第六十六話「焼き肉と違和感」
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第六十六話「焼き肉と違和感」
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焼き肉の網が、煙を上げていた。
品川駅から徒歩五分の、田中がよく使う店だ。カウンターが多くて、一人でも入れる。肉が厚い。
渉と田中は向かい合って座っていた。
「乾杯くらいしようぜ」と田中が言った。
「俺はウーロン茶で」
「相変わらず飲まないな」
「仕事中は飲まないことにしてたんで」
「今は仕事中じゃないだろ」
「癖が抜けなくて」
◆
肉を焼きながら、田中がぽつりぽつりと話した。
山下自動車解体工業のこと。颯太が変わったこと。田中が戻って、少しずつ立て直してきていること。
「まだ全盛期には遠いけどな。でも廃業は免れた」
「それは良かったです」
「颯太くん、お前のことを聞いてた。戻ってきたら、もしよければ……って言ってたけど」
「考えます」
「今すぐじゃなくていい」
◆
肉を食べながら、渉はふと気づいた。
テレビがついていた。
ニュースだった。
画面の端に「東京第三ダンジョン 異常活性化 管理区域を拡大」という文字が流れていた。
「田中、あれ」
「ん? ああ、ニュースでやってたな。第三ダンジョンが最近おかしいって。魔物の活性化が増えてるって」
「いつからですか」
「三日前くらいから。何かあったのか」
◆
渉は少し考えた。
自分が帰還してから、三日が経っていた。
「……タイミングが合いすぎる」
「え?」
「俺が帰ってきてから、向こうで何かが変わったかもしれない。帰還装置を起動した時の余波が、まだ続いている可能性があります」
「余波って、何か問題があるのか」
「今のところはわかりません。でも気になります」
◆
食べながら、渉は換気扇の音を聞いていた。
モーターの回転音。一定のリズム。
そこに、微細な乱れがあった。
「この換気扇、軸受けが少し減ってますね」
「え?」
「音が少し揺れてる。そのうちうるさくなります」
「よく聞こえるな……」
「癖です」
◆
帰り道、田中の車に乗せてもらった。
エンジン音が耳に入った。
渉はシートに背を預けながら、音を聞いた。
安定している。問題なし。
でも信号で止まるたびに、アイドリングがわずかに揺れた。
「田中、スロットルの清掃、いつやりましたか」
「……去年?」
「少し詰まり気味かもしれないです。暖かくなったらやった方がいい」
「佐藤さん、帰ってきて一番最初に気にすることがそれか」
「気になったんで」
田中が少し笑った。
「……変わらないな」
◆
家に帰った。
一人の部屋だった。
一年半ぶりに戻った部屋は、田中が換気してくれていたが、それでもどこか空気が違った。
渉は荷物を置いて、窓を開けた。
品川の夜景が見えた。
遠くに、第三ダンジョンの管理棟の灯りが見えた。
向こうでは今、誰かが現場にいる。
メイが研究をしている。
勇馬が道具の手入れをしている。
ゴールドが庭を守っている。
◆
渉はスマートフォンを取り出した。
向こうに連絡する手段は、今はない。
帰還装置は向こうにある。地上側の装置は廃工場の床下にある。通信できる仕組みは、まだ作っていない。
「……通信手段を作る必要があるな」
渉はメモ帳を出した。
書き始めた。
「地上・ダンジョン間通信システム(案)」
職人の勘が、休日を許さなかった。
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〈第六十六話 了〉
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【次話予告】
渉が帰還した三日後、第八層に見慣れない集団が降りてきた。
「JDA技術開発部・応用チームです。この装置の解析を開始します」
勇馬が止めようとした。
「渉さんが整備した装置です。許可なしには……」
「渉氏は地上に帰還済みです。管理権は失効しています」
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【あとがき】
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第六十六話、お読みいただきありがとうございました。
帰還した渉の「日常への違和感」を書きたかった回です。
換気扇の音を聞いて軸受けの摩耗を感じる。車のアイドリングのわずかな揺れでスロットルの詰まりを感じる。渉の耳と指先は、一年半の現場で鍛えられて、もう止まらない。品川に戻っても、職人としての感覚は常に動いている。
テレビのニュースで「第三ダンジョン異常活性化」を見た瞬間の渉の「タイミングが合いすぎる」という一言。感情ではなく、職人の勘です。データと経験から来る推論。渉はこうやって現場を読む。
「変わらないな」という田中の言葉は、この作品の渉への最大の賛辞だと思います。品川に戻っても、ダンジョンにいても、渉は渉です。
そして「地上・ダンジョン間通信システム(案)」をメモし始めるラスト。焼き肉の翌日から仕事をしている。それが佐藤渉です。
(作者)




