第19話
本日2話更新します
第19話 意図せぬ配役
朝の光が、変わらずやわらかく差し込んでいた。
白いカーテンが揺れる。
風は穏やかで、温度も心地いい。
――今朝も、変わらない。
ミラベルは、ゆっくりと目を開けた。
同じ天井。
同じ光。
同じ静けさ。
「お目覚めの時間でございます」
声が落ちる。
優しく、柔らかい。
けれど――やはり、遠い。
身体を起こす。
それに合わせて、侍女たちが一斉に動き出す。
ガウンが掛けられ、水差しが差し出され、予定表が開かれる。
「本日のご予定でございます」
淡々と読み上げられる声。
「午前は教育係の講師による講義。午後は散策。夕刻に食事――」
そこで、言葉が一つ引っかかった。
「……講師……ですか?」
思わず、口に出る。
侍女は一拍置いてから、答えた。
「はい。本日よりお付きになります」
変わらない声音。
ミラベルは、わずかに首を傾げた。
「……どうしてでしょうか?」
その問いに、わずかな沈黙。
「ミラベル様のご将来を、陛下が慮られたものでございます」
将来。
その言葉が、どこか空洞に響いた。
何のための将来なのか、誰も言わない。
侍女たちはすでに次の動作へ移っている。
理由の分からないまま、今日も始まる。
――――――
朝食は、いつも通りだった。
整えられた食卓。
整えられた配置。
整えられた温度。
すべてが正しい。
ミラベルは席に着き、静かに手を伸ばす。
教えられた通りに、動く。
食事が終わる頃、侍女の一人が一歩前に出た。
「この後の講義の準備のため、我々は一度下がらせていただきます」
静かな声。
「何かございましたら、ノエルを残しますので、何なりとお申し付け下さい」
続いて、ノエル以外の他の侍女たちも一斉に頭を下げる。
揃った足音が、遠のく。
部屋に残ったのは、二人だけだった。
ミラベルと、ノエル。
少しだけ、空気が変わった。
ちらりと、目線だけで確かめる。
戻ってくる気配は、ない。
(……今なら)
胸の奥が、わずかに動く。
ミラベルは、ゆっくりと顔を上げた。
「……ノエル」
「は、はい……!」
少しだけ、声が強い。
すぐに姿勢を正す。
その仕草に、わずかな“遅れ”がある。
ミラベルは、それを見つめた。
「……あの」
言葉を選ぶ。
「さっきの……教育係の講師って」
少し、間を置いて。
「何のためのもの、なの?」
ノエルの肩が、ぴくりと揺れた。
視線が泳ぐ。
「それは……」
言いかけて、止まる。
「……恐れながら」
いつもの言葉。
けれど、その声は少しだけ揺れていた。
「ミラベル様の、ご将来のためと……」
「それは、聞いたわ……えっと、ごめんなさい」
遮るように言ってしまってから、少しだけ息を詰める。
強く言うつもりはなかった。
「じゃあ、講義の内容ってどんなものかしら?」
これならば、ノエルも答えやすいはずだ。
ノエルは一瞬息を止め、逡巡しながらも口を開く。
「王宮の作法や……歴史、王家の系譜に関する事だと伺っております」
ミラベルは止まらなかった。
「でも、それって」
探す。
「……客人に必要なもの、なの?」
ノエルの表情が、一瞬だけ固まる。
言葉が、出ない。
沈黙。
その時間が、やけに長く感じられた。
やがて、ノエルが小さく口を開く。
「……その……」
声が、ほんの少し震えている。
ノエルは廊下の方を一度だけ窺うように見てから、声を潜めた。
「皆、そのように……『しつらえて』おりますので……」
しつらえる。
その言葉が、胸の奥に落ちた。
応接室に飾られた磁器のように、完璧に整えられ、完璧な場所に置かれる。
それが「しつらえる」ということだ。
(しつらえる……やっぱりそうなのね)
胸の奥が、静かに沈む。
「それって、どういう意味……?」
問いは、自然に零れた。
ノエルが顔を上げる。
迷いに揺れた表情だった。
言っていいのか、言ってはいけないのか。
その境界で、揺れている。
「私は……」
小さな声。
「……そう……聞いております」
息を吸う。
「ミラベル様は……」
そこで、言葉が止まる。
視線が、ほんの一瞬だけミラベルに向く。
――まるで、その背後に見えない誰かが立っているかのように。
「……仕えるべき、尊い方だと」
それだけ。
それ以上は、言わない。
ノエルの口の端が引き攣った。
それで、十分だった。
ミラベルは、しばらく何も言えなかった。
尊い。
守られる。
教育される。
制限される。
(……明らかに、私は客人では無いわ)
では、何なのか。
侍女が仕える尊い方、といえば。
まさか、と思い至った解答を消す様に頭を振った。
それを判断するには、まだ足りない。
けれど確かに、この檻のような生活の全容が、少しだけ見えた。
ミラベルは、ゆっくりと息を吐いた。
そして、小さく頷く。
「……ありがとう、ノエル」
その言葉に、ノエルがはっと顔を上げた。
「い、いえ……!」
すぐに整えようとする。
けれどその前に、ほんの一瞬だけ。
強張っていた頬が、年相応に、ふわりと緩む。
その時、ノエルの瞳に宿ったのは、ミラベルに対する親愛の色だった。
――――――――
その日の夕方、ミラベルは窓の外を見ていた。
空は広い。
雲が、ゆっくりと流れていく。
引き止めるものは何もなく、ただ風の向くままに。
役割など、与えられる筈もなく。
(森の空は、とても自由だったわ――)
選ぶのに、迷うほどに。
だが今はどうだ。
与えられているのだ。
形を。
役割を。
未来を。
――まるで、意図せぬ配役のように。
ミラベルは、底知れぬ違和感の正体を探ろうと、ペンダントを握りしめた。
その冷たさが、いつもより重く感じられた。
この場所に来てから、何一つ自分では選んでいない。
選ぼうとすら、していなかった。
(――私は、まだ何も選んでいない)
ペンダントを、もう一度握る。
冷たいまま。
それでも、手のひらの熱が少しずつ伝わっていく。
答えは、まだない。
けれど、問いだけは、確かに形になっていた。
つづく
お読み頂きありがとうございます。少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。
宜しければブクマ、評価等頂けると励みになります。




