第九十一話「存在しない亡霊」
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第九十一話「存在しない亡霊」
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石倉が「旧資材庫で話したい」と言ってきたのは、朝の点検が終わってすぐだった。
コア室ではなく、資材庫を指定した。それだけで、話の重さがわかった。
◆
資材庫は薄暗かった。
かつてJDAの支給品が積まれていた棚は空で、今は俺が第七層から回収した部品が整然と並んでいる。照明は一本だけ点いている。遠くからコア炉の唸りが響いている。
石倉が入ってきた。
普段より顔が細く見えた。目の下に疲れがある。
「メイ、この区画の盗聴デバイスを確認してくれ」
「カメラも盗聴デバイスも検知されません。この区画は発電機設置時に渉さんが撤去済みです」
石倉が安堵の息を吐いた。封筒を取り出した。
「単刀直入に言う。第六層の装置の送信先を追跡した。送信先はJDA本館内部だ」
「それは予想通りだ」
「だが、正規のサーバーではない」
◆
石倉がプリントアウトを渡してきた。ネットワーク図だ。見ても詳しいことはわからないが、石倉が指さした一点だけ、他とは色が違った。
「装置が送信したデータは、JDAの公式ネットワークには一切記録されていない。しかし確かに、JDA本館内部のどこかに存在するサーバーが、そのデータを受信し、蓄積し続けていた。公式には存在しないサーバーだ」
「存在しない、とはどういうことだ」
「台帳にない。記録にない。廃棄されたことになっている。しかし電力は使い続けている。熱を発している。データを蓄積している。亡霊みたいなものだ」
俺は図を返した。
「要するに、誰かが組織の設備を使って、組織に隠れてデータを集めていた、ということか」
「そういうことだ。十八年前から」
◆
「メイ」と俺は言った。
「はい。私も確認しました」
メイの声には珍しい緊張があった。
「AIとして申し上げると……存在しないはずのサーバーが動いているということは、私のデータベースにも整合性の欠落があるということです。私が知っているJDA of ネットワーク地図には、この存在が入っていない。私が認識できていなかった」
「それは、どういう感覚だ」
「……床の下に、知らない部屋があったと気づいた時の感覚、とでも言えばいいでしょうか。正確ではないですが。不気味です」
◆
「石倉さん」と俺は言った。「目星はついているだろう」
石倉がしばし黙った。
「そのサーバーが最後に公式記録に登場したのは十八年前だ。先代が第六層で魔素流の異変をJDAに報告した、その直後のことだ」
「先代の報告の直後に」
「先代は第六層で不自然な魔素流変動を観測し、正式な調査を依頼した。しかしその依頼は異常なしとして却下された。同じ時期に、第六層の観測データを蓄積していたサーバーが公式記録から消えた」
「消えた」
「正確には廃棄処分として記録されている。しかし実際には今も動いている」
石倉は別の書類を出した。人事異動の記録だった。
「当時そのサーバーの管理を担当していた部署に、ある人物がいた。異常なし報告書の起草者の一人でもある。当時三十歳」
「武藤か」
「ああ」
◆
しばらく二人とも黙っていた。コア炉の唸りだけが聞こえた。
「しかし武藤はもう理事じゃない」と俺は言った。「なのに、なぜサーバーはまだ動いている」
「そこが問題だ。武藤一人が管理していたのか、それとも武藤は当時の計画の一端を知っているだけで、今は別の誰かが管理しているのか——わからない」
「物理的には、サーバーはJDA本館のどこかにある」
「そうだ」
「なら、見つけられる」
石倉が顔を上げた。
「理論上は。しかし正規の台帳には載っていない。監査部の正規の調査権限では、存在しないものを調べることはできない」
「つまり、あなたは俺に情報を渡すだけか」
「……すまない」
「謝らなくていい。あなたがここまで動いてくれたことは、十分すぎる」
◆
石倉が帰った後、先代の手帳を開いた。
十八年前のページだ。第六層の報告をJDAに却下された直後の記録を探した。
几帳面な業務記録が続いている。その片隅に、走り書きがあった。
「知らない目がある。誰かがこのダンジョンを見ている。JDAの記録にはない監視の目。今はまだ動くな。時期が来るまで、知らぬふりを続ける」
俺はその一文を、何度も読んだ。
先代は知っていた。第六層に誰かの監視装置があることを。JDAが握りつぶしたことも。でも追及しなかった。
「先代はなぜ待ったんでしょうか」とメイが言った。
「わからん。でも、『時期が来るまで』と書いている。誰かがこの記録を読んで動く、その時を待っていたのかもしれない」
「その誰かが、渉さんなのでしょうか」
「そうかもしれない」
◆
深夜、端末が通知音を立てた。
「メールです。差出人が特定できません」
「不明?」
「JDA内部の古いメッセージシステムを経由しています。現行の方法では送信元を特定できません。ただしJDA内部ネットワークにアクセスできる誰かが送信したことは確かです」
端末を開いた。
本文はなかった。添付ファイルが一つ。
開いた。
写真が表示された。
◆
古い写真だ。黄ばんでいる。
二人の男が並んでいる。
左側の男は、作業着を着ていた。五十代半ば。穏やかな目をしている。俺が見慣れた、先代の顔だった。
右側の男は、スーツを着た三十代前半の男だった。髪は黒く、眼鏡の奥の目は鋭い。野心のある目だ。
その顔は見覚えがあった。
「……武藤」
「はい」とメイが言った。「若き日の武藤前理事です。日付は十八年前です」
二人は同じ場所に立っていた。二人とも同じ方向を見ていた。敵対した人間の顔ではない。同じ目的を持つ人間の顔だ。
「撮影場所のデータはわかるか」
「写真のメタデータです。JDA本館、地下二階、旧特別観測室。この場所は十八年前の廃棄処分と同時期に閉鎖されています」
「その区画の電力使用量は」
「調べます……渉さん、その区画だけ、十八年間一度も停電していません。通常の空調機械室なら、メンテナンス時の停電記録があるはずです」
「つまり、そこにサーバーがある」
「可能性は極めて高いです」
◆
先代と武藤が、十八年前に同じ場所で同じ方向を見ていた。
俺はその写真を手に持ったまま、しばらく動かなかった。
先代と武藤は、敵ではなかったのか。少なくとも、十八年前には。
それがいつ変わったのか。なぜ変わったのか。
サーバーに、その答えがある。
◆
工具バッグを開けた。
懐中電灯。マルチツール。手帳。ペン。先代の保守用IDカード。
「渉さん、まさか」
「清掃員の仕事は、ゴミを片付けることだ。ゴミがJDA本館の地下にあるなら、そこへ行く」
「危険です。組織の闇です。一人で」
「石倉さんが正規の手続きで追えないなら、俺が現場に行く。それだけだ」
「でも……」
「先代が十八年待っていた仕事だ。今がその時だとしたら、俺がやる」
バッグを肩にかけた。内ポケットに先代の手帳と写真を入れた。
「メイ. お前はここで第八層を守っていてくれ。小林が困ったら助けてやれ」
「承知しました。通信は常に開けておきます。何かあれば石倉参与にすぐ連絡します」
「頼む」
◆
コア室の扉を開ける前に、炉を振り返った。
青白い光が揺れている。いつもと変わらない音だ。
「すぐ戻る。炉を頼む」
「お任せください」
扉を閉めた。
◆
JDA本館は深夜で静かだった。
正面玄関ではなく、資材搬入用の古い地下通用口に向かった。石倉から渡した施設管理マニュアルに、この通用口がかつて地下二階に直通していたと書いてあった。
通用口のカードリーダーに、保守用IDをかざした。
一秒。二秒。
解除音が響いた。
扉が開いた。
先代がここに残したIDが、十八年後に俺を地下に通してくれた。
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〈第九十一話 了〉
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【次話予告】
地下二階は静かだった。
空調機械室の札がかかったドアの向こうから、かすかな電子音が聞こえた。
カードリーダーに保守用IDをかざした。
また開いた。
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【あとがき】
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第九十一話、お読みいただきありがとうございました。
「存在しないサーバー」をメイが「不気味です」と表現する場面を書きました。AIであるメイにとっても、自分のデータベースに整合性の欠落があることは不気味な体験です。「床の下に知らない部屋があったと気づいた」という喩えは、彼女なりの精一杯の言語化です。
石倉の疲弊を「顔が細く見えた、目の下に疲れがある」という二行だけで描きました。彼は組織の闇を正規の手続きで追えないことを知っていて、それでも止まれない。渉に情報を渡すことが、今の彼にできる最善だと知っている。「すまない」という一言に、その複雑な感情が全部入っています。
先代と武藤が並んで写った写真は、これまでの構図を揺さぶる仕掛けです。二人は敵対した。でも十八年前には、同じ方向を向いていた。何がその関係を変えたのか。サーバーの中にある十八年分のデータが、その答えを持っている可能性があります。
「先代が十八年待っていた仕事だ」という渉の言葉でバッグを担ぐ場面は、渉が受け継いだ職人の矜持が、ダンジョンの外、組織の地下へと届く瞬間です。
(作者)




