第七十三話「現場のボイコット」
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第七十三話「現場のボイコット」
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重機の稼働二日目の朝。
渉が第八層に降りると、前日と同じ場所を確認した。
点検ハンマーで壁を叩いた。
コン。
昨日より、少し音程が変わっていた。
「……止めてください」
DTSの先頭の男が「何がですか」と言った。
「今日は重機を稼働させないでください。昨日より速く変化しています。このまま続けると、崩落のリスクが出ます」
「昨日は問題なかったのに……」
「変化の速度が加速しています。コーキングが追いついていない箇所があります」
◆
男が測定器を確認した。
「センサーでは、昨日と変わっていませんが」
「〇・〇四ミリ増えています。昨日が〇・〇七ミリで、今日が〇・一一ミリです。一日で〇・〇四ミリのペースが、先週比で倍以上になっています」
「その数字はどこから」
「昨日のメモと今日の計測の比較です」
男がタブレットを確認した。
数分かけて計算した。
「……確かに、速度が上がっています」
「だから今日は止めてください」
「上から、作業を続けるように言われています」
「崩落してからでは遅いです」
◆
その時、石倉が降りてきた。
書類を持っていた。
「石倉監査官」と先頭の男が言った。
「JDA施設安全規則第三十一条、構造体に変形の兆候が確認された場合、全作業を停止し安全確認が完了するまで再開しない。今がその状況です」と石倉は言った。
「でも上からの命令が……」
「命令より規則が上位です。どちらが優先されるか、条文をご確認ください」
男が黙った。
「……作業を停止します。確認が完了するまで」
◆
渉は石倉に「ありがとうございます」と言った。
「規則に基づいた当然の対応です」石倉は書類を閉じた。「ただし……上が納得するまでの時間は、そう長くないと思います」
「わかりました。その間に直します」
「どのくらいかかりますか」
「今日いっぱい、と今日の確認結果次第で明日も、かもしれません」
「確保します」
◆
作業を開始した。
問題の箇所を再確認した。
コーキングが追いついていない場所が、三か所あった。
バラムに連絡した。
「コーキング材をもう一本と、浸透性の防錆剤が必要です」
「わかった、持っていく」
「あと、今日は日誌を書く時間がほしいです。夜に。バラムさん、第八層に来てもらえますか」
「来る。飯でも持っていこうか」
「お願いします」
◆
昼過ぎ、勇馬が来た。
点検ハンマーを持っていた。
「渉さん、俺も打音検査を手伝えますか」
「できます。でもその前に」
「なんですか」
「昨日お前が締め直したボルト、一本だけ締め方が甘かったぞ」
勇馬が固まった。
「……どこですか」
「第七層の機兵の止め残し分。帰還時の振動で少し緩んでた。大事にはならなかったが、確認不足だ」
「……申し訳ありません」
「申し訳なかったら、今後はダブルチェックしてください。締めたら、もう一回確認する。習慣にすること」
「はい」
◆
メイが来た。
「渉さん、DTSの主任技術者が話を聞きたいと言っています」
「何の話ですか」
「今回の壁面の問題についての技術的な説明を、データとして欲しいと言っています。論文化したいと」
渉は少し考えた。
「構いません。データはメモ帳に全部記録してあります。メイさん、一緒に説明してもらえますか」
「もちろんです」
◆
第八層の休憩スペースで、渉とメイがDTSの主任技術者と向かい合った。
三十代の男だった。先頭の男とは違う。目が、少し違った。何かを学ぼうとしている目だ。
「今回の壁面変形について、詳しく教えてもらえますか」
渉はメモ帳を開いた。
「先週の打音検査の記録と、今日の比較から始めます」
説明を始めた。
変化の場所。変化の速度。原因の推測。対処の方法。
三十分かけて話した。
主任技術者がメモを取り続けた。
◆
話が終わった後、主任技術者が言った。
「……我々の機器では出なかったデータが、ここにある」
「センサーで数値を確認することと、変化を継続的に観察することは、別の作業です。どちらも必要です」
「その継続的な観察を、あなたは一人でやっていたんですか」
「いつも一人でやってきたわけではないです。今は勇馬が手伝ってくれます」
主任技術者が勇馬を見た。
「彼も、打音検査を?」
「教えています」
「どのくらいで習得できますか」
「彼は半年でこのくらいまで来ました。素直に学んだので」
◆
その夜、バラムが食事を持ってきた。
渉、勇馬、メイ、ゴールド、バラム、それからDTSの主任技術者も加わった。
主任技術者が「一緒に食べてもいいですか」と言った。渉は「どうぞ」と言った。
食べながら、主任技術者が言った。
「我々はデータが全てだと思っていました」
「データは大事です」と渉は言った。
「でも、データに出ない前にわかることがある」
「そうです」
「……どうすれば、そこまで行けますか」
「現場に出続けることです。他に方法はないと思います」
◆
夜中、ゴールドが渉に言った。
「今日、お前が小言を言っていた」
「勇馬にですか」
「そうだ。変わらないな、と思った」
「どういう意味ですか」
「最初に来た時から、お前は変わらない。現場の仕事を、丁寧にやることをやめない」
「当然のことです」
「当然ではない。当然ではないから、誰もがお前の言うことを聞く」
◆
渉はしばらく考えた。
「ゴールド、一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「俺がいない時、ここはどうでしたか」
「静かだった。静かすぎた」
「それだけですか」
「……現場の匂いがしなかった」
渉はそれを聞いて、何も言わなかった。
しばらく、工具を拭き続けた。
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〈第七十三話 了〉
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【次話予告】
三日目の朝。
DTSの重機が稼働した。
渉が承認した。しかし一時間後。
「渉さん! 重機から変な音がしてます!」
渉が走った。
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【あとがき】
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第七十三話、お読みいただきありがとうございました。
「現場の匂いがしなかった」というゴールドの言葉は、この話の核心です。ゴールドは感情豊かなキャラクターではありません。でも、渉がいない現場の「静かすぎた」という感覚は、彼なりの寂しさの表現だと思います。
「締め方が甘かったぞ」という勇馬への小言。渉はここで怒らない。責めない。「ダブルチェックを習慣にすること」という具体的な改善策を伝える。これが師匠の役割です。
DTSの主任技術者が夕食に加わった場面は、書いていて予想外に好きなシーンになりました。敵対していた組織の人間が、渉の現場に加わっていく。渉は誰も排除しない。学ぼうとする人間には、ちゃんと場所を作る。
「現場の仕事を、丁寧にやることをやめない。当然ではないから、誰もがお前の言うことを聞く」というゴールドの分析は、的確だと思います。
(作者)




