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第九十話「第六層の遺物」

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第九十話「第六層の遺物」

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 小林が来た時、俺はコア炉の外装を磨いていた。


 タブレットと手書きのメモを両手に持って、いつもと違う顔をしていた。疲れじゃない。何かを怖がっている顔だ。


「小林、どうした」


「親方……第六層の定期点検データなんですが、ちょっと気になる数値があります」


「見せろ」



 タブレットのグラフを見た。


 第六層の魔素流モニターの数値だ。一見、全部正常範囲内に収まっている。


「数値は問題ない。報告書には異常なしで上げられます。しかし」


 小林がグラフの一部を指さした。


「変動の周期が……自然じゃないんです。魔素流が自然に揺れているように見えない。何かに引っ張られているような流れ方で」


「お前の目で、そう見えるのか」


「はい。ですが数値で証明できない。報告書に書くには根拠が薄すぎる。勘違いだったら、管理責任者として信用をなくすかもしれない。しかし見逃したら、それも責任です」


 タブレットを返した。


「行くぞ。第六層だ」


「え、一緒に……」


「当たり前だ。俺も見ておきたい」



 第六層への連絡通路は薄暗かった。


 第八層は炉の青い光があって、そこそこ明るい。しかしここは非常灯だけが点々と続いている。空気も違う。第八層は炉の熱で少し温かいが、ここは冷えている。黴の匂いがする。


 小林が歩きながら言った。


「怖いです」


「何がだ」


「判断が怖いです。自分の感覚を信じて動いて、間違っていたら信用をなくす。感覚を無視して、後で何かあったら責任を問われる。どちらに転んでも怖い」


「そうだな」


「親方は……迷ったりしないんですか」


「ある。何度もある」


 小林が少し驚いた顔をした。


「俺も最初は迷った。先代のマニュアル通りにやっても、数字に出ない違和感がある。それを報告すべきか、思い過ごしか。何度も困った」


「そういう時、どうするんですか」


「炉の音を聞く」


「……炉の音?」


「第八層の炉はな、何十年も同じリズムで動いてきた。その音には、数字には出ない情報が全部入っている。耳を澄ませば、炉が教えてくれる。お前には、その声が聞こえ始めてるんだろう。第六層のデータを見て、何か変だと思った。それは、お前が現場の声を聞き始めた証拠だ」


「……はい」


「迷ったら現場に来い。データだけで判断するな。自分の目で確かめろ。管理職だろうが清掃員だろうが、それは変わらない」



 第六層の最深部に入った。


 ここはJDAが十数年前に立入制限をかけたエリアだ。表向きは安全管理上の理由だが、実際はただ忘れられた場所だ。壁に古い配管が縦横に走り、全部停止されているはずだ。計器類はどれも煤けて錆びついている。


 懐中電灯で照らしながら歩いた。


 魔素流が、確かに乱れている。自然なうねりじゃない。何かに引っ張られているような、不自然な揺れ方だ。


「お前の目は合っていた」


「本当に変動しているんですね」


「変動している。だが自然じゃない。何かが干渉している」


 壁沿いを歩きながら、古い配管の一本に手を当てた。


「この配管……まだ生きている。微かに振動している」


「止まっているはずでは」


「記録が正しいとは限らない。お前もこの前の件で知っているだろう」



 さらに奥へ進んだ。


 打ち捨てられた計器ラックがあった。古い機器が並んでいる。錆と埃で覆われている。


 その中に、一つだけ違うものがあった。


 小林が先に気づいた。


「親方、これ……!」


 壁の計器ラックの影に取り付けられた、小型の装置だった。金属ケースは黒く塗装され、周囲の古い機器に紛れるように設置されている。表面は新しい。LEDがかすかに点滅している。


 近づいた。


 懐中電灯で照らした。


 装置を確認した。約二十センチ四方。上部に小型アンテナ。電源は壁の予備電源ラインから引いている。作業者はダンジョンの設備に詳しい人間だ。配線の処理がきれいだ。素人じゃない。


 表面の埃を手で払った。刻印があった。


「……MP-03 独立観測ユニット 平成八年三月」


「なんて書いてあるんですか」


「平成八年。十八年前だ。JDAの正規設備にはない型番だ」


 小林がタブレットを操作した。


「調べてみます……独立監視システム計画、というのが引っかかりました。JDAがダンジョンの長期変動を観測するために立ち上げた計画です。しかし予算不足で凍結されて、機材もすべて廃棄されたことになっています」


「廃棄されたはずの機材が、なぜここにある」


「誰かが、公式の計画とは別に、独自に観測を続けていた……」


 配線を確認した。壁の奥へ続いている。


「この配線、第六層の奥まで伸びている。ここにあるのは端末だ。本体は別の場所にある」


「本体がどこにあるか、追跡できますか」


「できる。だが今日はここまでだ」



 その時、装置の電子音が変わった。


 それまでのかすかな待機音から、少し高い音に変わった。LEDの点滅が速くなった。アンテナが微かに動いた。


「親方、これ動いています!」


「ああ」


「誰かが俺たちを察知したんですか」


「そうかもしれん」


 俺は装置を元の位置に戻した。触れた痕跡を最小限にする。


「深追いしない。相手が誰かわからない状態で動くのは危険だ。石倉さんに連絡して、監査部として正式に調査する。それが先だ」


「はい」


 装置の電子音が、暗がりの中で脈打っている。十八年間、ここに置かれ続けた装置が、今、何かを送信し始めていた。



 第八層に戻って、石倉に電話した。


「石倉さん。第六層の最深部で、JDAの記録にない観測装置を発見しました。設置時期は十八年前。平成八年の刻印があります。俺たちが近づいたら、起動しました」


「……十八年前」


「独立監視システム計画の試作機に似ているそうです。廃棄されたはずの」


「確認します。渉さん、その装置には触れないでください。位置と状態を記録して、そのままにしておいてください」


「すでにそうしています」


「……助かります」



 電話を切って、手帳を開いた。


 第六層で見たものを記録した。場所、装置の外観、刻印の内容、電源の引き込み方、配線の方向。わかることを全部書いた。


「渉さん」とメイが言った。


「なんだ」


「装置の送信先を特定しようとしましたが、信号が暗号化されています。解析は私には難しい」


「そうか」


「もし武藤が関係していたとしたら……」


「武藤かどうかはわからない。十八年前は、武藤は今のポストにいなかった。もっと前から動いている何かかもしれない」


 手帳を閉じた。



 小林が簡易机で報告書を書いていた。石倉への報告用だ。


「親方、今日の発見……正直、怖いです」


「そうだな」


「第六層に何かが仕掛けられていた。十八年前から。誰にも気づかれずに。それが俺たちを察知して、起動した。いったい何なのか、誰が何のために……」


「まだわからん」


「怖くないんですか、親方は」


 俺は少し考えた。


「怖いか怖くないかより、何が起きているかを知りたい。そっちの方が先だ」


「……渉さんらしいですね」


「お前の違和感が本物だったことは確かだ。数値に出ない変化を感じ取った。それはよくやった」


 小林が少し顔を上げた。


「その感覚を、これからも大事にしろ。管理責任者の仕事の本質は、数字を処理することじゃない。現場の声を聞くことだ」



 夜、一人になった。


 第六層の装置が何かを送信し続けているということは、受け取っている誰かがいる。


 その誰かは今、俺たちが装置に近づいたことを知っている。


 先代のマニュアルを開いた。


 十八年前のページ。第六層の記録を見た。先代は何かに気づいていたのか。それとも何も知らなかったのか。


 ページをめくった。通常の点検記録が続いていた。


 しかし一か所だけ、こんな走り書きがあった。


「第六層に、俺の知らない目がある。気づかないふりをしている」


 それだけだった。


 先代は知っていた。


 そして、気づかないふりをしていた。


 なぜか。


 その答えは、まだわからない。


 でも、先代が黙っていた理由が、いつかわかる日が来るかもしれない。


 俺は新しいページを開き、今日の日付を書いた。


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           〈第九十話 了〉

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【次話予告】

 石倉が動き始めた。

「渉さん、装置の送信先を追跡しました。JDA内部のサーバーです。ただし……そのサーバーは、存在しないことになっています」



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【あとがき】

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 第九十話、お読みいただきありがとうございました。


 「第六層に、俺の知らない目がある。気づかないふりをしている」という先代の走り書きで締めました。


 先代は知っていた。しかし黙っていた。それはなぜか。この問いが、これから先の渉の旅の動機になります。先代が気づかないふりをしなければならなかった理由が何であれ、渉は今、その目の正体を探り始めています。


 今回の話で意識したのは「層が変わることで空気が変わる」描写です。第八層は炉の熱と青い光があって、渉にとっての生活空間です。しかし第六層は冷えていて、黴の匂いがして、誰にも顧みられていない場所です。同じダンジョンの中でも、管理の手が届いている場所と届いていない場所では、空気そのものが違う。


 小林が「炉の声が聞こえ始めた証拠だ」と渉に言われる場面は、師匠として渉が明示的に小林を認めた数少ない瞬間の一つです。渉は普段、褒めない。しかしここでは「お前の目は合っていた」と言った。それが、小林の自信の根になります。


                   (作者)


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