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第八十六話「改ざんされたログ」

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第八十六話「改ざんされたログ」

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 手帳に今日の数値を書き込んでいた。


 「本日十四時。炉内圧力七一二kPa。排気温度四三八度。異常なし」


 ペンが次の項目に移ろうとした時、メイの声が入った。


「渉さん。JDAのデータベースを定期チェックしていたところ、不整合が見つかりました」


「どんな不整合だ」


「第八層のコア炉に関する監視データが書き換えられています。私の実測値では今日十四時の炉内圧力は七一二kPa。ですがJDAデータベース上では、九四〇kPaという数値に置き換えられています」


 ペンを置いた。


「九四〇か」


「はい。排気温度も、私の実測四三八度に対して、データベース上は五二〇度です。いずれも危険水域の値です」


「渉さんの保守用IDのアクセスログも改ざんされています。先週、炉の安全リミッターを解除する操作を行ったという、虚偽の記録が挿入されています」



 メイがホログラムに二列のデータを並べた。


 左が実測値。右がJDAデータベースの数値。


 数字は全然違った。


「操作元はセキュリティ管理室です。武藤理事の指示と推測されます」


「そうか」


 手帳を開き直した。今日の記録を最後まで書き終えた。


「渉さん、これは深刻です。このデータが理事会に出れば、渉さんを危険人物として強制排除する口実に使われます。対策を——」


「メイ」


「はい」


「そのデータ、どれだけ泳がせられると思う」


 メイがしばらく黙った。


「……泳がせる、というのは」


「向こうが改ざんしたデータを、理事会に出させる。出させておいて、最後にひっくり返す」



 JDA本部の理事会議場では。


 武藤が大型モニターに、改ざんされた第八層のデータを映し出していた。


 折れ線グラフが赤い危険域に張り付いている。


「これは、第八層のコア炉のここ一週間の監視データです。炉内圧力は最大九四〇kPa。排気温度は五二〇度。いずれも安全範囲を大幅に超えています」


 場内がざわめいた。


「原因は判明している。元清掃員・佐藤渉が、正規の手順を経ずに炉の出力設定を変更したのです。物資供給が止められたことに逆上し、安全装置を無視した無謀な改造を施した」


 モニターが切り替わり、渉の保守用IDのアクセスログが表示された。


「これが、佐藤が使用していた保守用IDの操作記録です。先週、炉の安全リミッターを解除する不正アクセスが行われています。これは明白な破壊行為です」


 中立派の老理事・笠原が手を上げた。


「武藤理事。そのデータは第三者による検証が済んでいるのか」


「セキュリティ管理室が本日確認したものです」


「管理室は武藤理事の直轄部署ではないか。検証は監査部を通すのが筋では」


「事態は一刻を争います。このまま稼働を続ければ、第八層で取り返しのつかない事故が起きる」


 そこへ、傍聴席から石倉が立ち上がった。


「議長、発言を許可願います」



 石倉の声は、静かだが議場に通った。


「監査部参与として申し上げます。武藤理事が提示されたデータは、監査部がまだ検証していない。公式な監査証拠ではない」


「それから、このデータには物理的な矛盾があります。炉内圧力が九四〇kPaに達しているなら、安全弁が作動して排気口から魔素が放出されているはずです。しかし、周辺の環境モニターには一切の異常が記録されていない」


武藤が「事態は——」と遮ろうとした。


「最低でも三日。監査部が第八層に直接立ち入り、現場データと照合する必要があります」


「三日も待てない」


「待てない理由は何です。あなたのデータが正しければ、三日後でも状況は変わらないはずだ」


 議場が静まった。



 第八層では、俺はその経緯を知らなかった。


 メイと相談しながら、次の手を考えていた。


「メイ。向こうが泳がせているデータには、必ず矛盾が出る。日付と時刻のズレ。別のシステムログとの不整合。物理的にありえない数値」


「はい。アクセスログの時刻が入域ログと合っていません。先週木曜の午前三時十七分に操作記録がありますが、その時刻は私の記録では渉さんの保守用IDは第七層のセンサーに反応しています。同時に二か所にはいられない」


「そういう矛盾を、全部拾い集めてくれ。俺じゃなく、石倉さんが使えるようにまとめておく」


「わかりました」


「それと」


 俺は手帳を一冊、取り出した。


「これを石倉さんに届けてくれる手段はあるか。直接会えれば一番いいが」


「石倉参与には暗号通信のルートがあります。データとして送ることはできますが……手帳の実物は」


「実物じゃないとダメだ。デジタルでは意味がない」


 少し考えた。


「小林に持たせる。小林はまだ正規の入域資格がある。地上に出て、石倉さんに届けてもらう」



 小林を呼んだ。


「頼みたいことがある」


「なんですか」


 手帳を渡した。


「石倉義男参与に、これを直接手渡してくれ。JDA本部の監査部に持っていけばいい。中身は今年の一月から今日までの、第八層の点検記録だ」


 小林が手帳を受け取った。両手で。


「これを持っていって、どうなるんですか」


「向こうが偽のデータを出している。こっちには本物の記録がある。石倉さんなら、使い方がわかる」


「……わかりました。今から行きます」


「急がなくていい。確実に渡してくれ」


 小林が出ていった後、俺は再び手帳を開いた。


 今日の残りの項目を書いた。発電機の出力、正常。冷却系の循環速度、基準値通り。配管の温度、異常なし。



 夜になって、石倉からメイに通信が入った。


「石倉参与からです。セキュリティ管理室のログを直接精査した結果、複数の改ざん痕跡が確認されました。アクセスログの時刻矛盾、物理的にありえない数値、他システムとの不整合、すべてを記録して監査報告書にまとめる準備を進めています。強制排除の動議は事実上、凍結される見込みです。小林さんからの手帳は、正式な証拠物件として受け取りました」


「そうか」


「法務部の桜井次長も、公文書偽造の疑いがあるとして独自調査を始めているそうです」


 俺は手帳の最後のページを開いた。


 今日の日付を書いた。


 「炉の状態、正常。偽のデータが流れた。改ざんの痕跡は残る。そろそろ、答え合わせの時間だ」


 ペンを置いた。


 コア炉の唸りが、夜の第八層に響いていた。


 武藤が改ざんを命じたのは、この炉を止めるためだった。しかし炉は今夜も変わらず動いている。偽の数字がどれだけデータベースを埋めても、炉の音は変わらなかった。


 データは嘘をつける。


 でも、炉の音は嘘をつかない。


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           〈第八十六話 了〉

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【次話予告】

 石倉の監査報告書が、理事会に提出された。

 「セキュリティ管理室のログに、複数の改ざん痕跡が確認されました。これは公文書偽造に相当します」

 武藤の顔から、初めて血の気が引いた。

 中立派の笠原理事が立ち上がった。



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【あとがき】

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 第八十六話、お読みいただきありがとうございました。


 「データは嘘をつける。でも、炉の音は嘘をつかない」という一文でこの話を締めました。


 武藤がデータを改ざんしたことは、この物語における最大の転換点です。それまでの彼は「組織の論理」という正しさを持っていました。正しい手続きで、正しい権限を行使する。それが渉と対立しながらも、武藤に一定の「説得力」を与えていた。しかし今回、彼はその正しさを自ら捨てました。追い詰められた末の行動です。


 渉が「泳がせる」という戦略を取ったことに注目してください。メイのデータで反論するという「正面突破」ではなく、偽データを出させておいて矛盾が蓄積するのを待つ。そして石倉に届ける「本物の記録」を物理で渡す。改ざんに対して、改ざんで返さない。事実の蓄積で返す。それが渉のやり方です。


 手帳を小林に持たせて石倉に届ける場面では、「デジタルでは意味がない」という渉の一言を入れました。手書きの記録は「モノ」として渡される必要がある。それが証拠としての重みを作る。渉はそれを理解しています。


 「答え合わせの時間だ」という渉の記述は、勝利宣言ではありません。ただ、事実が事実として認識される時が近づいている、という静かな確認です。


                   (作者)


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