいの」
ミラベルが近寄り、そっとその手を取る。
「ミラベル様が……罰されてしまいます」
ぎゅっと、握る。
息を吸う。
「でも、それ以上にミラベル様がこの場所で“お人形”のようになってしまわれるのが、わたくしは耐えられない――!」
そして――。
「……少しだけ」
声が、震えている。
「……お手伝い、いたします」
ミラベルの目が、わずかに開かれた。
ノエルは、続ける。
「長くは、無理です」
「すぐに戻らなければ……」
言いながら、自分でも分かっていた。
もう、戻れない。
「……それでも、よろしければ」
顔を上げる。
ミラベルを見る。
ミラベルは、ゆっくりと頷いた。
「ええ」
それだけで、十分だった。
ノエルは、動いた。
扉へ向かう。
一歩。
足が、重い。
けれど、迷わない。
扉に手をかける。
冷たい取っ手。
息を、整える。
――音もなく、扉の取っ手が動かされた。
その瞬間、時が止まった。
扉の向こうに、影があった。
わずかに開いた隙間から、視線がゆっくりと上がる。
視線が、こちらを捉えた。
合った。
――バタン。
扉が閉まる音ですべてが、元に戻る。
ほんの一瞬だった。
それでも、確かにそこにいた。
ノエルがその場にへたり込んだ。
「……はぁっ、はぁっ……」
遅れて、大きな呼吸音。
顔は青ざめ、肩で息をしている。
けれど、その手はまだ扉の取っ手を固く握りしめたままだ。
何か、言わなくては。
なのに、何も言葉が出ない。
自分の呼吸の音がやけに、近い。
遅れて、胸の奥が熱を持った。
指先が、強く震える。
触れたのは、ペンダント。
――熱い。
今までで、一番強く。
確かに、応えていた。
息を、呑む。
直感が、形になる。
――あの人だ。
ミラベルは、ゆっくりと目を閉じた。
そして、開く。
視線は、扉へ。
もう、迷いはなかった。
(……私は)
(あの人と、話してから選ぶ)
――――――――――
「今、扉が少し開かなかったか」
エドアルドが訝しげに扉を見る。
「マルクス」
「……」
一瞬の、間。
「見えたのは、使用人でした」
何かを察したエドアルドは息を吐く。
「報告する。お前も証人として来い……見たままを陛下に話せ。」
「はい」
エドアルドはマルクスを一瞬見て、その場を後にする。
石の床、規則正しく叩く足音が遠ざかっていく。
速い。
マルクスはしばらく立ち止まったまま、扉を見つめた。
(今、確かに――)
口元が思わず弛む。
(やはり――選ぶ人だ)
マルクスは、まるで愉快な演劇を見た後のような足取りで、その場を後にした。
つづく
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