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第八十二話「解雇通知と、変わらぬ炉の音」

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第八十二話「解雇通知と、変わらぬ炉の音」

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 小林を第七層の発電機点検に送り出したところだった。


 背中を見送りながら、工具の確認をしていた。インパクトレンチのバッテリー残量。ビットの摩耗状態。ラスペネの残量。手の動きはいつもと同じだ。


「渉さん。JDA人事部の識別信号です。労務管理課長の大塚正敏。もう一名は事務官」


 メイの声がイヤホンに入った。


「人事部か」


 ゲートに向き直った。スーツ姿の二人組が来るのが見えた。



「佐藤渉氏。JDA人事部より、正式な通知を持参しました」


 先頭の男が書類鞄から封書を取り出した。四十五歳前後。顎の線が真面目そうだ。仕事をしに来た、という顔をしていた。


 受け取って、その場で開けた。


 二通。『雇用契約解除通知書』と『施設立入禁止命令書』。


「内容をご確認ください。JDAは本日付で、あなたとの清掃員契約を解除します。理由は重大な服務規程違反。第七層のJDA資産の無断転用、ならびに無許可設備の設置です」


 読んだ。一通り。


「本日正午までに、第八層およびJDA管理区域から退去してください」


「大塚さん、ひとつ質問です」


「……なんでしょう」


「この服務規程違反というのは、誰が認定したんです」


「JDA施設管理局の調査報告に基づき、人事部が正式に認定しました」


「その調査報告に、監査部の現場影響評価が添付されていますか」


 大塚の表情がわずかに硬くなった。


「JDA施設管理規定第二十七条。設備の停止・撤去命令には、監査部の現場影響評価が必須です。前回、久我課長補佐が執行を試みた際に、監査部の石倉参与が明確に指摘した要件です」


「そ、それは……人事部の権限で……」


「人事部の権限であっても、前提となる事実認定が無効なら、処分も無効です。JDA就業規則第四十二条の基本原則です」


 大塚が口を開きかけて、止まった。


「でも、その話はあとで監査部とやってください。それより、もっと重要な質問があります」


「……重要な質問」


「仮に、この解雇が有効だとします。今日の正午に、俺はここを出ていく。明日の朝五時の点検は、誰がやるんですか」



 沈黙が落ちた。


 コア炉の唸りだけが、遠くから届いていた。


「それは……施設管理局が適切に対応します」


「適切に、ですか。では具体的に聞きます」


 メイがホログラムを起動した。点検スケジュールが表示された。


「第八層のコア炉は一日三回の点検が必要です。朝五時、昼一時、夜九時。点検項目は四十七項目。圧力値、温度、振動数、魔素流入量、冷却系の循環速度、配管の継ぎ目の状態、ボルトの緩み――」


 指を折りながら列挙した。


「これらの点検を、明日の朝五時から誰がやるのか。施設管理局の誰が、どういう手順で、どういう基準で確認するのか。今、教えてください」


「そ、それは……現場の担当者が……」


「現場の担当者は、俺と小林だけです。小林はコア炉に触る資格がまだない。俺が立ち会わない限り、彼は一人で点検できない」


 大塚の額に汗が浮いていた。


「ということは、明日の朝五時、第八層のコア炉は誰にも点検されない状態になります。それでいいんですか、人事部は」


 発電機のデータがホログラムに切り替わった。


「第七層の発電機は、一日平均四回の出力調整が必要です。調整を怠れば七十二時間以内に軸受けが焼き付き、発電が停止する。発電が停止すればコアへの給電が途絶え、最終的にコアは止まる。コアが止まれば、第八層の封鎖機構が誤作動し、第七層から第十二層まで連鎖的に閉鎖される可能性がある」


「メイ」


「現在の発電機出力とコアの予備電力から算出すると、発電機停止後、最長二百四十時間以内に第八層のコアは完全停止します」


「つまり、俺が出ていってから遅くとも十日後には、第八層は止まる」


 大塚は完全に押し黙っていた。若手の事務官がドローンを下ろし、呆然と俺を見ていた。


「大塚さん。俺は別に、ここにしがみつきたいわけじゃない。でも、誰が代わりにやるのかを決めずに、ただ出ていけだけを言われても、現場は止まります。その責任の所在はどこか」


 解雇通知書を大塚に差し戻した。


「これは保留です」


「……保留?」


「引き継ぎが完了するまで、解雇は執行できない。JDA就業規則第五十六条。業務の継続性に重大な支障がある場合、使用者は相当の引き継ぎ期間を設けなければならない。これは現場からの正式な申し出です」


 大塚は書類を受け取ることもできず、立っていた。


「引き継ぎの目処が立ったら、こちらから連絡します。それまでは今まで通り、第八層の点検を続けます。異論があれば、石倉参与を通してください」


 工具を手に取り、コア室へ歩き出した。


 背後で、若手の事務官が小声で言うのが聞こえた。


「か、課長……どうしますか」


「……一旦、持ち帰る。報告だ」



 コア炉の前に立ち、午前の点検を続けた。


 解雇通知書は、工具箱の蓋の上に置いておいた。点検リストの重しに使えた。


 しばらくして、メイが声をかけた。


「渉さん。いくつか、お伝えしておきたいことがあります」


「なんだ」


「解雇予定者となることで、給与の支払いが停止される可能性があります。次に、JDAの資材調達システムへのアクセス権。それから……第八層の食堂施設の利用権も、停止される見込みです」


「食堂か」


「はい。食事の提供が止まれば、第八層への滞在が物理的に難しくなります」


 配管の温度を掌で確認した。正常だった。


「メイ。現場に必要なものはなんだと思う」


「技術と知識、そして……」


「食い物と道具だ。それさえあれば、あとはなんとかなる」


「しかし……」


「給与が止まる? 貯えはある。資材調達ができなくなる? 第七層にはスクラップが山ほどある。使えるものはそこで拾う。食堂が使えなくなる? カップ麺と水があれば、人間は何日でも生きられる。若い頃、解体現場で何度もやった」


 工具を置いて、メイのホログラムに向き直った。


「俺は、ここを出ていく気はない。解雇されようが、給与が止まろうが、第八層のコアが動いている限り、俺はここにいる。それが清掃員の仕事だ」


 メイのホログラムの輝度が、わずかに上がった。


「……わかりました。私も、できる限りの支援を続けます」



 JDA本部に報告が届いた、というのはメイが後から教えてくれた。


 武藤が大塚から経緯を聞き、しばらく沈黙した。それから「代わりがいないなら、どうやって解雇を執行するんだ」と言ったらしい。大塚は答えられなかったそうだ。


 俺には関係のない話だった。



 深夜のコア室。


 青白い炉の光だけが手元を照らしていた。カップ麺の箱を積んである隅に、水のペットボトルを並べた。必要最低限だ。


 工具箱の蓋の上に置いた解雇通知書が、炉の振動でかすかに震えていた。


 ペンを取り、手帳を開いた。


 明日の朝の点検項目を書き出した。コア炉、発電機、配管、ボルト。順番に。必要な工具をリストアップした。


「渉さん。怖くないのですか」


 メイの声が、いつもより小さかった。


「何がだ」


「JDAが渉さんを排除しようとしていることです。組織の総力を挙げて」


 手を止めずに答えた。


「品川で三十年、解体屋をやってきた。その間、何度も明日から来なくていいと言われた。でも、言われた翌日も現場に行った。現場は俺がいなくても壊れないが、解体は誰かがやらなきゃいけない。そうすると、向こうもしょうがねえなで使ってくれた」


「……」


「解雇通知は紙切れだ。でも、第八層のコアは紙切れじゃない。放っておけば本当に止まる。JDAが俺を追い出すなら、代わりを寄越せ。代わりがいないなら、俺がいる。ただ、それだけの話だ」


 ペンを置いた。


 カップ麺の箱から一個取り出した。ポットの湯を注いだ。三分待つ間、計器を見た。圧力値、正常。温度、正常。振動数、正常。


「渉さん……私は、渉さんがここにいてくれて、よかったと思います」


「そうか」


「はい。渉さんがいなければ、第八層はとっくに止まっていました」


「記録が証明しているな」


「はい」


「記録は大事だ。誰かが後で読むかもしれないからな」


 麺を啜った。


 炉の唸りが、変わらず部屋を満たしていた。解雇通知が来ようと、権利が止まろうと、この音は変わらなかった。


 食べ終えて、空き容器を片付けた。手帳を開き、今日の日付と点検結果を書いた。


 最後に一行、書き添えた。


「解雇通知受領。執行保留。点検異常なし」


 ペンを置いた。


 簡易ベッドに横になった。天井に、コア炉の青い光がゆらゆらと映っていた。


 明日の朝五時に、点検が始まる。


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           〈第八十二話 了〉

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【次話予告】

 翌朝、石倉から連絡が来た。

 「武藤が次の手を打ってきました。JDAの法務部を動かして、第八層の所有権問題を持ち出してきています」

 渉は朝の点検リストを確認しながら答えた。

 「法務部の話は石倉さんに任せます。今日の最優先は発電機の翼角度の調整です」



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【あとがき】

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 第八十二話、お読みいただきありがとうございました。


 「解雇通知を工具箱の蓋の上に置いて、点検リストの重しに使う」という場面を書きたかった回です。


 渉にとって、解雇通知は「書類」です。書類には物理的な重量があり、風で飛ぶ可能性があり、邪魔になることがある。だから重しにする。それだけの話です。「解雇」という概念が渉の仕事の優先順位に影響しないことを、行動で示しました。


 大塚という人物は、この話の中で重要な役割を担っています。彼は悪人ではない。ただ、「解雇通知を渡してくれば仕事は終わり」という前提で来た。そこへ「明日の朝五時の点検は誰がやるんですか」という問いが来る。彼には答えられない。なぜなら、その問いは彼の職掌の外にあるからです。組織が「現場を把握していない」ことの、これ以上ない証明です。


 「食い物と道具」という渉の言葉は、彼が何に依存して生きているかを示しています。組織でも待遇でも肩書きでもなく、「食べること」と「仕事をすること」だけが必要だという生存の原則。品川の解体屋時代に身につけた、組織に頼らない職人の生き方です。


 炉の振動で解雇通知書が震えているという描写を入れました。紙切れ一枚は、コア炉の前ではあまりに小さい。それが、この話で言いたかったことのすべてです。


                   (作者)

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