第20話
第20話 王宮の稽古場
乾いた金属音が、鋭く響いた。
剣と剣がぶつかり、火花が散る。
間髪入れずに、次の一撃。
踏み込みは深く、迷いがない。
受けた騎士の体勢が、大きく崩れた。
「――甘い」
低く落ちる声。
その瞬間、剣先が喉元で止まる。
「ヒッ」
短く息を飲む音が響く。
刃先を潰していると言っても、その太刀筋だけで死を覚悟させられるような迫力があった。
あと一歩踏み込めば、それで終わっていた。
「……参りました」
騎士が膝をつく。
息が荒い。
対して――。
マルクスは、息一つ乱れていなかった。
剣を引く。
動きは静かで、無駄がない。
「力で押すな。崩れるのは自分だ」
淡々と告げる。
「重心を見ろ。相手じゃない、自分のだ」
短い指摘。
それだけで十分だった。
「はっ」
騎士は深く頭を下げる。
周囲で見ていた他の騎士たちも、息を呑んでいた。
誰も、軽口を叩かない。
空気が、張り詰めている。
それは恐れではない。
純粋な、実力への敬意だった。
「第二王子殿下は、放蕩者だと聞いていたが……」
「知らないのか。現騎士団長の前任――あの“鬼才”だ」
ざわり、と空気が揺れた。
そんな話が、マルクスを取り囲む輪の外で繰り広げられる。
「次」
マルクスが言う。
また一人、前に出た。
――繰り返される、打ち合い。
だが、結果は同じだった。
崩される。
いなされる。
詰められる。
そして――止まる。
決定的な一撃の寸前で。
やがて。
「……そこまでだ」
騎士団長の声が落ちた。
マルクスは剣を収めた。
周囲の騎士たちも、それに倣う。
「殿下、相変わらずお見事なお手並みでございます。」
騎士団長ヒューゴ・バッカスが頭を下げる。
褐色の短い髪に、焼けた肌の偉丈夫だ。
「ヒューゴ、騎士団の質が落ちたか?」
年下の元上司に当たるマルクスを前に、ヒューゴは苦笑いを浮かべる。
「ご冗談を殿下――殿下が益々お強くなられただけのこと」
マルクスは騎士団員を見回した。
今の手合わせで、すっかり畏怖の念を覚えた団員達が、肩をすくみ上がらせる。
「鍛錬を怠るな。後で訓練内容を見せてみろ。再考してやる」
ヒューゴはその様子を見て、困ったように頭を下げた。
「殿下のお手を煩わせる訳には……」
その声には、本物の気遣いがあった。
しかし。
「守るべきものができた時、今の練度では誰も救えんぞ」
「それは……返す言葉もございませんな」
素直に頷くヒューゴの胸の内を知るかのように、マルクスがふっと口の端を上げる。
「大丈夫だ、その位の時間は取れる。……お前も前線ばかりで王都は久しぶりだろう。今度酒に付き合え。」
ヒューゴが一瞬だけ、目を見開いた。
すぐに、苦笑に戻る。
「はっ」
臣下の礼を取るヒューゴに、マルクスは鷹揚に頷いて見せるのだった。
――――――
廊下を、歩く。
石の床に、足音が響く。
規則正しく、乱れなく。
窓から差し込む光が、長い影を落としていた。
(……こんなものか)
心の中で、呟く。
王宮騎士団は確かに精鋭だ。
だが――。
(叩き直しが必要だな)
森での戦いを思い出す。
パルス伯の連れていた軍の中に、少数ではあったが、手練れが居た。
(どこから連れて来たのかは、分からないが)
その気配は、パルス伯が捕えられる頃には消えていた。
つまり、逃げたと断定して良いだろう。
守るには、あれでは足りない。
視線を前に向けたまま、歩み続ける。
(……今頃)
自然と、気にかける。
頭に浮かんだのは――ミラベルだった。
王宮に来てから、一度も顔を見ていない。
見に行こうと思えば、できたはずだ。
それでも、行かなかった。
足が、わずかに止まる。
父王の言葉を思い出す。
――マルクス、守るためだ。エドアルドが最適であろう。
連ねられた、兄の名前。
当然の事だった。
群衆はきっと、この婚姻を歓迎するだろう。
(これでいい)
そう思った。
あの力は危うい。
またいずれ、必ず狙われる。
今度は奪われるかもしれない。
ならば――。
(王家の中に置くのが最善だ)
守るために。
一番守られる地位にいるべきなのだ。
その地位とは、やはり――王妃だ。
再び歩き始めた。
だが、胸の奥に残るものがある。
(……最善、か)
脳裏に浮かぶ。
森の中。
焚き火の光。
湯気の立つスープ。
笑った顔。
拗ねた顔。
真っ直ぐに、言い返してきた声。
――あの時の、ミラベル。
(……ミラベル)
足が、再び止まる。
視線が、窓へと向いた。
外。
空は広い。
その中を、一羽の鳥が飛び立つ。
羽ばたき。
迷いなく。
まっすぐに、遠くへ。
その姿を、目で追う。
「……違うな」
ぽつりと、零れる。
静かな廊下に、消える声。
(ミラベルは)
言葉を、選ぶ。
いや。
選ぶ必要もなかった。
(籠に入れていいような人じゃない)
あの森で。
自分で選び、自分で立っていた。
守られるだけの存在じゃない。
――選ぶ側の人間だ。
「……」
息を吐く。
ミラベルにその通りだと、言われた気がした。
自然と笑みが浮かぶ。
(何が最善だ)
誰に向けたものでもない。
ただ、はっきりと。
(本人に、聞いてもいないくせに)
視線が、前へ戻る。
もう、迷いはなかった。
足が動く。
先ほどまでとは違う、確かな意志を持って。
(……話をする)
それでいい。
理由はいらない。
必要なのは――確認だ。
ミラベルが、どう思っているのか。
何を選ぶのか。
それを、聞く。
止められても、関係ない。
ここが王宮であろうと。
相手が父や兄であろうと。
関係ない。
歩く速度が、わずかに上がる。
進む先は、決まっていた。
ミラベルのもとへ。
――――――
同じ頃。
ミラベルは、椅子に座っていた。
背筋を伸ばし、手を揃える。
視線は正面。
ノエルが少し離れた場所から、心配そうにその様子を見ている。
目の前には、ひとりの女性。
背筋に針金を通したかのような、姿勢の良さ。
「では、もう一度」
穏やかな声だった。
「王妃とは、何か」
問われる。
答えは、知っている。
教えられた通りに、答える。
「王を支え、国を安定させる存在です」
正解を答えた。
いや、諳んじただけだ。
「そうです」
満足げに頷く。
「感情に流されてはなりません」
――感情を表に出さず。
「常に正しく。常に美しく」
――お人形のように微笑むだけ。
「国の象徴として、在りなさい」
ミラベルは、頷いた。
言われた通りに。
この場では、それが正しい。
それでも――。
(……違う)
胸の奥が、ざわつく。
(私は何も決めていない)
与えられた物の重さに、ただ沈む。
(違う――)
指先が、無意識に動く。
触れたのは、ペンダント。
冷たい。
何も、応えない。
ただの石のまま。
(私はここに――“居させられている”)
講師の声が続く。
言葉は、正しい。
けれど、どこにも自分がいない。
――与えられているだけだ。
形を。
役割を。
未来を。
ミラベルは、目を伏せた。
(私は、まだ“選んでいない”)
つづく
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