第八十四話「資格剥奪という名の排除」
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第八十四話「資格剥奪という名の排除」
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朝の点検を終えて、手帳に数値を書き込んでいた。
コア炉の圧力、正常。排気温度、正常。振動数、正常。発電機からの給電、安定。
石倉が来たのは、そこへだった。
◆
「渉さん。単刀直入に言う。武藤が動いた。今度は入域資格だ」
手帳を閉じた。石倉の顔を見た。書類を持っていなかった。伝えに来た、という顔だった。
「JDA施設入域規程第九条。雇用契約の終了した者は、当該契約に基づき付与された入域資格を当然に失う。武藤はこれを根拠に、君の入域権限の即時失効を臨時理事会に諮るつもりだ。明日だ」
「解雇はまだ保留のはずですが」
「そこを迂回してくる。入域資格は雇用契約とは別の行政処分だ。理事会の決議で、資格だけを剥奪することは法的に可能だ。武藤派だけで過半数を取れる。可決は確実だろう」
「可決されたら、どうなりますか」
「IDカードが無効化される。正規ゲートがすべて閉じる。警備システムが君を不法侵入者と認識する」
◆
石倉が続けた。
「渉さん。今回ばかりは私も、正直、打つ手がない。入域資格の剥奪は、理事会の核心的な権限だ。監査部がそれを覆すことはできない。時間を少し稼ぐことくらいが限度だ」
「石倉さん。今まで、ありがとうございました」
「……過去形で言うな」
「本当に感謝してます。あなたがいなければ、とっくに追い出されていました」
石倉がため息をついた。
「私は監査官として、これ以上動けない。動けば逆に君を危険に晒す。武藤は監査部の権限縮小を進めている。私が失脚すれば、君を守る者は誰もいなくなる」
「わかっています」
「だから個人的な頼みだ。渉さん。もし、どうしてもここに残る方法があるなら、教えてほしい」
俺はロッカーに向かった。先代のマニュアルと、古い手帳の束を取り出した。
「先代が何か残しているかもしれません。調べてみます」
「……山下さんが」
「職人は、こういう日が来ることを想定して準備をする生き物です。先代は二十年、ここを守ってきた。JDAに追い出される可能性も、きっと考えていたはずだ」
石倉の顔に、わずかに色が戻った。
「わかった。決議の時間を少し遅らせる。半日か一日が限度だが」
「それで十分です」
◆
石倉が去った後、手帳の束を仮眠室の机に広げた。
先代のマニュアルは何度も読んでいた。でも今日は、普段は開かない「附録」のページを丁寧に読んだ。
一冊目。表紙に「昭和六十二年 雑記」とある。第八層に配属された最初の年だ。
ページをめくると、業務記録に混じって走り書きがあった。
「JDA人事部より、資格更新の遅延について警告あり。現場を一週間空けられないと伝えるも、規則だからと一蹴される。もし資格を失ったら、どうやって第八層に入るか。考えておかねば」
俺は少し止まった。
先代も、同じ問いに直面していた。三十年前に。
◆
その間、JDA本部では。
武藤が臨時理事会の議場に立った。
「議題は、第八層における入域資格の緊急是正です」
中立派の理事が食い下がった。
「資格を剥奪した後、誰が管理を担うのか」
「施設管理局が代行します」
「第八層は分単位の対応が必要と聞いている。急造の人員で対応できるのか」
「これは規則の問題です。規則に違反する状態を放置することは、JDAの統治能力そのものを損なう。一個人の例外を許すわけにはいかない」
場内に重い沈黙が流れた。
武藤の「規則論」に、反論できる理事はいなかった。
採決が行われた。
武藤派が一斉に手を挙げた。中立派の数人が迷いながら続いた。過半数を超えた。
可決された。
◆
俺は「平成五年」の手帳を開いた。
「第八層には、JDAが把握していない入口がある。第七層との境界にある旧補修用立坑。十年前の拡張工事で閉鎖されたことになっているが、実際は資材運搬に使われていた。公式図面には載っていない。覚えておけ。いつか使う日が来る」
壁の構造図に向かった。第七層と第八層の境界を指でなぞった。ある一点で止まった。
「メイ。ここの構造データは出せるか」
「公式データベースには、閉鎖区画としてしか登録されていません。詳細は不明です」
「それでいい。閉鎖区画なら、監視カメラもセンサーも設置されていない可能性が高い」
「渉さん、まさか今から……」
「確認しに行く」
◆
JDA本部・セキュリティ管理室では。
武藤が担当官の隣に立っていた。
「佐藤渉氏の入域権限データです。現在ステータスは有効。第八層への最終入域は本日午前四時十七分」
「権限を無効化しろ」
担当官がキーを叩いた。
モニター上のステータスが「有効」から「無効」に変わった。
システム音声が流れた。
「ID: SATO-W 0012 の入域権限が無効化されました。当該IDによるすべてのゲート通過は、以降拒否されます」
武藤はその画面を見つめた。
「これで、佐藤渉は『システム上』、第八層に存在しないことになった」
◆
旧補修用立坑の入口は、細い通路の奥にあった。
鉄扉に「立入禁止 閉鎖区画」のプレートが貼られ、古い南京錠がかかっていた。
工具で外した。
扉を開けた。錆びた蝶番が軋んだ。
細い立坑が上へ続いていた。錆びた梯子が壁に固定されている。はるか上にかすかな光が見える。第七層へ通じる出口だ。
梯子に手をかけた。強度を確認した。見た目より頑丈だった。かつて資材を運んでいた梯子だ。
「使えるな」
◆
「平成十五年」の手帳にたどり着いた。
「もう一つ。緊急用のIDカードを、第八層内のある場所に隠してある。これは正規の清掃員IDではない。元・施設管理部の技術者が使っていた保守用共通IDのコピーだ。十年前に無効化されたはずだが、第八層のゲートシステムは更新が遅れていて、いまだに認識する。場所は、コア室の予備配管パネル裏。後の者が困らぬよう、ここに記す」
コア室に戻った。
予備配管パネルを外した。奥に手を入れた。
防水パックがあった。
取り出した。中に古いIDカードが入っていた。「JDA施設保守用共通ID No.047」。色褪せた顔写真がついている。先代よりもさらに前の人物の写真だ。
これも先代が「後の者のために」残したものだ。
◆
最寄りのゲート端末にカードをかざした。
「ID確認。保守用アクセスレベル3。警告:当該IDは有効期限切れです。システム管理者に連絡してください」
「警告は出るが、認識はする」
「でも、ゲートは通過できないのでは」とメイが言った。
「通過する必要はない」
端末の画面を見た。
「このIDが認識されること自体に意味がある。第八層のシステムは、このIDを期限切れの保守員として扱う。警告は出すが、警報は鳴らさない。侵入者とは見なさない」
「つまり監視カメラに映っても、システムは渉さんを正規の期限切れ保守員と認識して、警備を作動させない」
「そういうことだ」
IDカードを内ポケットにしまった。
先代は、「もし自分が資格を失っても現場を守れるように」と、三十年かけて準備を積み重ねていた。予言ではない。ただ「どんな状況でも現場を見捨てないための備え」をしていただけだ。
◆
「渉さん。JDAのシステムは、渉さんを『権限切れの保守員』と認識しています。警報は発報されていません」
「保守用IDのおかげだな」
「はい。武藤理事は、システム上、渉さんが第八層を退去したと認識していると思われます」
コア炉を見上げた。
「システムは、俺がいないと言っている。でも現場は、俺がいることを知っている」
小林から無線が来た。
「親方! 大変です。JDAから、親方の入域資格が剥奪されたって連絡が……」
「落ち着け。明日もいつも通り、第七層の発電機を点検しろ。それだけ考えればいい」
「親方は、どうするんですか」
「俺は、ここにいる。それだけだ」
◆
手帳を開いた。
今日の日付を書いた。
「入域資格失効。保守用ID確認済み。旧立坑の使用可否確認済み。点検異常なし」
最後に一行書き添えた。
「先代の備え、受け取った」
ペンを置いた。
コア炉の唸りが、変わらず部屋を満たしていた。システムが何を表示しようと、この音は変わらなかった。
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〈第八十四話 了〉
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【次話予告】
翌朝、武藤の元に報告が届いた。
「渉の入域資格は無効化されましたが……第八層のコア炉は、今朝も定刻通りに点検されています」
武藤の手が、止まった。
「どういうことだ。彼はシステム上、第八層にいないはずだ」
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【あとがき】
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第八十四話、お読みいただきありがとうございました。
「どんなに強固なシステムにも、メンテナンスのためのバイパスが存在する」という現場の真理が、今回のテーマです。
保守用共通IDとは、現実のシステム管理にも存在する概念です。どんな施設のセキュリティシステムにも、保守員が緊急時に使える共通アクセス手段が用意されています。それは「セキュリティの穴」ではなく、「現場が止まらないための設計」です。第八層のシステムがそのIDを「期限切れ保守員」として認識し、警報を鳴らさない。これは設計通りの動作です。
先代の手記を時系列で配置しました。「昭和六十二年」の若い先代が最初の危機に直面する。「平成五年」に具体的な対策を発見する。「平成十五年」に後継者への継承として完成させる。三十年かけて積み上げた備えが、今日、渉の手に届いた。
武藤のシーンと渉のシーンを交互に描くカットバック構造にしました。武藤が「ID無効化」の操作を終えた瞬間、渉は旧立坑の梯子の強度を確認している。システムの「勝利」と現場の「無効化」が、同じ時間軸で進んでいます。
「先代の備え、受け取った」という最後の一行は、技術や知識の継承だけでなく、「どんな状況でも現場を見捨てない」という職人の意志そのものを受け取ったという意味です。
(作者)




